(72) それなりに充実
存在は知っていたし、興味がなかった訳じゃない。しかし、田舎ではこういう娯楽向きの本は手に入りにくいのが現状だ。
なので、あまり見ることのないまま来たのだが……。
わたしは、そっとそのページを開いてみた。
ぱらぱらとめくると、可愛い挿絵がついている。わたしはしばらくそれを手に逡巡し、やがてため息をついてその本を持ったまま暖炉の側の椅子に掛ける。
「まあ、疲れてるし……こういう時はいいかもしれないし」
それにせっかくデニスが薦めてくれた訳だから、読まないのも悪いハー気がする。それに、たまにはこういうものを読んでみるのも悪くないかもしれない。
そう思い、わたしはストールを体に巻き付けてから読み始めた。
◆
謹慎を命じられてから二週間近く経った。
母からも手紙が来て、散々心配したことや、これからはちゃんとジェレミアの言うことを聞けとか、このバカ娘とかアホ娘が何枚にも渡って書かれていた。
それに対してわたしは謝罪にまみれた返事を書き、いっそのこと帰ったら土下座でもしようと心に決めた。実際にはしないと思うけれど、そのくらい申し訳ないと思っているのに違いはない。
ドロテアからも返事が来た。
どことなく母と似た、心配したじゃないのこの馬鹿といった内容の後、ルチアのことについても書かれていた。
わたしに苦労を掛けたことを詫びながら、後のことは自分たちで始末をつけると言う。どう始末をつけるのか。文面からそこはかとなく漂う怒気がちょっと怖い。
ルチアにも彼女からの手紙は届いているはずだが、どういうことが書いてあったんだろうと思ってしまった。
ちなみに、ミセス・モレナはまたしても恋する乙女化したルチアに頭を抱えていた。流石に目を離さなくはなったものの、つける薬があればいいのに、とか、ルチアは面白いほど男を見る目がないとかぼやいてはわたしに愚痴るので何気に迷惑である。
そして、退屈を持て余すだろうな、と覚悟していたわたしだったが、全くそんなことはなく、悠々自適に過ごしていた。
その証拠に、暖炉の側に置いたわたしが使う椅子の周辺は、ゆっくりと本に浸食され、うっかりすると蹴躓いて転びそうな様相を呈している。
わたしは本に目を落としたまま、そのことを特に気にするでもなく過ごしていた。
ジェレミアと一緒に過ごす時間や、パオラに言われて公爵邸で催されるちょっとした晩餐会やお茶会といった集まりに参加する時間以外は大体こうしている。
すると、扉の外に軽やかな足音が響いた。
わたしは顔を上げる。
それと同時に扉が優雅に開き、あれからきっちり休んですっかり回復したデニスが入ってくる。
手には新しいお茶と軽食、そして本があった。
「ロレーヌ様、お茶をお持ちいたしました。それと、こちらも」
そう言うと、デニスはわたしの前に置かれた卓にそっと本を積んでくれた。
「ありがとう!」
わたしはいそいそと今読んでいた本にしおりを挟んで閉じ、新しい方を手に取った。その表紙にはこう刻まれている。
花嫁の歌~白き指先に口づけを~。
それを眺めて、わたしは満足げにため息をついた。
すると、それを見計らったかのようにデニスがお茶を差し出してくれる。わたしは礼を言ってそれを受け取り、少し甘い香りのするお茶を口に含んだ。
「お気に召していただけて私は嬉しいです」
給仕をしながら、デニスはどことなく誇らしげに言う。
その目が周囲の本に向けられているのを知りつつ、わたしは曖昧に笑った。
そう、わたしだって自分がここまでお気に召すとは思わなかったのだ。転生前も本は好きだったけれど、恋愛ものというのがなんとなく苦手だったのに……どういう心境の変化なのだろう。
首を傾げつつ、わたしはデニスに最初に勧められた本に目をやってから、周囲に置かれた本を眺めた。それらのほとんどは同じ作者のものだが、違う作者の者も混じっている。とはいえ、全てが恋愛小説であることに違いはない。
これらは全てデニスが集めてきてくれたものだ。
元々彼女の持っていたものもあるが、デニスにはそれほど本は買えないので、貸し書店で読んだものなどは買ってきてもらった。
わたしはふと、デニスが復帰して来たときのことを思い返す。
全身から気迫をみなぎらせて戻って来た彼女が「何かご用はありませんかっっっ!」と、むしろ何か頼まなければならないような、頼まなければ何かされるんじゃないか、という思いに駆られるほどの迫力で問われたわたしは、逆にそのセリフを待ってましたとばかりにこの話のつづきを読みたいと言ったのである。
それからデニスは凄まじい勢いで集めて来てくれ、みるみるわたしは本に囲まれてしまった。その時、様子を見に来たジェレミアがドン引ききしていたのは良く覚えている。
後で来たパオラが深刻な顔で「やっぱり外出させた方がいいんじゃないかしら」と言っていた気もする。
ちなみにわたしも最初はちょっと困惑したものの、どうせ出られないんだしまあいいかと思って過ごすうちすぐ慣れた。
むしろ何だかなじみ深い感覚すらしたものだ。
そんな訳で、ひきこもり生活を満喫しているわたしである。
元々は体が弱かったから出られないのには慣れていたのだと思うが、少しは運動しないとな、と感じてはいる。
というのも、少し太ったようだからだ。
お茶を飲みつつ、自分の腹部を見ていると扉がノックされた。わたしが返事をすると、険しい顔つきのドーラが入ってくる。
「どうしたの?」
「……ロレーヌ様に、お客様なんですけど……」
言いにくそうに言葉を濁すドーラ。彼女にそんな顔をさせる客人などそうはいないはずだ。
とはいえ、すぐに思いつく人物が来る理由などないはずなので、他にいないか心当たりを探してみるが、やっぱりいない。
何しろ今はようやく春に入ったとはいえ、まだまだ寒い。
この王都にいる知り合いはほとんど自分たちの領地で過ごしているはずだ。彼らが出てくるとしたら、ハビエル祭の頃を待たねばならない。それはもう少し先のことだ。
とりあえず、わたしはドーラに問うてみた。