(71) なんてこった
「だって、あんなにも格好良くて綺麗なひとの、あんなことやそんなことを知っているのはわたしだけなんて、素敵なことじゃないですか。わたし、どうしてロレーヌお姉様がいつも楽しそうなのか、良くわかったんです。嫌なことがあっても、他にもっと楽しいことがあれば気にならないんだって」
「う……うーん……」
確かに、確かにそうではあるのだが、そこには一応最低限のマナーが必要なのですけれども。と内心思いながらも話の腰を折るに折れず、わたしは唸ることしか出来なかった。
「元々、わたしも綺麗な顔のひとを見るのが好きで、劇とか大好きでした。でも、ふと思ったんですよね。たくさん見るより、本当に好きなものだけを見ている方がいいんじゃないかって……」
それはパオロのことだろうとわたしは思った。
やっぱりルチアはまだ彼に未練があるのだ。あの場ではわたしの手前ああ言ったけれど、本心ではまだ彼を思っているのか。
その気持ちが、今のわたしには良くわかる。
以前は知らなかったことだが、一度思った人のことは心に焼き付いて、そう簡単に消えはしないのだ。
「それだけじゃなくて、ちゃんと内面も好きになれるようなひとを見るのが一番いいって思ったんです」
ルチアはそれまでの様子とは打って変わって、やつれているには違いないものの、頬を薄ら朱に染める。だがわたしはあれ、と思った。何かがおかしい。何かが変だ。凄く違和感を覚える。
だって、もし仮にパオロのことを思っているとしたら、こんな反応はしないはずだ。だって、ルチアは彼にひどいことをされたはずなのだ。混乱し始めたわたしの耳に、次の瞬間決定打が叩き込まれた。
「そう、例えば、カルデラーラ中佐みたいな」
――は?
目が点になる、開いた口が塞がらない、というのはこういう心境のことを指すのか。ここまで分かりやすくその心境がわかることもそうあるまいな、と軽い逃避をしつつルチアを眺めた。
彼女はまさに目をキラキラと輝かせ、ため息をついている。
少女漫画だったら花がぶわっ、と咲いていると思われる光景だ。似合うと思うのだけど、何しろ今彼女が口にした相手が問題だ。
カルデラーラ中佐。
つまりエミーリオのことだ。他にルチアの言うカルデラーラ中佐という名前と符合する人物はいないはずだから間違いない。
かつてわたしを傷物にするためにさらい、あまつさえ何故か本気で結婚しようとぬかしたヤツの名前である。
多少はまともになったようだが、未だに彼のことは怖いし、好きになることはないと思う。
しかしルチアは言ったのだ。
内面も好きになれる相手の例として彼の名を。よりによってあの男の名前を。わたしは二の句が継げず、陸にあげられた魚よろしく口をぱつくかせるしか出来なかった。
「わたし、あそこに捕らわれているときに彼と話したんです。色々な話をしました。彼はわたしの話をちゃんと聞いてくれて、アドバイスまでしてくれたんです。今まで、誰も教えてくれなかったような長所や、欠点も……凄く新鮮でした」
パオロに向けていたものとはどことなく異なる、ついでに面倒そうな匂いもぷんぷんする様子で語るルチア。
これは、女の顔だ。
まだあどけなさは残っているし、そもそもわたしはそれほど詳しい訳ではないが、間違いないとなぜか思った。
――おのれエミーリオ、ルチアに何を言った。
兄と弟でこんなにも違うのはなぜだ。顔は同じくせして厄介な、と内心でエミーリオを罵るわたし。が、ルチアはそんなわたしの葛藤など全く気付かないまま、アンニュイなため息をつく。
「……あの、ロレーヌ様。お顔が大変複雑になっております」
唯一わたしの心境に気づいた小間使いが、ひどく気づかわしげに声を掛けてくる。わたしははっ、となり、急いで笑顔に戻して小間使いに礼を言う。
とはいえ、顔を戻したところでどうにもならない。
問題はそのままだ。
しかも、パオロのときよりも性質が悪い。
わたしにも責任はあると思うのだが、いくらなんでも手に負えない。ここは素直にパルマーラ家に預けるしかないだろう。
まさに、なんてこっただ。
わたしはルチアのものとは違う重たいため息をついたのだった。
◆
それからのルチアはぼーっとしてしまい、わたしはこれ以上どうしようもないと判断して退室することにした。
「ルチア、大変だなあ」
なぜ面倒な相手ばかり好きになるのだろう。
「まあ、予感はしていなかった訳じゃないけど」
記憶持ちたちから解放されたとき、ルチアのエミーリオを見る目が奇妙なことには気づいていた。けれど、それについて考えるのは怖かったので見なかったことにしていたのである。
それが、今まさに突き付けられた感じだ。
とは言え、今度は相手に不足はない。だが、何しろあのエミーリオだ。ルチアを相手にするとは考えにくい。それに恐らくドロテアが許さないような気がする。それ以上にアウレリオが許さないんじゃないだろうか。
わたしはぐるぐると思考を巡らせ、結論が出ないことに疲れて部屋に戻ることにした。
何しろ、ルチアの話を聞いたことで結構精神的疲労がたまっている。あんなにぐっすり休んだのに。もう気力が底をつきそうとかおかしい。若干ふらふらしながら、もっとタフにならねばと思う。
それでも、今はとにかく休みたい。
特に脳みそ方面を休めたい。
少し急ぎ足で部屋に戻ると、部屋にはまだ誰もおらず、わたしはとりあえず積まれた本に目を向ける。この王都に来たばかりの頃、ジェレミアと買いに行った本だった。なんとなくその中の一冊を手にして、暖炉に向かう。
とりあえず本の世界に逃避しよう。
そう決めてタイトルを確認し、わたしは思わずその本を落っことしかけた。これはわたしが買ったものじゃない。
その、質のあまり良くない革表紙の本に刻印されたタイトルは「ときめきの薔薇園~秘密の指輪~」だったのだ。




