(66) あたたかな場所
「わ、わかりました! 気を付けます、全力で」
ジェレミアに犯罪まがいの発言などして欲しくない一心での言葉だったが、彼はなぜかそのコワい笑顔のまま頷いた。
「ああ、そうしてくれ」
これは信じていないな。
わたしは直感的にそう思ったが、それは仕方ないことだ。何しろ、今のままでは説得力がない。
彼に信じてもらうには、これからにかかっているのだ。わたしはやっぱり離してくれない手をちらりと見てから、言った。
「信じてもらえるように、頑張りますね」
「期待しよう」
やっぱり全く期待のこもらない声で答え、ジェレミアはそれ以上何も言わなくなった。ただ、手は離してくれないままだ。
わたしはそのことが少し嬉しくて、同時にとてもあたたかく感じた。
空気はとても冷えている。
現に夕方に近づいているので、先ほどなどみんな吐く息が白くなっていたほどだ。いつもなら暖をとるための手袋も今はない。剥き出しの手はかじかんで、指先が痛いくらいだ。
その手を、まるで温めるように握ってくれている。
しかも、いつの間に外したのか、ジェレミアの手にも手袋はなく、そのまま彼の体温が流れ込んでくるようだ。
いつもならこんなことをされれば心臓が大変なことになっていたのだが、疲れた脳のせいか、ただその温もりが心地よくて、わたしは自然と目を閉じる。
隣に当たる肩の感触も、ただ安心なだけで、何の不安もない。
体から、ゆっくりと力が抜けて行く。
ついでに、思考もゆっくりと溶けて、わたしは知らずそのまま眠りへと落ちてしまったのだった。
◆
結局、わたしは馬車の中で眠りこけてしまったらしい。
公爵邸についても目を覚まさず、ジェレミアにいわゆるお姫様抱っこで部屋に運ばれたそうだ。
ドーラはそのときのことを繰り返し話しながら、わたしに湯気のたつカップを渡してくる。
「もう、お邸の人間全員の注目の的でしたよ!」
「そ、そう……」
「しかも、ジェレミア様は先ほどまでここにいらしたんです。心配だからついているって仰って、ご自身もお疲れでしょうに。もう、ロレーヌ様、お願いですから二度とこんなことなさらないでくださいよ!」
「ハイ、カミニチカイマス」
わたしはカップを両手で持ち、中身をじっと見ながらほとんどうわの空で答えた。何しろ、内心それどころではない。
羞恥心で神経が焼き切れそうなのだ。
「本当ですか? 信じますからね。ああ、それにしても昨日はもう、安心したり凄い光景を見たり、ミセス・モレナは倒れるしで大変でした。でも、デニスさんって凄いですよね、あんな状態なのに今外で立って待ってるんですよ。それも死刑台に連れて行かれるひとみたいな顔で!」
「ちょっ、ドーラ、そういうことはもっと早く言って」
わたしは思わず手に持ったカップをとり落としかけた。しかし、ドーラは涼しい顔で肩をすくめた。
「休ませようとしても無駄ですよ? もう何度も言ったんですから。それでも動かないんです。これくらいしか出来ることがないからって。それに、ジェレミア様だって休めって言ったんですよ、でもやめないんですから、どうしようもないです」
ドーラが口を尖らせて不満そうにこぼすのを聞いたわたしは何も言えなかった。確かに彼女にはどうしようもないだろう。
だとしたら、何とか出来るのはわたしかジェレミアくらいだ。
その上、言うことを聞かせようとする場合、恐らく言い方がある。
わたしは大きなため息をついた。
「ドーラ、とりあえずデニーを呼んできてくれる」
「はあ、わかりました」
無駄なんじゃないか、と言いたげな顔で、それでもドーラは言われた通りに部屋を出ていく。すると、外でちょっと揉めている気配がした。離れているし、ドーラが戸を閉めてしまったので良く聞こえない。大丈夫だろうかと心配しながら待っていると、ほどなくして戸が開く音がする。
「ロレーヌ様、呼んできましたよ。ごねたので、ご命令ですからって言ってみたんですけど、そうしたら来ますって」
「……そ、そう。別に構わないけど」
ため息交じりに報告してくれるドーラを見ながら、わたしは自分の小間使いを感嘆の目で見てしまった。
どうやらデニスの扱い方を早くも習得したらしい。
何と適応力が高いんだろうか。わたしなどの小間使いとか、能力のムダ使いのような気がする。
そんなことを思われているとは知らないドーラは、なかなか寝室のほうへ来ようとしないデニスを見て、「もう」と鼻を鳴らすと、隣の部屋へ行った。
「ほら、お待ちになっているんだから、早く!」
「は、はい」
未だかつて聞いたことのない弱り切った声に、わたしは驚きつつ、デニスが恐る恐るこちらへ来るのを見つめる。彼女はまるで葬式にでも来たような様子でやって来た。
「あの、ロレーヌ様……何か私にご用がお有りでしょうか?」
「何もないなら呼ばないわよ」
そう返事をしつつ、わたしはドーラの言う通り痛々しいままろくに手当もしておらず、さらに寝不足丸出しの顔を眺めた。
ただでさえ強面なのに、もっと恐ろしいことになってしまっている。この分だと、ジェレミアやパオラ、ドーラ以外誰も近寄れなかったんじゃないだろうか。
「では、その、ご用とは?」
消え入りそうな声で問うたデニスに、わたしはきっぱりと言った。
「今すぐ休んで」
「で、ですが、私は……!」
「いいから休んで。言うことを聞かないなら、わたしの従僕にするのを考え直さないとならないわ」
ここは強く言わなければ意味がない。
正直、そんな貴族的な振る舞いは苦手なのだけれど、休ませるにはそれしかないと思ったのだ。
なので、自分の中にあるありったけの貴族的な要素をかき集めたのである。
デニスはわたしの声にびくり、と震え、次いで呆然とする。そして、さらに目に涙を浮かべた。
「え、えーと、デニー?」
もしかして傷つけたんじゃ、と慌てたわたしだったが、すぐに彼女の口から出た言葉に目を丸くした。




