(65) 物騒な笑顔もイイ
「あの~、お迎えに上がったんですけど。あなた様がジェレミア・カスタルディ様、それと、そちらの方がロレーヌ・バルクール様、ルチア・パルマーラ様でよろしいでしょうか?」
助かった!
恐らく公爵家から来た従僕と御者だろう。のんびりした若者らしき声は聞いたことがないので、きっとパオロの後に入ったんだろうなと思いつつそちらに目を向ける。
すると、想像とそれほど差のないややイケてはいるが背の高いだけの若者と目が合う。彼はわたしを見てから、ジェレミアに目を向け、突然びくっ、として青くなった。
「ああ、私がジェレミア・カスタルディだ」
「そっ、そうでしたか。それで、そこのご令嬢方がロレーヌ様とルチア様ですねっ」
「そうだ。この男は私たちとは全く関係がないから、無視して構わない。いいな?」
「はっ、はいぃぃ~」
零度近いジェレミアの声に、若い従僕は震えあがった。
かわいそうに。運が悪かったとしか言いようがないが、内心手を合わせ、耐えてくれ、と祈るしかわたしには出来ない。
従僕はカクカクと変な動きになりながら、それでも必死に職務を果たすために震え声で言った。
「で、ではこちらへ。馬車をご用意しております」
「わかった」
鷹揚に頷き、馬車へ向かう。後ろでは、従僕がエミーリオに「失礼します」と声を掛けて、ルチアに手を差し出すのがかろうじて見えた。
ジェレミアはエミーリオに挨拶する気もないらしく、わたしが転ばないように、しかし早めの足取りで馬車へ向かう。
向かう先には、小さ目の馬車が二台並んでいる。
きっとここへ来るまでの道が細いのでああいうことになったのだろう。そう思いつつ、馬車を目にしたわたしは自分がひどく疲れていたことに気づいた。
ようやく帰れる。
その思いでいっぱいになる。
とはいえ、エミーリオに一応挨拶くらいはしておこう。そう思ったのだが、後ろから聞こえた声に口を閉じた。
「じ、じゃあ行くわ。遊びはほどほどにした方が身のためなんだから、いいわね!」
「……わかってる」
エミーリオの返事に、ルチアはフンと鼻を鳴らした。信じていないという意味なのだろう。エミーリオは苦笑したような声で、つぶやくように言った。
「ロレーヌ嬢も、お元気で」
聞こえた別れの言葉に、わたしは一瞬だけ振り向く。目と目が合った。思った通り、彼はどこか寂しそうな顔をしていたが、わたしは微かに会釈だけして馬車に乗り込む。
ルチアはと言えば、従僕に連れられてもう一台の馬車へ乗り込んでいた。ほどなくして、馬車が動き出す。
わたしは我知らず、大きなため息をついていた。
それで、自分がとても疲れていたことに気づく。
「……大変だったな」
「え、あ、はい」
そう答えてすぐにわたしは内心悲鳴を上げた。
すぐ隣のジェレミアが、そっと手を握ってきたからだ。今度は違う意味で気が休まらない。
だって、本当に久しぶりなのだ。
こうして声を聞くのも、姿を見るのも――触れられるのも。
「夜になっても、君が戻ってこなかったときは、居てもたってもいられなかった。こうして、ちゃんと掴んでいないと今でも不安になる……無事で良かった」
「ご、ごめんなさい」
握られた手があたたかい。それにすごく安心感を覚えながら、わたしは謝った。
そんな思いをさせたくなかったのに。
後悔が押し寄せてくる。
「いや、ただ、知っておいて欲しいだけなんだ。もし君の身に何かあれば、私がどう思うかを」
わたしははっ、として彼の顔を見た。
困ったような、少し苦しそうな笑顔に胸が痛む。
今まで、それほど軽率な行動をしてきたつもりはない。しかし、今回ばかりはそうとも言えない。
気持ちが先走って、危険を考えなかった。
わたしはちゃんとジェレミアの目を見て頷いた。
「はい、気を付けます」
「そうしてくれ。でないと、色々な意味で私の心臓が持たない」
言いながら、ジェレミアは握った手をもてあそぶように握り直したり、指を絡めたりしてくる。
どことなく、意図を感じるような感じないようなその仕草に、わたしはどうすればいいのか困惑した。しかも、終いにはその手をすくいあげるように持ち上げて、甲にキスをしたのだ。
突然のことに、何の反応も出来ない。
わたしが固まっていると、ジェレミアはふっ、と目元を緩ませて笑った。一体なんの笑みだ、と硬直したまま訝っていると、彼は手を離さないまま言った。
「その様子だと、あの彼とは何も無かったようだな。安心した」
「なっ、え、な……何も、って……っ!」
ジェレミアが何を言いたいのか、すぐにはわからなかった。だが、理解できると一気に血が頭にのぼって、頬が熱くなる。
つまり、ジェレミアは捕らわれている間に、わたしとパオロの間に何か男女間の結びつきがなかったかを気にしていたのだ。
「そんなこと、ある訳ないじゃないですか。だって、パオロはただの友達で……」
「向こうはそうじゃなかったようだが。もし力ずくで来られたら、君では抵抗できない」
「それはまあ、そうですけど」
言われてみればその通りだ。全然これっぽっちもそんなこと心配していなかったが、確かにパオロには好きだと言われている。
「君は男を信用し過ぎだ。今回はそれが間違っていなかったようだが、今後はもう少し気を付けて欲しい」
向けられた目が微妙にコワい。
口も笑みの形をしてはいるが、物騒な印象を受ける。だというのに、それが恐ろしいほどに会っているのはどういうことだ。
思わず、珍しすぎる光景に見入っていると、ジェレミアはさらに言葉をつづけた。
「そうでなければ、その男に何をするかわからないぞ。私は」
背筋がぞくりとする。
これは本気の目だ。
と言うか、何をするつもりなんだ。わたしの今回のお粗末な行動のせいで、ジェレミアがおかしくなってしまったのだろうか。
だとしたら申し訳なさすぎる。
こんなことを言うひとではなかったはずなのだ。
何としてでも、二度とこんな発言をさせないようにしなくては。とは言え、この表情のジェレミアも、それはそれでとても見応えがあるには違いない。
しかし、それとこれとは話が別だ。
わたしはきっぱりと言った。




