(59) 不安に揺れて
つかまれた腕が痛いのと、歩幅が違いすぎて小走りになってしまい、わたしは質問も出来ずに連れていかれるしかなかった。
――何が起こったの、確か人質って言ってたけど……。
男はこちらの様子など目に入らないのか、ただ引きずるようにわたしを連れていく。やがて、前方から別の男たちがやってくるのが見えた。
彼らもまた、誰かを連れていた。その姿を目にすると、わたしは思わず叫んでいた。
「ルチア!」
「ロレーヌお姉様!」
向こうも気づいたのかわたしを呼ぶ。しかし、男たちはそんなわたしたちの様子など構うことなく、互いに目を合わせて頷き合う。
合流した男たちは、ふたたび歩みを開始した。
わたしとルチアも目を合わせたものの、声を掛けあう余裕もない。途中で、わたしと話した人たちとすれ違った。
全員、驚いた顔でわたしたちを見る。
「お前たちはここにいろ。いや、可能なら逃げろ!」
男はすれ違った仲間にそう言い捨てた。しかし、腑に落ちないらしい仲間が声を上げる。
「何があったんだ、まさか、ここがバレたのか」
「そうだ!」
男が立ち止まり、苛立たしげに返事をした。仲間たちはその言葉にひどく驚いて、顔を見合わせる。
「なんてことだ、あれほど皆で話し合って、色々と対策を講じたのに。やはり、装備の違いか」
「情報と物量だろう……とにかく、どうするか決めないと」
そうする間にも、パオロが「銃声」といっていたあの音が何度も響いてくる。
男は「行くぞ」と言って話し合いを始めた仲間たちを無視し、歩き出す。思わず足がもつれかけるが、何とか転ばずに済む。
わたしは思った。
――もしかして、警察がここを見つけたんじゃ?
だとしたら、先ほどの「人質」という言葉や彼らの恐ろしく焦った様子や、逃げろというセリフにも合点がいく。
つまり、ようやくここから出られるかもしれないということだ。それに気づいてしまうと、もうそれしか考えられない。希望と不安が入り混じって、心臓が激しく打つ。
やがて、大きな声が耳に入るようになった。その場所は、城の入口となる場所らしい。来たことが一度もないので、はっきりとはわからないけれど、見上げるほどの門があるので間違いじゃないと思う。
歩き回った時に教えてもらったのだが、打ち捨てられる前までのこの城は単なる住居として使われていたらしく、映画とかで見る跳ね橋みたいなものはないそうだ。
なので、ここへ侵入しようとするものを阻むのは、ただの巨大な扉一枚だということになる。
カッシーニ達が何も準備していないとは思えないが、それでもこうして近くで音がする、ということはもうそれは破られたのだろう。
わたしは前方を喰いいるように見つめる。
本当に、久しぶりに祈った。ここへ来ているひと達が、わたしを助けてくれる側の人間であって欲しいと。
だって、ずっと、家族と連絡も取れていないのだ。
ジェレミアの、顔も見られていない。
それが、本当はずっと苦しくて悲しかったのだ。
思わず、唇をぎゅっと引き結んでしまう。もし期待外れだったら、しばらくは立ち直れないかもしれない。
少しずつ、光が強くなる。廊下の薄暗さから、光の射しこむ広間へ向かっているのがわかる。
不意に、小さな金属音がした。
視線を移動してそちらを見て、ひゅっと息を飲む。
わたしの腕をつかんでいる男が、どこからかナイフを取り出したのだ。それが、首に近寄って来る。
悲鳴も出ず、それを突き付けられたまま、光の中へと踏み出す。
出た場所は大階段だった。
視界が一気に開け、わたしは対峙する人々を見下ろす。片方はもちろん記憶持ちたち。そして、もう片方は街で何度も目にしてきた制服の集団だった。けれど、もうひとつ、別の制服をまとった集団が混ざっている。
――あれは、軍の制服?
わたしは驚きに目を見張る。
どうやらわたしを連れてきた男たちも同じく驚いたようで、のどから呻くような声をあげてつぶやいた。
「何だよ、何で軍まで出張ってきてやがるんだ」
「おい、まさかと思うが、あれ王子じゃないか?」
男たちの顔が青くなり、声に微かに震えが混じる。
わたしはふと、王族に生まれながらあえて軍属して前線で指揮を執る王子の姿がすぐに目に浮かんだ。
その時の光景は目に焼き付いて離れない。わたしだけでなく、大体の女性はみんなそうだろう。
それくらい印象的なひとだった。
王子は整った甘い顔立ちをしており、考えの読めない笑みを常に浮かべていた。長めの栗色の髪は癖が強く、優しげな印象をプラスしていた。
わたしのものとは似ていない金の瞳は大きめで、誠実な感じを受けた。体格も良くて、軍服が恐ろしいほど似合っていた。
社交界にお披露目されたときに謁見しただけだが、完全に別世界の住人だと心の底から実感しまくったのは記憶に新しい。
そんな御仁がこんな場所になんているはずがないではないか。そう思ったわたしの目に、彼らの言葉通りの存在が映った。
すぐには信じられなかった。
それだけではない、件の王子のすぐ近くに遠目でわかりづらいけれど見覚えのありすぎる人物が立っているのが見える。
わたしは一瞬息が止まった気がした。
――ジェレミア……。
そのひとは、わたしがずっと見つめ続けてきた姿と変わらない姿でそこにいた。彼はわたしを、わたしだけを凝視している。
その視線は、大丈夫だ、と言っているようにわたしには思えた。
どんな宝石よりも綺麗だと感じたあの青い瞳を思い浮かべる。あの目に、こんな風に見つめられる時が来るとは思わなかった。
知らず、体が震える。
やはり、彼はわたしを探してくれていたのだ。
どれほど心配を掛けただろう、とか、きっと怒られるんだろうな、とか、色々な考えが浮かんでは消える。
最後に残ったのは、ただ嬉しい、という想いだけだった。
目頭が熱くなってくる。でも、ここでは泣けない。泣いていいのは、もう少し後だ。わたしは溢れそうになる思いを殺すために、顔を引き締める。
それでも、少しだけ涙ぐんでしまった。
「長官もいるぞ。何だか笑えてきたな……」
「ああ、何か大物になった気分だぜ」
乾いた笑い声を上げる彼らは、完全に腰が引けていた。それでも、下の方で怒号を上げるカッシーニと目が合うと、すぐにそれも消えた。怯えは残るが、今度は決意が感じられる動きで、息を吸う。
わたしはついに来たか、と身を縮めた。
「そこまでだ! こいつらが死んでもいいのか!」
耳が痛いほどの大きな声が頭の近くで発される。
わたしは顔をしかめたが、首の側にあるものが光を反射するのを見て、小さくのどを鳴らして階下の光景を見る。
男の声の後、視線がこちらに集中するのがわかった。




