(57) 霞む希望
結局、わたしには何もできない。
状況も変えられないことが良くわかってしまったからだ。
力のない子羊は、おとなしく生贄にされるしかないのだろうか。そう思うとやるせなくなる。
カッシーニは、「さて」と言うと席から立ち上がった。話はこれで終わりと言うことなのだろう。わたしは彼に目を向けるのも億劫に感じられ、うつむいたままテーブルに残った料理を見つめた。
あれほど美味しそうに見えたのに、今はみんな石や砂でも盛られているようにすら感じられる。
「今夜は話せて楽しかったよ、ロレーヌ嬢。もし何か必要なものがあれば何でも言ってくれ、出来る範囲で用意するから。それじゃあ、また」
カッシーニはわたしが自分を見ていないことなど構わずにそう告げると、何人かを引きつれて食堂を出て行った。
遠ざかる足音。
それが完全に聞こえなくなって、ようやくわたしは息をつく。
「ロレーヌ、大丈夫か?」
席を立ち、こちらにやってきたパオロが心配そうに顔を覗き込みながら言う。すぐには返事ができなかったけれど、何とかのろのろと顔を上げて、わたしは無理に笑った。
「うん、何とか。でも凄く疲れたかな」
「そっか……もう戻るか?」
パオロの声はどこまでも優しくて、そのまますがってしまいたいような気分にさせる。
わたしは少しの間何も言わずに、ここを出ていくひとたちの姿を眺めた。それから、ほとんど誰もいなくなって、ようやく言った。
「ねえ、ひとつ聞いてもいいかな?」
「え、うん。いいけど……」
困惑が声から伝わってくる。
でも、わたしはどうしても聞きたかった。
「パオロは、後悔してないの?」
何を、とは言わなかった。言わなくてもわかる気がしていたのだ。パオロはしばらく逡巡してから、ぽつりと言った。
「してるよ」
「逃げ出そうとは思わなかったの?」
そこで、わたしはようやくパオロの顔を見ることが出来た。彼はちょっと困ったような顔で、微かに笑みを浮かべた。
「思ったけど、出来なかったよ」
「どうして?」
「だって、ここにいる奴らは仲間だ。少なくとも、痛みや苦しみはわかってもらえる。それに、今はロレーヌがいるから……」
それを聞いて、わたしは力が抜けた。と同時に、やっぱりパオロは優しいのだと感じた。だからこそ、わたしはこんなことに関わって欲しくなかった、と今さらながら思った。
「もう、後には引けない……この国が変わらなければ、どっちにしても変わらないだろうから」
「そう、だね」
パオロの言葉を聞きながら、わたしはどうしてこの道しかなかったのだろうと思った。
もっと、平和的な方法があったら良かったのに。
それを、見出せる力がわたしにあれば良かったのに。
室内に置かれたランプの数が減り、食堂が暗くなる。全く先の見えない闇が、ずっと広がっているように見えて、わたしは小さくため息をつくと、言った。
「戻ろうか、寒くなって来たし」
「ああ、そうだな」
答えたパオロの顔を見る。
手にしたランプの明かりに浮かび上がる顔は、やっぱりびっくりするほど整っていて、妖しくすら感じられる。
それを目にしたわたしの脳裏に、同じように夜闇に浮かぶ美麗な顔が思い出され、自然と胸の辺りに手を置いた。
パオロはその仕草には気づかず、ゆっくりと歩き出す。
「暗いから気をつけて」
「うん」
頷きつつも、きりきりとした痛みにこっそり眉根を寄せる。わたしは考えても無駄なんだから、と言い聞かせながら歩く。
やがて、無言のまま与えられた部屋に辿りつき、ベッドを見るととてもほっとした。
「それじゃあ、おやすみ」
「うん、また明日」
いつものように、わたしはパオロの挨拶に応えた。そのすぐ後に閉じられた戸に、鍵が掛けられる。
その音が、妙に重く響いた気がした。
小さく頭を振り、わたしはベッドへ行くと座り込む。閉ざされた暗い部屋。明かりはあるし、呼べば誰かが来てくれるようになっているけれど、わたしは思った。
――寂しい。
そんなこと、ここしばらく感じたことなんかなかったのに。
「思ったより、辛かったみたい」
ひとり呟いて、わたしはベッドに横になった。
◆
翌日も、わたしはパオロを引きつれて話を聞くことにした。
「平気なのか? 今日は休んでた方がいいような顔色だぞ?」
しきりに心配してくれるパオロに、わたしはきっぱり言った。
「あの部屋にひとりでいたくないの」
真っ直ぐに目を見て言い切ったわたしに、二の句が継げなくなったらしいパオロは、大きく嘆息して頭を掻くと、少し怖い顔をした。
「わかった。けど調子が悪いようなら戻るんだぞ」
「そうするわ」
言いつつ、休憩をはさみながらにしようと思って城の中を歩く。
まだ話を聞いていないひとはいるにはいるが、残るのはこちらと会話すらしないような人物ばかりだ。
話すのは難しいだろうなぁ、と思っていると、対面から何度か言葉を交わした人物が歩いて来るのが見えたので、わたしは挨拶をしようと顔をあげる。
すると、向こうも気づいたが、同時に変な顔をした。
仲間の中で最も年齢のいった、背が低く、やせ気味で雑に切った髪にも白いものが混じった、やたら真面目そうな顔つきの男性(わたしはおじさんと呼んでいる)は話のしやすい距離まで来ると、困惑気味に言った。
「その、君……大丈夫なのかい?」
「え?」
「いや、かなり顔色が悪いようだし、休んだ方が良くないかい?」
どことなく心配そうな様子でこちらを見てくるおじさん。わたしは否定しようとしたが、パオロが早かった。
「でしょう? 俺もそう言ってるんですけど聞かないんですよ。まあ、恐らく昨日カッシーニさんと話したからだと思うんですけど」
パオロがそう告げると、おじさんは納得したような顔になった。
「ああ、なるほど。原因はそれか」
なんでそれだけでわかるんだ、と思いつつおじさんを見れば、彼は何度も頷いてどことなく同情しているような視線を送ってきた。




