(45) 怒り心頭なルチア
そう、そこに捕らわれていたのは、帽子屋でのあの事件以来音沙汰のない、出来れば会いたくない人物だった、エミーリオ・カルデラーラ中佐だったのである。
彼はわたしの問いにやや困ったように言った。
「いや、ちょっと失敗して捕まっただけですよ。それより、貴女がどうしてここにいるんです?」
「それは……」
「その声、お姉様? ロレーヌお姉様なの!」
少し離れたカーテンで仕切られた方から上がった声に、わたしは反射的にそちらを見た。もちろん、ここからじゃ何にも見えない。わたしは一応エミーリオに「また後で」と告げてからそちらへ向かった。パオロも止めない。
ほとんどぼろ布状態のカーテンの向こうへ行くと、そこには大きめの檻に入れられたルチアがいた。ご丁寧にも、中には寝台が置かれ、細々としたものが用意されている。
何枚かの毛布と必要最低限のものだけ置かれたエミーリオとは扱いが違う。それに、近くには暖炉もあるので暖かい。
「ルチア! 良かった、やっと顔を見れたわ」
「助けに来て下さったの?」
ルチアはかなり驚いた様子で、申し訳なさそうに問うてきた。わたしは頷いて、その場に座り込む。それを見たルチアは、目を伏せて言った。
「あの、ごめんなさい……勝手なことをして。もっとちゃんと、お姉様の言うことを聞くべきだったのに」
「それは、そうね。でも無事で良かった」
「でも、お姉様……わたしを捕まえた奴らは、お姉様が目当てだって。わたしのせいで、お姉様の評判に傷が……」
そこまで言って、ルチアははっと顔を上げた。どうしたのだろうと思って振り返ったわたしは、パオロがやって来ているのに気づいた。彼は少し気まずそうな顔をしていたが、ルチアはパオロの姿を見るなり目がつり上がる。
「……ようやく顔を見せたのね。いいひとだと思ったのに、よくも騙してくれたじゃない。わたしをいいように利用して、絶対に許さないわ」
「いや……利用するも何も……」
「わたしがまだ若いから使えると思ったのね。ええ、騙されたわ、自分が馬鹿に思えたわよ。だって、馬鹿だったんだもの、仕方ないわよね。でもだからって、利用していいわけがないわ。
やっぱり、階級の低いひとを信じるべきじゃなかった。生きる世界が違いすぎるのよ。このくらいの悪事、平気でこなせなければ生きられないのでしょうし。
ええ、そうよ、わたしたちなんて鳥のヒナみたいなものですものね……もう二度と関わりたくないわ。
だけどっ!」
パオロが言いかけたセリフを遮り、ルチアはつらつらと恨み言を並べると、突然声を張った。
「貴方には報復するわ、こんなひどいことして、許さないから。若い女性をふたりも傷物にしたんだもの。お返ししなければ気が済まないんだから。そう、そうだわ、公爵邸での情けない姿とか手抜き仕事とか、全部報告してあげる。これからわたしが会う使用人全員に言いふらしてやるわ!」
「……」
肩で息をしながら宣言したルチアをパオロはなんとも形容しがたい表情で見つめる。
わたしはわたしで、どう反応したら良いのか迷って黙り込んだ。
ここは、淑女がそんなことしちゃいけませんとたしなめるべきか。でも、上流階級で結構影響力のあるレディたちもその程度の悪口雑言ならお茶請け代わりに良く言っている。
それより以前に、パオロにはそもそもルチアを人質にする気がさらさらなかったことを言うべきか。
けれど、それを言ってルチアが信じてくれるだろうか?
なんとなく無理そうに思える。
それにまあ、これで困ったこと、つまりパオロと恋に落ちてしまったから駆け落ちする、なんていう事態は避けられた訳だ。
誤解もかなりあるけれど、それはおいおい何とかすればいいのではないだろうか。
などと考えていると、ルチアは今度はわたしを見た。
「ロレーヌお姉様、本当にごめんなさい。こんなろくでもないゴミのような男の毒牙にかかってしまって、巻き込んでしまって……でも、大丈夫よ。
わたしがちゃんとジェレミア様にお伝えするから、これはわたしのせいであって、お姉様には非がないって……だから、ご心配なさらずに、助けを待ちましょう」
「え、えーと、うん」
うるうると目を潤ませ、美少女ならではの迫力で言われてしまったわたしは、頷くしかなかった。なんという悲劇のヒロイン。ヒロインの独壇場だ。これが劇ならまさに見せ場だ。すごく似合っている……けれど、誤解しまくっているせいで色々と台無しになってしまっているのだが。
とりあえずわたしは思った。
――うんまあ、元気そうで良かった。
この様子なら助けが来るまでなんとかなるだろう。何より、そっと周囲をうかがうと、見張りのために立っている人たちすらエミーリオ寄りに立っている。ようするに、避けられているのだ。
これなら身の危険も低そうだ。
そう確信したわたしは、ルチアの檻から離れると問うた。
「……パオロ、デニーはどこ?」
「え、ああ、あいつは別の部屋だけど」
「そう、じゃあ連れてって」
「わかった」
パオロはこっちだ、とある方向を指さしつつ先導してくれる。まずは部屋を出るようだ。
すると、ルチアがそれを見て悲鳴を上げた。
「ちょっと! ロレーヌお姉様をどこへ連れていく気なの、まさか、何かしようっていうんじゃないでしょうね。だめよ、そんなことをしたらジェレミア様が黙っていないわよ。海の藻屑にされちゃうんだから、何かしたら命はないからっ!」
それを聞きつつ、わたしはルチアの中のジェレミアは一体どうなってるんだろうと思ったが、聞くのが怖いのでそれはやめた。それから、振り返って言う。
「ルチア、また来るから!」
「お姉様!」
檻にしがみついてわたしを呼ぶルチア。
それを聞いたパオロが呟いた。
「何か、俺すごい悪者になったみたいで胃が痛い」
額に手を当て、やたらと大きなため息をつく姿を見て、気の毒とは思ったものの、わたしは言った。
「だって、悪者っぽいことやってるんだからしょうがないでしょ」
それを聞いたパオロは嫌そうな顔をしたが、「わかってるよ」と言っただけでそれ以上は反論してこなかった。
わたしは苦笑し、彼につづいて部屋を出ようとした。
その寸前、ルチアのことで頭から消えていた人物の声が飛び込んできた。




