人間関係混雑中
午後になると、わたしは覚悟を決めて部屋を出た。
ちなみに、良い考えは全く浮かんでいない。あまりにも思考がぐるぐる堂々巡りを繰り返したせいか、終いにはなるようになりやがれ、とややヤケ気味に外出することを決めた。
わたしはびくびくしながら怯えたねずみのように外へと出た。
部屋にいてもどうにもならないし、わたし如きの無きに等しい脳みそじゃ何にも良いアイデアは浮かぶまいと諦めた結果だった。
こうなったら戻ってきたジェレミアを頼るより他はない。
彼の脳みそに期待することにしよう。きっとわたしよりは優れているはずだ。
大体、彼に偽恋人役を頼まれなければこんな事態にもならなかったのだ。責任とって彼に脳みそをフル回転して貰おうじゃないかと開き直ったのがついさっきのことだった。
廊下は閑散としていて誰もいない。
確かこの館には結構な数の書物があると聞いた。適当な使用人を捕まえて、図書室へ案内してもらおうかと辺りを見回しながら歩いていたら、後ろから声を掛けられた。
「やあ、体調は良くなったのかい?」
振り向くと、アウレリオが相変わらず謎めいた笑顔を浮かべてこちらへ近づいて来るところだった。
「あ、はい。休んだら回復しました」
「そうか、きっと昨日踊り疲れたんだね。ジェレミアはずっと君を離さなかったし」
彼の言葉にわたしの脳はオーバーヒートを起こした。きっと頭から湯気が出ているに違いない。あまり考えないようにしていたのに、いざ爽やかに言われてみるとこんなに恥ずかしいことはない。
「そんな……たまたまです」
「ははは、まあ仕方ないさ。恋に落ちたばかりの恋人たちは大概そういうものだよ。別に君たちだけじゃない。それより、実は君のことを探していたんだ」
「え、わたしをですか?」
それはあなたの勘違いだ、と告げる間もなく、彼は何やら懐をごそごそと探り、薄い紙を取り出してわたしに差し出して来た。
手紙だ。困惑しながら受け取り、アウレリオの顔を見やると、何やら照れたようなはにかんだ笑みで恥ずかしそうにしている。
「それを、ドロテアに渡して欲しいんだよ。君と同室だとさっき聞いてね……直接渡すのも気が引けたし、君なら頼みやすいかなと思ってね」
「はあ……わかりました。これをドロテアに渡せば良いんですね」
そう言った後で、ふとふたりはいつ知り合ったのだろうという疑問がわく。そんなわたしの不思議そうな顔に気づいたのか、アウレリオは嬉しそうに説明してくれた。
「実は昨日の舞踏会で相手役をつとめさせて貰ったんだ。最初は性格のきつそうな女性だと思ったんだけど、話して見るととても気が合ってね、その手紙はお礼なんだよ」
「ああ、そうだったんですか。彼女、見た目で結構損しているんです。全然そんなことないのに、そのせいで意地でも自分の良さに気づける殿方を見つけて結婚してやると意地になっていて、カルデラーラ卿はお気づきになられたんですね」
「ええ、だからもっと彼女を知りたくて、狩猟を辞退してお茶会にお邪魔していたんだ」
どうやらそこでドロテアがどういう人物なのか確信を得たらしい。いとこがまた誤解された悔しいと嘆く姿を何度となく目撃してきたわたしとしては嬉しいことだった。
「そうでしたか、では、ちゃんとお渡しいたしますね」
「お願いしたよ。足止めをして悪かったね、ではまた」
アウレリオはそう言うと、爽やかに去っていく。
その後ろ姿をほのぼのした気持ちで眺めてから、わたしは流麗な筆致で記されたドロテアの名前を見る。明らかに恋文だ。
良かったなあ、と思ったところでふと気がつく。
これは不味いのではないだろうか。
ドロテアはジェレミアに憧れている。彼はドロテアの容姿にあまりこだわらなかった最初のひとであると聞いたことがある。以来、あの方と仲良くしたいと何度も聞いた。
一方のジェレミアはわたしに虫よけを依頼するほど傷心なのだ。理由はタチアナがグリマーニ卿と結婚してしまったからだろう。
そして、そのドロテアにアウレリオが恋してしまったらしい。
ジェレミアの話だと、彼は放蕩者なのだそうだ。今回の事も火遊び程度だったらどうすれば良いのだろう。これを渡してしまって良いものだろうか?
「ど、どうしよう」
しかし、約束してしまった以上はどうしようもない。
それとなく彼は「放蕩者」だよとドロテアに伝えてみるしかないだろう。
「あぁ、面倒くさい」
「何がだい、レディ?」
「ぎゃーーーっ!」
突然後ろから掛けられた声に、わたしは色気のない全力の叫びを上げた。振り返れば、やや髪の乱れたジェレミアがぎょっとした様子で佇んでいる。
いつもの洗練された服装ではなく、狩猟用の服装をした彼はやはりどこまでも絵になるほど素適であった。銃を持って森の中にいれば、まるで伝説の義賊のようだ。
しかし、彼が立っているのは館の廊下で、手に銃を持っている訳ではない。
どうやら着替えに戻ってきたようだ。
ジェレミアが幻ではないとわかると、わたしは胸に手を当て、激しい動悸が静めるために大きく息をした。相変わらず心臓に悪い男だ、と心から思う。
「そんなに驚かなくても良いだろう、私は化け物か」
「す、すみません。考えごとに集中していたものですから……お帰りになってたんですね」
「ああ、ついさっきな。それより、それは何だ?」
ジェレミアの青い目が、危険な色みを帯びてわたしの手元に注がれている。
「ええと、ある方からの預かりものです。わたし宛てではないですが」
「ほう、差し支えなければ教えて頂いても?」
「当人の許可を得ていないのでだめです」
答えると、ジェレミアの目が光った気がした。なぜそんなに気になるのだろう。やはり「恋人役」が怪しいものを貰っては困るということだろうか。
「本当にわたし宛てではありませんよ?」
「何度も言わなくてもわかっている」
「だって、目が疑ってらっしゃるから……それより、何か収穫はありましたか?」
わたしは話を反らした。ジェレミアは一瞬眉間にしわを寄せたものの、すぐにその日の狩猟結果について教えてくれた。やがてその話が終わるのを見計らい、わたしはおばに勘違いされてしまい、婚約話が進められてしまいそうなことを伝えた。