最低男と錯乱女…それでも彼らは…
一年ぶりに帰ってきましたよー!飽きずに覗いてきてくださった方に感謝感激雨あられでございます!どうぞおたのしみくださいませ!
感情の澱の底に漂っていた私が分けられて産まれたとき、私は元の人格に嫌悪した。ぬるくてそれでいて気持ち悪い。叱ってほしいなんて良い子ぶってる時点で嫌だった。
しかも産まれた私は最初から生きる選択肢が決められていた。そのように望まれていた。さらに私を分けた原因の『それ』は有象無象な癖に私を乗っ取ろうなんて…なんて、羨ましい。妬ましい。恨めしい。憎ましい。もどかしい。
ねえ、誰でも良い。こいつら以外なら誰でも良い。『誰か…誰か私に気づいて』ーーもし、お面に命が宿ったのならそれは何を思うのだろうか。胸中にあるのは偽りか、真実か、それともーー
ある日私はあやふやな仮面であったその存在に確固たる生を持ちました。私は敵意と罪から逃れるために育てられた生け贄です。だから私は盾になり一身にその悪感情を請け負いました。私は身体を持ちません。だから誰にも気付いて貰えません。泣き言を言おうとしてもそれは『元』のマネになります。だから結局一緒くたにされる。私の存在を主張しても、きっと誰も取り合ってくれません。
私を孕んだ母たる存在は泣いてばかりで自分がそうなるのが嫌だからと私を悪意の的へと差し出しました。私に嫌悪を向けられていても言われるまで気づきません。
私を母から取り上げた父たる存在は母に成り代わろうとして道具として私を取り上げたことを知りました。そして私に玩具を与えるふりをしつつ、自分の思うままに動かそうとしていました。そんなものを与えられても私に向けられるのは敵意と悪意と、手繰る玩具の解りきった薄っぺらい言葉と私自身からくる虚しさと寂しさでした。
私は逃げようとしても身体は両親と一つです。逃げられる筈がありません。
だったらーーだったらもういいや。足掻くのは止めます。望まれた通りに生きることにします。
誰からも嫌われて、私ともどもこいつらを破滅させてやる。
こいつらが地獄に落ちるなら本望だ。その時はきっとーー私は、幸せだろうから。
ああでも、私を心配する人達が居てくれた。例え、貴方たちが私を知らなくても私を庇ってくれていたことが何より嬉しくて…、何より憎かったけれど。ーー
屋上の全てが爆炎に飲まれ、ほとんどの物が爆風に吹き飛ばされた。
が、「あー…、痛ってー。まだイガイガするけどやっと喉に空いた穴が元に戻った…。で、お二人さん無事?」
地面に身の丈以上の木で出来た大剣を突き刺して盾のようにして爆風を凌ぎ、両脇に成人男性二人を抱え込んで隠れた男がいた。
遥人は辛うじて助かったものの熱風で右腕に火傷を負っていた。
「すまな…ムグッ!?」
遥人が口を開いた途端、即座に残っていた服の袖で口と鼻を塞ぐ。
「あっぶね~…、今は動いたり目を開けたり息吸ったり喋ったりはなるべくすんな。下手すりゃひっでえ火傷全身に負ったり、気道が焼けて窒息したり、失明したりすんぞ。我慢できなくなったら当ててある布越しから軽く吸え。分かったな?」
こくりと頷き、大人しく両手で袖を口に押し立てる。
「おい旦那。しっかりしろ!俺の言ってることが分かるか!?」
緋牙は最も重症で全身が焼け爛れ、真皮まで見えている上に右腕と足が千切れている。しかも吸った毒が抜けきっていないのか目の焦点が合わず、ガクガクと体が痙攣している。
(爆発でぶっ飛ばされた所を運良くキャッチしたものの、こりゃやっべーな。まあ、もろに吸ったうえに至近距離で爆発を受けたわけだしな。皮膚も再生出来ない位しんどいみたいだし…しゃあねえ、痛み止め代わりになるかどうかは分かんねえけど噛んでみるか)
「旦那、先に謝っとく。今からきっつい毒を体に入れっから覚悟しろよ?」
そう言って口をもごつかせ、緋牙を抱き寄せて首筋に顔を寄せて、ーー噛みついた。
「ぎっ!?」
(先に麻酔を全身に回させる為にかなり深く噛む必要あるし、もうちょい我慢してくれ)
「ギッ…ガッ!!ギャアアア゛ア゛ア゛ッ!!」
更に食い千切らんばかりに噛む力が増して、目を見開き、悲鳴を張り上げ、残った手足をばたつかせて抵抗しようとするが、急に手足の力がガクンと抜け、火傷によって感じていた全身の痛みがスッと引いていく。
「うっ、ぐ…はー…はー…」
(回ってきたか)
「で、どう旦那?少しは落ち着いたか?」
【…てめえ、後で肩砕いてやるからな?】
雅鬼の頭の中に声が浮かんでくると同時に緋牙が火傷だらけの顔では睨み付ける。
「うわぁ~…。助けたはずなのになにこの扱い。ひっでえ」
【ぬけぬけと良く言えるな!!あんなにきつく噛むやつがあるか!?火傷と毒できつかったのに意識吹っ飛ぶかと思ったぞ!?】
先程から口は息以外はまったくもって動かしてはいないが会話は成り立っている。
「まあまあ、結果的に楽にはなったでしょうに。つか旦那。そこまで痛いならその『体』捨てて新しいのに変えれないんすか?こんなに駄目になった体に残る必要性無いでしょうに…」
【取り変えたいが、流石に傷の再生にストックを使い過ぎた上に喰らった毒が厄介で無理だ】
「どう厄介なんですか?」
【この体から抜け出たら霊体が焼けて消滅する。ありゃ毒ガスっていうより自分の周りの空間を自分用に清めるやつだ。生者死者果ては善悪関係なく殺しにかかる】
「おおう…。旦那も大変なんですね。で、その毒抜けるんですか?」
【ん~…抜けるには抜けるけど時間かかるな…。しかもその間この体維持する必要あるしな。その間動けなくなるぞ?】
「ん?え~と…、旦那。つかぬこと聞きますがその状態で『他人』 に憑依して動くことって出来ます?」
【なんだいきなり?やろうと思えばやれるが憑つやつが俺を受け入れないと体の拒絶反応でどっちもえらく疲れるし、霊媒に慣らした体質の持ち主じゃなきゃ体ぶっ壊れるぞ?俺は基本的に使ってる体は駄目になったら使い捨てるからかなり雑に扱うし】
『そうですか…。旦那、提案があるんですが』
【なんだ?】
『その体、捨ててくれないですか?』
黒煙が晴れて、床のコンクリートから立ち昇る陽炎が揺らめく中、へたりこんでいた一人の女性がゆっくりと立ち上がった。
「…ふふ、うふふふ。あふふふふふ。あー…。すっきりした。うるさいのがぜーんぶ、消えたしぶっ飛んだ!あははは!!気持ちいい気持ちいい!!気持ちい…?」
くるくると回り、荒廃した風景を悲喜入り乱れた感情で見渡しながら彼女の視界に床に刺さった大きな剣が目に入った。
「あれぇ?さっきので吹き飛ばかったのかなぁ?」
尾が変形しギラリと怪しく光る刃へと変形する。
「まあ目障りだし、薙ぎ倒しちゃえ。…後ろの人たちごと、ね?」
三つの尾が縦に薙ぎ、横に袈裟斬り、正面からの突きが大剣を壊そうと襲い掛かってくる。
が、届こうとした瞬間大剣の影から人影が出てくる。
「さよなら、せめて醜い死体が残らないようにしてあげます」
その陰を確認しながら指をパチンと鳴らす。あえなく軌道を修正された尾に胴体を真っ二つにされて、人影が炎に包まれ一瞬で消し炭になり、ぐしゃりと残りの尾に潰された。
(さて、一人始末した。あと一人…)
「だらあああああっ!!!!」
引き抜かれた大剣は一振りで、その三つの尾を弾き、玉藻に向かって突進してくる。
「そんなの最初から分かって…!?」
(一人しかいない!?もう一人はどこにっ!?)
気づいた時にはもう、『彼』は彼女の懐に入っていた。
「玉藻…」
切なげな瞳が彼女を捉え、差し伸べてくる手に一瞬体がすくんだが、
(遥人さん!?いや、違うこいつはっ!!)
その手を払い落とし、その目の前で指を鳴らし、火花を散らして退けた。
「チッ!何でバレた!?」
飛び退いた彼の体から灰茶色の薄く透けた獣の耳と尾が霧のようにうっすらと視認できた。
「あらよっとおお!!」
「っ!?」
気を取られている隙に雅鬼の刃が迫ってくるものの、その刃は玉藻の体を切ることなくすり抜けて空振る。そして彼女の姿は周りの背景に溶けるようにあっさりと消えてしまった。
「やべっ…、さすがにこれはしくじった…」
「貴方も落ちてくださいね?」
雅鬼の後ろから声が聞こえた瞬間、彼の体は外に向かって吹っ飛ばされ、落ちるか落ちないかのギリギリの所で止まった。
(落とすつもりだったのに思ったより力が出ませんねぇ。やっぱりもう限界か…その前に)
「あんまり手間掛けさせないでくださいね?」
起き上がろうとする雅鬼に向けて指をさすと彼は石のように動けなくなった。
「ぐっ!?」
「神通力と金縛りか…随分と短時間で使いこなせるようになったじゃないか」
「それはどうも。そんなことよりその体から出ていってもらえませんかねぇ?」
聞き慣れた声にはっと気づいて指をさしたまま視線を遥人に戻し、睨み付ける。正確にはその体の中に潜む悪霊に対して、だが。
「そいつは出来ない相談だ。なんせお前が俺の体を木っ端微塵にしただろ?無理だっつーの?俺を殺したかったらこの体ごとその尾で切っちまえよ?今なら案外簡単に切れると思うけどな」
「貴方こそさっきまで私を殺す隙が出来たはずでしょう?なんで殺さなかったんですかぁ?」
「宿主の意向だよ。逆らったら出ていかされるんで渋々従ってるだけだ。本当は今すぐにお前の喉笛食いちぎりたいけどな」
玉藻は動揺していた。先程まで向けられていた殺意は無くなっており、今は目に見えて手をあぐねている。
「いちいちムカつく事を言いますねぇ?というか、畜生の分際で小賢しいことをしますねぇ?正直、イラつきます。でも私、こんな出来損ないでもこれくらいの芸当は出来ますよぉ?」
ふう、と口に手を当て息を吹くとごうごうと風が吹き始めた。風を浴びた瞬間に遥人、いや彼に取り憑いた緋牙の体が消し飛ばされていくが、落ち着き払った態度で事も無げに言った。
「言っておくが俺を消したら俺は元よりこいつは熱風で焼け死ぬぞ?」
「っ!!」
その瞬間ピタリと風は止む。
「そん…なはず、そんな筈はっ!?…じゃあ、なんで私は平気なんですか!?」
「簡単なことだ。お前の体が俺達寄りに成り始めてるからだよ。それにお前自身は無意識だろうが使う術が制御できてるんだよ。まあ、それ以上力を使い続ければ俺らと同じ化け物になるぞ?ましてやそんな滅茶苦茶に力を使ったんだ。もうそろそろ止めないと人間にも戻れやしない。言っておくが俺らの世界を選ぶなら人間の常識や記憶は簡単に崩れるからな?」
不安なのか取り乱し、一瞬言葉を失う。が、
「あはは、あははは…。ウ、ソばっかり…。もう長くないのに…消えちゃうのに…!!騙せると思ったら大間違いですよ?この畜生が…、あは、殺さなきゃ…。あはは殺さなきゃ…殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ!!絶対に、殺すっ!!」
憔悴した表情に再び狂気が宿る。最早玉藻はちょっとしたことで点火しては消える、感情の乱高下を繰り返す不安定な爆弾と化している。
「その言葉そっくり返したいところだが、消えるのは『お前だけ』だろ。それとも激情に身を任せて殺すか?愛してるんだろ?この男」
緋牙がにたりと宿主である遥人の顔に指を指すと玉藻はギリ、と離れているのに聞こえるほどの歯を食い縛る音と、憎々しげに爛々と輝かせている。
その今にも殺さんと鬼気迫る狂乱具合を歯牙にもかけず、更に神経を逆撫でる。
(やはり未練はある、か。最も、その状態でガス欠になるなよ?今より厄介になる。さて、後はお前が説得しろよ?精々、足掻けよ?その気になればお前もろともあの女を殺すからな?)
緋牙は宿主へと語りかける。二人は今、精神を共有し、体のカバーをしている状態である。
(そんなことやってみせろ。すぐに叩き出してやるからな)
「んじゃま、一旦俺はすっこんどいてやるからお前の恋人と喋ってどうなりたいか決めろ」
灰茶の霧は散り、不敵な顔は潜んで代わりに玉藻が慣れ親しんだ表情へと変わる。
「玉藻、もうやめてくれ…」
「はる…と、さん…」
「もう、皆が傷つくのもお前が傷つくのも終わりにしよう…」
「でも、もう私は、取り返しがつかないこと、しちゃった…。わ、たし…みんなを、せんぱいを…殺し、た」
「っ!!それでも…!俺は君を選んだ!あの日あの時俺は…」
「うるさい…、うるさい…っ!!黙って!聞きたくない!そんな私が覚えてないことを言われても分かんないんですよ!?私は知らない。分かんない。もう、戻れない。どうにもならない!私は誰にも分かって貰えない!助けてくれたのは先輩と貴方だけだった!なのに二人も心配するのはあいつばっかり!!もう戻れないのに優しくするのはやめてよ!!私は私っ!もうこの体は私だけのものなの!そうよ…、自分のやったことに責任を取れないのなら私はとっくに死んでるわ…!」
錯乱しきった言葉にようやく合点がいく。
(ああ、失念していた。そもそもただの人間が残滓とはいえ大妖怪の意識を持っていたんだ。精神がまともでいられるはずがなかったか。しくじった。今ならあいつだけで被害を抑えてやるがどうする?心中してやるか?もっとも俺は嫌だから、おまえの体だけは残しておいてやるが…(黙ってろ!!)おー、こわいこわい…)
「…玉藻、じゃあ君は何がしたいんだ?殺したくないはずだったのに何であいつを、明日香を殺したんだ?」
「理由…、ですか?それなら簡単ですよ。あなたも先輩も…みんな、避け続けて結局何も終わってないからですよ。私はこんな居心地の悪いことなんて早く終わらせたかったんです。だから…?でも…、何で…?殺しちゃったのかな?先輩が眩しくて、怒られたくなくて、失望されたくなくて、先輩に顔を合わせるのがどんどん怖くなっていって、いっそ叱ってくれた方が楽になれたのに「てめぇ何様だよ。随分と傲慢な事を言うんだな」
その言葉を述べたのは遥人ではなく、緋牙でもなく、雅鬼だった。
重くのし掛かって、声を上げる事すら億劫なはずなのに神通力に抗いながら体を起こし、玉藻を睨みつける。
「さっきから聞いてりゃ、我慢できなくて先輩から彼氏を寝取りました。でも終わり方が粗末で消化不良だから殺すって言ってんだろ?てめえ一人でやってろよ。悪いことしてる自覚あんのに、自分のせいだって責任感じてるのに、どうして結論が他人に求めてんだよ…。楽になろうとしてんじゃねえよ。償う気とかあるのかよ。その罪悪感を一生背負う覚悟くらい持てよ」
「…そうは言いますけど、そんな覚悟なんて…」
「出来ねぇなら止めちまえよ。んなクソみてえの。少なくともその苦しい気分は終わるぜ?流石に明日香が可哀想だわ。こんなヒス女、死んでもごめんだ」
「そ…れは、いや…やだ、やだ、やだやだやだやだ!」
何が嫌なのか。遥人を手放すことか、今まで偽悪を
演じてきたことを放棄することか、あるいはー、
「無理、この気持ちは嘘じゃない。止めるなんて絶対に…、やだぁ!」
ぼろぼろと涙が流れる。答えを自覚したのだ。
「そもそもな…」
その先の言葉を紡ごうとしたとき、それは不意に現れた。
扉が壊され、爆発でほぼ全壊した階段からその白いもやが玉藻に向かって吸い寄せられていく。
いや、吸い寄せられているというよりはもやの方から近寄っていっている。
「消えて…。この事を放棄した貴女に渡す体なんてないのよ」
「返さない…」
忌々しげにもやを睨み付けながら呟く。それは怯えにも似た絞り出すようなものであった。
(さて、とんま。あの白いもやが本来のあの女の人格だ。(あれが…)どうだ?今、身体に居るのはあの女の絞りカスみたいなも(違う)ん?何が違うんだ?)
(最初はなんかおかしいなー?って思ってた。なんか、虚勢でも張ってるのかなって。状況があれだったから無理させてたのかなってさ。なんか記憶の食い違いみたいなのが多くなってきて段々、そのおかしさに気づき始めたんだけど…。俺はそれを知ろうしなかったんだよ。俺、そういう相手の気持ち考えるのが苦手でさ、下手な事を言って相手をよく怒らせたりするんだ。だから逃げるのに敢えて洗脳に掛かったんだよ。話し合わずに済んで…、逃げる理由にはうってつけだったんだよ。でもさ、掛かってる間の記憶はちゃんとあってさ…。思い返すとさ、それでも彼女だなって確信出来るところがあったんだよ。だって根っこの所はおんなじだったし。俺はさ…、玉藻のそういう所に惚れたから)
(浮気男がよく言うな。本気でヘドが出る。…なんでご主人はこんな最低な男を許したんだ?)
(そうだよな?俺はもっとなじられても良いと思ってたし、最悪、殺されたり、会社で孤立したり抹殺されたりしても別に構わないと思ったんだよなー)
(じゃあ今ここで成り代わってやろうか?(冗談。テメェみたいなぽっと出に殺されてやるもんか。明日香なら付き合った情もあるしな?殺されても文句言えねぇし。それくらいは償いの範疇に入れなきゃな?それに明日香はそんなことしないって知ってるし。なにより、彼女を置いて死ぬわけにはいかないしね?)
唖然として言葉を失う。この男は分かっていて自分の主人を裏切ったのだと。あまりにも身勝手で、もう主人に恋愛という感情は持ち合わせてはいないのだとはっきりわかった。
(…本当に、お前は最低だな)
ようやく絞りだした言葉はそれが緋牙が思った全てであった。
(なら、今ここで何とかしろ。このままだと全員死ぬ)
もう付き合っていられないといった風に会話を打ち切って遥人の意識を体を返す。
(おうよ。折角朗報が入ったんだしハッピーエンドとはいかないまでもケチついたまんまだと俺もやだし頑張るよ)
(あー、クソ…。あの体捨てるんじゃなかった。今ものすっごく、こいつを始末したい)
その独白はもう、白んできた空へと消えた。夜明けはもうすぐだ。
ーーー
時間は少し遡り、
(いってぇ。つか、体が指一本動かねぇ。どうしたもんかね…。)
吹き飛ばされ、起き上がろうとした瞬間ピタリと動かなくなった体で思考する。
(目も動くし息は吸えるみたいだけど流石に今襲われたら厄介だな…。旦那があいつのヘイト稼いでくれたおかげでなんとかギリギリ回避できてるけど何してるのかあんまりわかんねぇしなあ)
声は聴こえるものの四つん這いで固まって、顔が地面とにらめっこしている状態で固定されているため視線が動かせても遠すぎるのか見えないのだ。
(というか最悪旦那がやられたらまず助かんねえよな…。それまでに少しでも動けるようにしとかないと…ん?)
いつのまにか視界の端に黒い一枚羽があることに気づく。
(これは、助かった…!鴉天狗の旦那がやっと来たか!今なら通じるだろうしこの状態をどうにかしてもらうか)
【よう!鴉天狗の旦那!聞こえてるか?】
【大丈夫か!?おい、今どういう状況だ!?犬神の姿が見えないんだが!!それにあの女どうして丸腰のお前を始末しないで放ってるんだ!?何やらあの男と喋っているようだが…】
【ちょっ、たんま…っ。俺も体が動かなくて…、先に術を解いて貰えませんか?後、俺も聞きたいんですけど、今まで何してたんですか?爆発の後、急に繋がらなくなったんですが…】
【ああ、それはな~…。まあ、助けててだな…】
【まさか、生きてるんですか!?】
【ああ、今一緒にいるが変わろうか?】
【ありがとうございます。後で変わってください】
【後で良いのか?】
【はい。先に、旦那に教えてやってくれませんか?あの人は今が正念場ですし、生きてるって分かればそれだけでモチベーションが大分上がるでしょうし…。何より、本当にちょっとでも解いてくれませんか?さっき、聞き捨てならないことを聞いたんで一言言ってやらないと気が済まないんです】
ーーー
白いもや、三枝玉藻本来のそれは自分に語りかける。自分が犯したことを償うために。
『お願い…、体を返して』
「イヤっ!!なんで今さら体を返せなんて言うわけ!?あんたが捨てたんじゃない!!逃げたんじゃない!!見捨てたんじゃない!!わたしを身代わりにして!自分で責任を取るのを止めたクセに!」
『ごめんなさい…、ごめんなさいっ!』
「謝るくらいならさっさと消えてよ…。いい加減にしてよ…。気持ち悪い!そういう優柔不断な自分が本当に気持ち悪いのよ…。そんなに返して欲しいなら答えてよ…。会社の人間関係もぐちゃぐちゃしたわ…。先輩だって殺した…。町だってもうこんなに滅茶苦茶にしたわ…。もう、あんたの居場所も未来もどこにもないのよ!!ねぇ!答えなさいよ!それでも体を返して欲しいなんて言えるの!?」
『…でも、このままじゃ、嫌だから』
「嫌だから何?もう貴女に出来ることなんて何もないくせにっ!!子供みたいね?むしろ子供以下よ」
叩き付けるような罵声は酷く痛切で、それに応じて答える声はまるで懺悔の様である。
『こんなの望んでないの…。もう、止めて…』
その言葉が出るや否や玉藻の尾がモヤを包み込んで締め上げる。
『ああああああ゛あ゛っ!!』
「黙れぇっ!何一つ自分で決めれないくせにっ!!誰かに乞食みたいにすがるしか能がないくせにのうのうとよく言えるわっ!あんたがっ!!私よりも一番要らないのにっ!!…なんで、み、んな…っは、あんたを心配してくれたのにぃ…!!それに気づきも…!気付こうとしないで、立ち向かおうともしないで逃げた貴女に残ったものなんて何もないのっ!!ヘドが出る事を何回も何回も言って気持ち悪いのよ…。ねぇ!!消えてよっ!!」
言葉を紡ぐ度に尾は徐々に小さく収束していく。
「っ…!?やめろ玉藻っ!!」
「あはは、どっちに言っているんでしょうね?」
なんて、コイツに決まってますよね。と口をこぼし、遥人に向かって疲れたように微笑む。
「遥人さん…。殺すなら今、なんですよ?ねぇ、今、私を殺さないとこの女が消えちゃいますよ?遥人さん…。貴方は…、本物だけど体がない方と、偽者だけど体がある方と、…選べます?」
「どれもお前だろう!なら、そんなことしなくても…」
「選んでくださいよ…。選べなきゃ、こいつだけじゃなくて貴方も殺しますよ?」
言葉を急かすようにぎゅう、といっそう尾は絞まっていき、やがて他の尾も先端が鋭利に尖り、ゆっくりと持ち上がる。
「あはは!よく考えてみれば冥土の土産に貴方も道連れにするのもいいですね!この女にはちょうど良い罰になりますねえ!」
けたけたと、愉快そうに想い人を殺そうと本人の前で言う。どう?と言わんばかりに。
「玉藻、そうか…」
『っ!?おい!止めろ!?』
まるで何かを悟ったかのよう悠然と、尾を構えた玉藻へと歩き始める。
「それ以上来ないでください。馬鹿なんですか?」
それでも歩みを止めない。
「もう一度言います。それ以上来ないで」
それでもまっすぐ玉藻へと向かって歩く。
「そうですか…。じゃあさようならです」
尾のひとつが遥人に向かって槍のような一撃が飛んでくる。
「やっぱり、そうだよな」
ガスン、と音を立てた尾は遥人の焼けた腕をかすり、地面へと突き刺さる。
「玉藻、お前、そういうの本当は苦手だろ?それに俺の事、大事にしてくれてる」
「来ないでっ!!」
次々に尾が飛んでくるが今度はそのどれもがかすりもせずに地面へと刺さる。
「だから、俺の言葉が聞きたかったんだろ?俺がお前の事どう思ってるのか」
「あ、あ…」
力なくへたりこむ。地面に刺さっていた尾も白い靄を締め上げていた尾も解ける。
「やっぱり、お前も玉藻だよ。隠してるつもりでも露骨な位甘えたがりで、一人で生きてくのがしんどい位寂しがりで、下手くそな位自分の不満を溜め込んで、それの吐き出しだってどうしようもなく下手で、今だって酷いくらいあまんじゃくじゃないか…。でもさ、それでも君はね?本当に俺が惚れた三枝 玉藻だよ」
「俺、言葉とか行動とか足りないとか言われてるからさ。せめて、これくらいは誠意を見せないとな」
ようやく目の前にまで来た遥人はへたり込んでいる玉藻に合わせて屈んで抱きしめる。
「ちが…、やめて…私はあいつと違う」
両手で遥人の体を押すのだが弱々しい抵抗では引き剥がせずにむしろもっと強く抱き締められる。
「確かにめんどくささは君の方が凄いよ。何せ会社の人間関係滅茶苦茶にして挙げ句町一つ火の海にしてさ。うん、それでも君は俺に不器用なりに精一杯愛してくれた」
抱きしめるのをゆるめ、顔を会わせる。
「でもだからさ、これだけは言わせてくれ。逃げている、選んでないって君はいうけどさ。…君は選んで逃げたんだ。明日香を殺すって形で」
「そこは許せないかな…俺は。別に選ばなくたって良いんだよ、俺らは。選ぶ権利は明日香にこそあると思うしさ。明日香に罪滅ぼしなんて器用じゃない俺じゃ出来ないし、死んでやる気もないけどさ。あいつの復讐なら甘んじて受けてやるつもりだったよ。たとえそれに後悔するような目にあってもあいつの敵になり続けてでも生きるつもりだし、君を選んだことには自信を持ってる」
もう、玉藻は言葉にならない声で泣きじゃくっている。もう、喚こうとしないでただ聞き入れている。もう、その手を振りほどこうともしない。ただただ顔を真っ赤にして泣いている。
朝陽が町を照らし始める。勿論、彼等がいる屋上もだ。
「不安にさせてごめん。俺は頼りないのかも知れない。言葉も足りないし行動も足りないかもしれない。俺たちの関係は爛れてるし端から見てて最悪だ。でも、それでも、」
「俺は君を愛してる」
そっと唇を重ねた。玉藻はそれを拒むことなくはらはらと泣きながら受け入れている。
その瞬間、頭の耳と九つの尾が砂のようにさらさらと日の光の中に溶け始める。
(たとえ…私が犯した罪が消えなくて心に深く刺さっていても私は今、どうしようもなく、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、苦しいのに幸せだ。ああ、最低同士お似合いじゃないか。ヘドが出るような愛だけど今は、今だけは浸らせてほしい。この幸せに…)
「それにほら、さ。その方が燃えなくない?よく少女マンガとかにあるじゃん?愛の偉大さに元カノの嫌がらせが敗れぶげらぁっ!!」
キスの終わってから発した第一声は、そんな幸せの余韻が吹き飛ぶ程だった。
あまりにも最低な言葉は突如として割り込んできた高速の拳によって打ち切られ、そのまま吹っ飛ばされる。
「てめぇの勝手な解釈で少女マンガを歪めんじゃねえ!! はぁ~…、はい…ノロケご馳走様でした。後、言質は取ったわよ?遥人。お前、その足で近くの公園に来なさいよ?お前的にして泥団子投げまくってやるからね?あー、今なら砂が吐ける…」
「え、あ…な、んで…?」
げっそりとした表情で遥人の飛んでいった方向を見ていたのは遥葛之葉 明日香その人であった。
さあ、朝が来た。
小ネタ劇場:緋牙、未知との遭遇を経験するその③】
?『あー…痛かったー。ちょっとゴーグルしてこ…。あれ何処に置いてたかな?』
綿の出た人形の痙攣じみた振動が収まった。
ひ「と、止まった…のかな?」
恐れおののき人形から離れていた緋牙が人形を拾いに行き、ツンツンと人形をつついたり、拾った人形を揉んでみて異常がないか確認する。
ひ「何も無いよな…?やっぱりご主人にバレてるのかな?だとしたらここが引き時なんだろうけど…」
緋牙が悩んでる間、
?『よし!目潰し対策オッケー!さて、今度こそ覗いてみ…』
?『あー!お兄ちゃん何やってんの!?外に行けるとこ見つけたの!?』
?『うわ、やべ!見つかった!ちげーよ!?』
?『ウソだぁー!ねぇねぇ!お姉ちゃん達、お兄ちゃんが外への出口見つけたよー!!』
?『おいばか、止めろ!』
?『あたしも見るー!』
ひ「ん?あれ。これ、よく見たら目の穴…、どっかの異次元に繋が…」
?『ちょっ!押すな!!流石にむりって…、のおおおお!?』
?『うわあぁあ!!!?』
目の穴が急に膨らんだと思ったら穴が更に破け、
「でっ!?」
人形の大きく裂けた目の穴から手が出現し、緋牙の顔にべちりと当たった。
続く。