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第8話 泥沼の自滅(リアルな人間の限界)

第8話 泥沼の自滅(リアルな人間の限界)


レードル公爵邸は、ここ数日で妙に静かになった。


いや。


正確には、「表面だけ」が静かだった。


廊下を歩けば、扉の向こうから怒鳴り声が漏れてくる。


執務室。

客間。

応接間。


屋敷のあちこちで、誰かが誰かを責めていた。


「だから言ったでしょう!?」

「お前が勝手に動いたんだろうが!」

「父上が伯爵家と組めと言ったんです!」

「私は公爵家のためを思って――!」


毎日だ。


朝から晩まで。


まるで壊れた楽器みたいに同じ言葉を繰り返している。


エルナはそれを聞きながら、静かに紅茶を淹れていた。


今日はニルギリだった。


澄んだ香りが好きだった。


湯を注ぐと、白い蒸気がふわりと立ちのぼる。


その向こう側で、ギルバートが疲れた顔をして書類を読んでいた。


以前より怒鳴らなくなった。


代わりに、ものすごく無口になった。


「……また始まったな」


遠くの怒声を聞きながら、ギルバートが低く言う。


エルナはカップを差し出した。


「今日は前公爵様が優勢です」


「何だその分析は」


「声量が大きいので」


ギルバートが小さく息を吐く。


それは笑いに近かった。


エルナの視界では、彼の温度が以前ほど荒れていない。


【怒り:40度】

【疲労:70度】

【呆れ:65度】


かなり下がった。


代わりに。


【安心:12度】


小さい。


けれど確かに存在している。


その時だった。


執務室の扉が勢いよく開く。


「兄上!!」


エドワードだった。


顔色は悪く、髪も乱れている。


そして温度が凄かった。


【焦り:180度】

【自己保身:200度】


真っ赤だった。


エルナはぼんやり思う。


――高熱ですね。


エドワードは半ば泣きそうな顔で叫ぶ。


「父上が全部僕のせいにしてるんです!」


ギルバートが眉を寄せる。


「……何の話だ」


「借金です! 伯爵家との癒着も! 父上が勝手にやったのに!」


「お前も署名していただろう」


「父上に命令されたんです!!」


その瞬間、廊下から怒鳴り声が飛んできた。


「嘘をつくな!!」


前公爵だった。


扉を乱暴に押し開け、顔を真っ赤にしている。


【怒り:170度】

【自己保身:200度】


同じ温度だった。


前公爵は震える指でエドワードを指差した。


「お前が伯爵家と繋がったんだろうが!!」


「父上が紹介したんでしょう!?」


「私は家族のためを思って――!」


「またそれですか!?」


怒鳴り合いが始まる。


エルナは静かにティーポットへ湯を足した。


熱湯の音が、妙に穏やかに聞こえる。


ギルバートが頭を押さえた。


「……うるさい」


「申し訳ありません」


エルナが言う。


「現在、責任の押し付け合いが最高潮ですので」


「実況するな」


前公爵が机を叩いた。


「全部お前のせいだ、エドワード!」


「違う! 父上が『ギルバートを失脚させれば金は自由になる』って!」


「言っておらん!!」


「言いました!!」


「貴様ァ!!」


怒鳴り声。


唾。

汗。

真っ赤な顔。


愛だの家族だの言っていた人間たちが、今は互いを食い潰している。


その様子を見ながら、エルナは静かに思った。


――人間は、限界まで追い詰められると。


綺麗な言葉から壊れていくのですね。


その時、また扉が開いた。


今度は見慣れた顔だった。


エルナの父。


フォルクレイン伯爵。


そして義母と異母姉セシリアまでいる。


豪奢な香水の匂いが広がった。


セシリアは嫌そうに顔をしかめる。


「……なんて空気の悪い家なの」


義母も扇で口元を隠した。


「本当に野蛮ねぇ」


だが彼らの温度はもっと酷かった。


【焦り:140度】

【損得勘定:170度】

【責任逃れ:190度】


来た理由が分かりやすい。


伯爵が咳払いする。


「ギルバート殿」


「……何しに来た」


「いや、誤解を解こうと思ってな」


前公爵が怒鳴る。


「貴様!! 公爵家を売ろうとしていただろうが!」


「そちらから話を持ちかけたのではないか!」


「お前の娘を後妻にすると――!」


「父上!?」


セシリアが悲鳴を上げる。


【羞恥:60度】

【苛立ち:120度】


どうやら聞いていなかったらしい。


伯爵は慌てて言う。


「そ、それは保険だ!」


「保険で公爵家を盗むのか!?」


「そちらが勝手に崩壊しかけたんだろうが!」


「貴様ァ!!」


もう滅茶苦茶だった。


怒鳴る。

責める。

否定する。


皆、自分だけ助かろうとしている。


エルナはその温度を眺めながら、心の中で数字を数えた。


前公爵。

【自己保身:200度】


エドワード。

【自己保身:200度】


伯爵。

【自己保身:200度】


綺麗に並んだ。


まるで採点みたいだ。


エルナは少しだけ感心する。


「壮観ですね」


ギルバートが疲れ切った顔で振り向く。


「何がだ」


「全員、同じ温度です」


「……見えるのか」


「はい」


エルナは頷いた。


「皆様、自分だけ助かりたいようです」


その言葉で、一瞬だけ空気が止まる。


だが次の瞬間。


「当たり前だろう!!」


前公爵が叫んだ。


「私は悪くない!!」


「僕だって悪くない!!」


「そもそも公爵家が脆弱だから――!」


「黙れ!!」


また始まる。


エルナは静かに紅茶を飲んだ。


少し冷めている。


けれど香りはまだ残っていた。


窓の外では雪が降り始めている。


白い雪。


冷たい空。


そして室内では、人間たちが熱に浮かされて壊れていく。


ギルバートがぽつりと呟いた。


「……醜いな」


エルナは少し考えた。


それから静かに答える。


「いいえ」


「……何?」


「たぶん、普通です」


ギルバートが目を見開く。


エルナは湯気の向こうを見つめた。


「人は追い詰められると、皆こうなります」


責任。

恐怖。

損得。


それらが煮詰まると、最後には自分しか見えなくなる。


だからこそ。


感情だけで動く人間は、最後に自分の熱で焼け死ぬのだ。



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