第4話:静かな偶然、再会は春風の中で
東京競馬場の午後は、春の陽射しが穏やかで、そして少しだけまぶしかった。
スタンドの屋根の影に腰を下ろし、水島蓮は缶ジュースを片手に、出馬表を見つめていた。
第7レース、馬連的中。配当は15.2倍、払い戻し額は68,400円。
「この世界でも、勝てる――そう確信できた一撃だった」
未来の血統、隠された適性、脚質の傾向。
《血統チート図鑑》の力は確かに存在していた。
けれど、それを“活かせるか”どうかは、自分次第だと蓮は理解していた。
「……ほんとにギリギリだったけどな」
そんな呟きのあと、ふと騎手名に目を落とした。
「騎手:渡瀬 俊吾」
――渡瀬。
(その名字、聞き覚えがある……)
蓮の脳裏に、ふと浮かんだひとつの姿。
渡瀬 葉月。明邦大学文学部の先輩。
長身でスタイルが良く、清楚で、それでいて華のある美人。
文学部の男子なら誰もが知っていた“ちょっとした有名人”。
蓮も、何度か学食や講義の教室で見かけたことがある。
一度も話したことはなかったけれど、彼女の存在は、記憶にしっかりと刻まれていた。
(まさかな……と思いたいけど、渡瀬って名字、珍しいし……)
いてもたってもいられなくなった蓮は、観客席のほうへと戻っていく。
そして、パドック裏の出入り口近く――
人混みの中に、彼女はいた。
黒のロングコートにベージュのスカート。
髪を後ろでまとめて、ゆるくなびかせるその姿は、遠目でもひときわ目立っていた。
引き締まった腰に、長い脚。バストラインも明らかに豊かで、形の整った輪郭がコートの上からでもわかる。
美人――というより、周囲の視線を自然に集めてしまうタイプ。
(やっぱり……渡瀬 葉月、本人だ)
その隣には、年配の女性――おそらく母親が立っていて、
「俊吾もやっと掲示板に載ったわねぇ」と、嬉しそうに微笑んでいた。
蓮は一瞬立ち止まり、そして、意を決して歩み寄った。
⸻
彼女の背後から、少し距離を取って、聞こえる程度の声で話しかける。
「……あの、第7レース。弟さんの騎乗、すごく良かったです。
あの馬、追い出しのタイミングが絶妙で――最後、しっかり脚を使ってました」
その言葉に、葉月がふと振り返る。
一瞬、怪訝な表情を浮かべたものの、蓮の顔を見て、少しだけ目を細めた。
「……あれ、もしかして明邦大? 文学部よね?」
「はい、水島です。2年の時に先輩のこと、学部で何度かお見かけしてて。
あの……渡瀬俊吾騎手って、弟さん……ですよね?」
「……そう。俊吾は、私の弟。あんなところで名前見つけるなんて、よく気づいたわね」
蓮は、苦笑しながらうなずいた。
「実は……今日の馬券、弟さんの騎乗馬で初めて当てたんです。
だから、恩人みたいなもんで……つい、声かけたくなって」
「ふふ、それは俊吾が聞いたら照れるわね。
ありがとう。こんなふうに言ってもらえるの、たぶん初めてよ」
葉月は、微笑んだまま視線をコースに戻す。
その横顔は、やっぱり絵になるほど綺麗だった。
「……でも実はね。応援してるの、家族の中じゃ“私だけ”だったのよ。
俊吾が騎手を目指すって言った時、両親は最初大反対してて」
(……ん?)
蓮は、横に立っている母親らしき女性に一瞬視線を送った。
仲良さそうに笑っている姿が、今の葉月の言葉と、少し噛み合わなかった。
(あれ……“私だけ”って……?)
蓮の中にわずかな違和感が浮かぶ。
だが、次の瞬間、それを見透かしたように葉月が言った。
「今日、一緒に来てるのはね……私が何度もしつこく誘ったから。
最初は渋々だったけど、最近ようやく、“応援してる”って言ってくれるようになったの。
……時間はかかったけど、少しずつ、変わってきてる」
「なるほど……そういうことだったんですね」
蓮は、心から納得した。
すべてが“スッと腑に落ちた”気がした。
⸻
葉月は、微笑を浮かべながら蓮のほうに目を戻した。
「……水島くん。大学では、私のこと知ってたの?」
「……はい。先輩のことは……けっこう有名でしたから。美人で、背が高くて……」
「お世辞、うまくなったわね」
「いえ、ホントのことです」
お互いに、少しだけ笑う。
再会というには不自然なほど静かで、けれど確かに意味のある――そんな出会いだった。
(……昭和に転生して、最初に声をかけた女性が……“彼女”だなんてな)
偶然か、運命か。
この先の未来がどう動くかなんて、まだ誰にもわからない。
けれど、蓮の中で何かが、またひとつ動き始めていた。