第40話:記憶に賭ける日
【クエスト進捗】
● 所持金:661,400円(生活費差引後)
● 残り期間:4年9ヶ月と11日
● 現在の目標:馬主資格取得
必要資産:5,000万円相当 or 年収1,700万円以上(昭和基準)
【日付】
1976年(昭和51年)6月27日(日)
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あのとき、たしかに俺は、この週末の重みを意識していなかった。
ただの競馬の週末。
ファームの仕事に追われるだけの、いつもの朝のひとつ。
だけど今――
目の前に広がるのは、“未来の記憶”が揺らぎ始める、大舞台。
【宝塚記念】――中央競馬、上半期の総決算。
グランプリ。春の王者を決める戦い。
そして、出走馬の名を見た瞬間。
蓮は、息を呑んだ。
《トウショウボーイ》――その名は、記憶の奥に、強く刻まれていた。
未来で語られる“天馬”。
後に三強時代を築く伝説の名馬――その始まりが、このレースだった、はず。
◇
WINS新宿。
場内のモニターには、阪神競馬場のスタンドとパドック映像が映し出されていた。
朝から新聞片手の男たちが熱を帯びた声を飛ばし、馬券窓口には長蛇の列ができている。
蓮は、壁際で一人、じっと馬柱を見つめていた。
(記憶じゃ、この馬が勝った。……でも、全部が同じとは限らない)
調教の時計。パドックの雰囲気。前走の内容。
展開、馬場状態――微妙なズレがある。
(俺がこの世界に来たことで、“未来の結果”が変わる可能性はある)
(なら、記憶だけじゃなく、“今の目”で選ばなきゃ意味がない)
◇
そのとき――
ふいに肩越しに、低い声が届いた。
「やっぱり来てたか、水島くん」
振り返れば、例の男――柏木が、コーヒー片手に立っていた。
「今日のグランプリ、どう読む?」
「本命は――決まってます。あとは、相手をどう絞るかです」
柏木が、わずかに口元をほころばせる。
「おお、頼もしいね。それで、誰に賭ける?」
蓮はペンを走らせる。
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【蓮の最終買い目】
•馬連:⑧トウショウボーイ-③カツラノハイセイコ/⑥メグロモガミ/⑤アサカオー
•3連単フォーメーション:1着⑧ → 2着③⑥ → 3着③⑥⑤(6点)
•総投資額:42,000円
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(1番人気に素直に乗るだけじゃ勝てない。
“どの馬が噛み合って、どう走るか”まで読んで――初めて勝ちきれる)
柏木が一言、ぽつりと漏らす。
「人気馬に流す奴は多いけど、
“無駄のない馬券”を打てる奴は、そう多くない。……いい目をしてるよ」
蓮は無言で頷き、静かに窓口に向かった。
馬券が発行される音。
記入した数字が、現実に変わるその一瞬――手が震える。
(頼む、“今の俺”の選択が、当たっていてくれ)
◇
午後3時40分――発走。
ファンファーレが鳴り、蓮の心臓も同じリズムで跳ねた。
「ゲートが開いた! 1976年、宝塚記念――スタートです!」
先行するのはカツラノハイセイコ、メグロモガミ。
後方で静かに脚を溜めるのが、⑧ トウショウボーイ。
(来い……ここから、あいつは飛んでくる)
第4コーナー――
「外からきたァァァッ! トウショウボーイ、すさまじい末脚ッ!!」
「先行勢が粘る中、外から一気に差し切ったァァッ!!」
ゴールイン。
•1着:トウショウボーイ(1番人気)
•2着:カツラノハイセイコ(2番人気)
•3着:メグロモガミ(3番人気)
記憶と、結果は――ほぼ合っていた。
でも、どこかが少しずつズレていた。
◇
払い戻し窓口。
蓮の手に戻ってきた現金は――76万8000円。
静かに封筒を受け取ったそのとき、柏木が再び言った。
「展開は……君の読みと、どうだった?」
「少し違いました。トウショウボーイの仕掛けは、思っていたよりも早かった。
相手も、順番が入れ替わっていた。……でも、結果としては、合ってました」
「ふむ」
柏木は煙草に火をつけながら言う。
「どんな天才でも、“全部を当てる”のは不可能さ。
だが、“無駄を省いて、勝ち筋を絞れる目”――それは育てられる。
君は……その“目”を、持ち始めてる」
蓮は静かに深呼吸をした。
(未来は、完全じゃない。全部は見通せない)
(でも――)
(俺の“目”が育てば、未来だって読み直せる)
(今のこの世界で、俺が選び、掴む。その力を育てていく)
静かに、蓮はWINSを後にした。
その手の中には、大金と――たしかな“感覚”が、残っていた。
ガチガチ馬券……記憶を試すには良いか




