第10話:静かなる育成者、調教師への道筋
1976年(昭和51年)4月24日(土)。
東京競馬場
【現在のクエスト】
● JRA馬主資格を5年以内に取得せよ(残り:4年11ヶ月と17日)
● 所持金:61,200円
土曜――開催日。
“勝負”の二文字が競馬場に漂う日。
だが蓮は冷静だった。
(焦らず、刻むように増やす。それが今の俺のやり方)
先日出会った謎の男――
その存在が、蓮の中にずっと残っていた。
馬の気性、騎手の癖、厩舎の状態まで把握していた、まるでプロのような男。
きっと、ただの情報屋ではない。
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今日の勝負は、第6レース。
◎10番:外枠・差し馬。図鑑評価B+調教内容良好
○13番:距離短縮・調教師との相性が過去好成績
馬連10-13:800円
ワイド10-13:400円
そして――パドック裏。
そこに、昨日と同じハンチング帽の男の姿があった。
蓮は何も言わず、黙って並んで腰を下ろす。
男も特に反応はしない。
そのまま、モニターを見つめていた。
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レース開始。
道中、10番が馬場の外をじわじわと進出。
一方、13番は内でじっくり脚を溜める。
4コーナー。
雨が降り出したやや重の馬場の中、10番が一気にスパート。
13番も、粘り込むように追いすがる。
結果――10番2着、13番3着。
ワイド的中。
馬連はハズレ。だが、目論見通りだ。
【馬券収支】
•投資:1,200円
•回収:2,480円(ワイド的中)
•純利益:+1,280円
•所持金:62,480円
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「……雨でも来たな、あの外枠」
ふいに男が言った。
蓮は小さく頷く。
「おかげさまで、ちょっと増えました」
男は煙草を咥えながら、静かに呟く。
「当てたくらいで調子に乗るなよ。
馬を“見抜く”ことと、“育てる”ことは別だ」
「……それ、昨日も言ってましたよね」
「ああ、そうだったか」
二人のやり取りは、まるで長年の知り合いのようだった。
そして、男はぽつりと呟いた。
「馬は道具じゃねぇ。生き物だ。
合わねぇ厩舎に預けて、合わねぇ乗り方させて、それでダメだった言い訳にされる……
そんなもんだ、この業界は」
蓮は、妙に胸が詰まるのを感じた。
(この人、本当に……競馬を知ってる)
「……騎手か調教師、されてたんですか?」
男は無言のまま、煙草に火をつけた。
数秒後、短く答える。
「昔な。少しだけ、馬に触ってた時期がある。
今は、表に出るつもりはない。誰に呼ばれたわけでもねぇしな」
それ以上は語らなかった。
けれど、蓮はそれで十分だった。
(やっぱり……“育てる側の視点”を持ってる)
そのとき、男が唐突に口を開く。
「……なあ、坊主。お前、何を目指してる?」
いきなりの問い。
けれど、蓮は迷わず答えた。
「……馬を、自分の手で育てたいと思ってます」
男は煙を吐きながら、少しだけ視線を向けてきた。
「じゃあ、俺が教えてやれるのは、“育てる側の目線”ってやつだ。
血統だろうが、才能だろうが――それを“どう活かすか”を知るのが、本物の仕事だ」
そして、立ち上がる。
「また、どこかでな」
そう言って、男は人混みへと消えていった。
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(……育てる目、か)
蓮の中に、またひとつ新しい視点が芽生えた。
血統図には載らない、もう一つの“勝負”があると知った瞬間だった。