第4話 襲撃の夜
夜の静寂を引き裂くような絶叫で、私は飛び起きた。おそらく真夜中をとうに過ぎていると思うが、森のどこかで悲鳴とも怒声ともつかない声が響いていたのだ。焚き火の周囲にいたオークたちも目を覚まし、慌てて武器を手にとってこちらを睨んでいる。いや、私を疑っているのではなく、私を守るために周囲を警戒しているようにも見えた。
一帯に緊張が走る。なにがあったのか分からないが、どうにも侵入者のようなものが近づいてきたらしい。寝ぼけ眼の私も体を固くしながら、オークたちの動きに倣って身を屈める。すると、闇に沈む森の向こうから、ギョッとするほどの荒い足音。続いてガシャガシャと甲冑めいた装備がこすれる騒音が聞こえ始めた。
「まさか……人間?」
私は直感的に“この世界で危険な存在といえば、人間の冒険者か騎士という可能性が高い”と感じた。ゲームや小説の知識では、オークは魔物として扱われ、しばしば討伐対象になる。実際のところ、ここにいるオークたちはそれほど凶暴には見えないが、先入観を持つ人間にとっては敵対必至かもしれない。
やがて、暗闇から数名の人間らしき姿が姿を現す。ごつごつした革鎧を身につけている者、鋭い槍を構えている者、ローブをまとい杖を握っている者……。まさに“冒険者”と呼ぶにふさわしい厳つい風貌だ。彼らは手元のランタンや松明で足元を照らしながら、こちらに近づいてくる。その一団を見て、私は息が詰まりそうになる。どうする?私はオークの姿をしている。人間に出会ったところで、彼らが理解を示す可能性など、ほとんどないだろう。
思考が追いつかないほど緊迫した空気の中、先頭にいた槍使い風の人間――二十代前半くらいの、不敵な笑みを浮かべた男が森を見渡し、一言「ここか。オークの溜まり場ってのは」と呟いた。周囲のオークたちは一斉に警戒し、低い唸り声をあげる。子どもたちと小柄なオークは奥へ走って逃げていった。私も、どう動けばいいのか分からないまま、その場に立ち尽くしてしまう。
「おいおい、あんまり抵抗すんなよ?こっちは『ギルド』の正式依頼で来てるんだ。魔物狩りは俺たちの仕事ってわけさ。下手に暴れたら、痛い目見るぜ」
その槍使いが余裕たっぷりに嘲笑すると、まわりの仲間も周囲を囲むように散開し始める。ギルド――確かここでは大きな権力を持つ組織なのだろう。彼らは魔物を狩ることで生計を立て、“人類の守護者”と称えられている、と後に私は聞かされることになる。ただ、今目の当たりにしている光景は、その美談とは程遠いものだ。狩られる側のオークたちはあきらかに怯え、歯ぎしりしている。この集落は無抵抗の老人や子どもも多いのに、容赦なく討伐対象にされるのだろうか。
別の人間、魔法使い風の女が細い杖を掲げ、小声で呪文を唱え始める。何やら空気がビリビリと震え、発火のような小さな火花が浮かんだ。すると、続くように槍使いも獲物を構え、術士以外の戦士たちが一斉に突撃体勢をとる。生々しい殺意が肌を刺し、私の心臓はバクバクと音をたてた。なぜこんな夜中に、こんな小規模な集落が襲われなければならないのか。
「グルルアアッ……!」
オークの一人が反撃の咆哮をあげ、こん棒を振り回しながら人間の一団に突っ込む。瞬間、槍使いが軽々とかわして一閃、オークの肩口を槍先で深く裂いた。血飛沫が闇に散り、オークが呻きながら膝をつく。人間は唇をゆがめて笑い、次の一撃を加えようと槍を振りかぶった。
嫌だ。こんなの、ただの虐殺だ――。胸に湧き上がる激しい嫌悪感を抑えきれず、私は思わず突き動かされるようにそこへ駆け寄り、倒れ込んだオークをかばうように身を投げ出した。すると、槍使いの男は明らかに困惑したらしく、一瞬手を止める。彼の紺色の瞳は「何だこいつ?」と疑問を呈しているようだった。私の姿はどう見ても“メスのオーク”でしかないはずなのに、まさか助けに入るとは思わなかったのだろう。
「おい、なんだ?こっちのオーク……変な動きしやがる」
男が警戒して唸ると、背後に控えていた魔法使いの女も眉間にしわを寄せ、私を凝視した。私は刻一刻と溢れ出るオークの血を目の当たりにして、どうしようもない無力感に襲われていた。――だけど、思い出す。私は元々“主婦”として、家族の怪我や病気に慌てふためきながらも世話をした経験がある。冷やしたり薬を塗ったりと、細かな対応を積み重ねてきた。それはこの世界でも通用するだろうか?
「頑張って……血を止めなきゃ」
そう強く念じた瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。脳裏に浮かぶのは家族が転んだときに私が手当てした記憶。傷を洗い、絆創膏を貼り、「大丈夫、大丈夫」と笑ってみせたあのときの光景――。思い出すと同時に、私がかざした手のひらから淡い光が溢れた。白銀というよりは、あたたかい黄緑色に近い輝き。その光が、傷から噴き出す血をゆっくりと静め始める。
「な、なんだ、回復魔法か……?」 「オークが回復魔法を?そんな、聞いたことない……」
人間たちがざわめき始める。一方、怪我を負ったオークの出血が徐々に収まり、深い傷口がみるみるうちに塞がっていくのが見えた。私自身も驚きと戸惑いでいっぱいだが、目の前で苦しんでいる相手を少しでも和らげられたことに安堵もしていた。こんなことができるなんて、まるで“奇跡”に思える。私には魔力なんて全然なじめないし、そもそもオークになってまだ半日も経っていない。ただ“とにかく救いたい”と願っただけ。本能的に、母としての強い保護欲が働いたのかもしれない。




