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第39話 瀕死の兵士の囁き

 あたりはまだ闇が支配的で、霧か煙かわからないがむせ返るほどの白いぼやけが漂う。そこにかすかに浮かぶ赤い閃光は、不規則に揺れ続けている。破壊された装置が多いとはいえ、まだまとまった陣営を保持しているギルド部隊が暴れ回っているに違いない。そうでなければ、これほどの広範囲にわたって炎が燻り続けるはずがないのだから。


「あれ……?」


 不意にラミアが疑問めいた声を上げ、手招きする。彼女の視線の先、半倒壊したらしい巨木の根元に、何か人影があるのが見えた。もしや、また怪我人や魔物が倒れているのだろうか。念のため、仲間数名とともに慎重に近づいてみる。すると、そこには力なく横たわる“人間”の兵士が一人……いや、二人だ。片方は完全に命を落とし、もう片方は彼にすがるように下半身をベッタリ血で染めていた。


「あぁ……ゴホッ…」


 その兵士は見るからに虫の息。頭部の兜が外れ、傷口から赤黒い血が伝っている。彼は薄れる意識の中で、何か探すように辺りを見回し、ふいに私の姿を捉えてかすかな声をあげた。コホコホと咳き込み、舌が回っていないらしく、こちらを“魔物か”と警戒したいのか救いを乞いたいのか、曖昧な表情にしか見えない。


「グル…?」


 ラミアが戸惑い気味に声を漏らす。周囲のオークたちの視線が「また人間か。どうする?」という疑問を物語っている。つい先ほどまで、私たちは何度もギルド兵と激しく戦ってきたのだ。下手に近づけば斬りかかられる恐れもある。スタンピードで狂った森の只中では、助け合いなんて危険行為でしかない。それらの思いが交錯する中、私はそれでも足を進めた。


「……また……なの」


 人間の死に瀕する姿は何度も見てきたが、胸が痛む。老若男女問わず、無理やり“森で殺し合う運命”を背負わされているのは、私たちオークばかりじゃないのかもしれない。もし彼が息があるなら、状況を聞き出す手がかりになるかもしれないし、回復で助けられる可能性もわずかにある。そう信じて、私はやはり寄り添うようにその兵士の傍に膝をついた。


「だ……魔物…か……」


 兵士が乾いた目で私を見上げる。ごほりと血を吐き、体がびくんと震えた。私を敵と見なすのは当然かもしれないが、その声にはもはや戦意も何も感じられない。ただ恐怖と絶望に染まっている。背後の仲間オークが警戒しつつ見守る中、私はそっと兵士の胸部に手を当て、回復魔法をこめた。猛り立つような血流も、もはや制御不能。かなり重傷だ。一筋の光が彼の内蔵を繋ぎとめても、完治は無理だと直感する。


「た…す……け……」


 唇が震える彼に、私はどう返せばいいか分からなかった。このままでは回復魔法も限界で、せいぜい痛みを小さくする程度だろう。せめて最期を少しでも穏やかに——そう願いながら、一生懸命に魔力を注ぎ、彼の苦しい呼吸を和らげるよう心がける。すると、兵士は弱々しく瞬きをし、掠れ声で何かを口にする。


「……指……揮官……来る……も…ここ…森……全部消える……ま…っ…て…グフッ」


 指揮官が来る?森を全部消す?断片的にそんな言葉が聞こえた気がした。私は必死に耳を澄まし、「もっと詳しく聞かせて」と伝えたいのに、言葉は通じないし、彼は心底弱っている。本当に何を言いたいのか、聞き出す前に、彼は大きくのけぞり、最後の呼吸を吐き切った。


「あ……」


 止まっていく心音を感じ取りながら、私はその兵士の腕が脱力するのを、ただ無力に見つめるしかなかった。やがて、瞳孔は開ききり、もはやその体は微動だにしない。他のオーク仲間も、短い沈黙のなかで視線を落としている。命が消えていく瞬間を、私たちはここで何度目にしているのだろう。どれだけの血を見ても慣れることはない。森の闇はなおも深く、スタンピードが本領を発揮すれば、這いつくばっている私たちも幾度か死と隣り合わせに陥るはずだ。


(……指揮官が……森を全部消す?)


 訝しむように脳裏で反芻(はんすう)する。先刻、指揮官が総攻撃を仕掛けてくるという噂は聞いたが、“森を全部消す”なんて物騒な言葉が現実になれば、オークどころかあらゆる命が吹き飛ぶだろう。このスタンピード自体が、ある種の“最終兵器”を起動させるための手段だったとしたら……考えるだけで背筋が震えた。煮えたぎる怒りが心臓を打ち鳴らす。もしその“指揮官”が夫だとすれば、何が目的でそこまでの破壊を望んでいるのか。復讐なのか、野望なのか。想像が尽きない。


 沈黙が重くのしかかる中、ラミアが身体をすくめ、「グフ…グラ?」と低く囁きかける。たぶん“大丈夫?”と気遣っているのだろう。この光景を見て悲しんでいる私を察してくれているのかもしれない。私は弱く笑ってみせようとして、しかし声にならない息を吐く。頭のなかで鳴り響くのは“破壊の予感”――私たちは急がなければならない。時間が経つほど森は無に帰し、大切な仲間やオーク集落は跡形もなく焼き払われるかもしれないのだから。


「……行くしかない。指揮官を探そう。それしか、ない」


 自分に言い聞かせるよう、震える声を吐き出す。雄オークがうなずき、ラミアも不安げな面差しながら賛同の唸りを上げる。そう、もう決まっている。私はこの“オークとしての今”を守ると決めた。逃げ回って死を先延ばしにするのではなく、ギルドの力の源――つまり指揮官や装置の本丸を叩くしかないのだ。


 あたりを照らす炎の照度が増してきたような気がする。遠くでまた派手な爆音が響き渡り、闇夜を貫く火柱がそびえるのがチラリと見えた。あそこが最終決戦の舞台となるのだろうか。浅い呼吸を合わせるオーク仲間たちと、互いに頷き合う。


 救世主になるつもりはないが、あまりにも悲惨な光景を見せられて、もはや後戻りはできない。――私たちは警戒を保ちつつ、再び走り出す。胸を裂かれるような痛みを伴いながらも、歯を食いしばり、絶望の闇のど真ん中へ向かって。そしてまた、誰かが血を流し、あるいは最期を遂げることになるのかもしれない。その未来を変えられるのは、もはや一か八か、自分たちの意思と行動のみ――。


 私はオークの脚力と仲間たちの支えを借り、泥と血の焼け焦げた匂いを踏み越え、一歩でもその“闇”へ近づいていく。指揮官が待つかもしれない、あるいは夫がそこにいるのかもしれない。一瞬、足がすくむが、今ここで恐れることこそ、本当の地獄へ落ちる近道なのだと理解していた。


 暗然たる木立の向こう側、森の中心部にあるかもしれない“ギルド本隊の拠点”へ。死闘の炎が夜を引き裂き、その火照りが風に乗って頬を焦がす。私たちの真実を握る存在――それが誰であれ、もう会わずに終わる道はない。そう確信したとき、私はふたたび奥歯を鳴らし、無理やりにでも脚へ力を込めた。


「行こう……絶対に……」


 心の奥に、しっかりと記した決意を抱えながら。



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