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第38話 救いの手を差し伸べて

 森の奥へと足を踏み進めるたび、樹々の匂いは硝煙と血の鉄臭、そして不吉な薬品めいた刺激臭に塗り潰されていく。まるで大地そのものが破壊され、瘴気の溜まり場になり果てようとしているようだった。あちこちで小動物の断末魔がかすかに聞こえ、鳥の羽ばたきすら血をこびりつかせるような重苦しい翳りを帯びている。闇に沈む林床を蹴りながら、私たちはひたすらその混沌の中心へ――ギルドと魔物が衝突している戦域へ向かっていた。


「グルル…ガァ…」


 先頭の雄オークが唸り声をあげ、立ち止まる。目の前の木立の先には、またもや広い伐採跡のような空間が広がっていた。そこでは火柱が天高く上がり、周囲の木々は茎や幹を焼かれた状態で鎧のような黒灰をまとっている。敷き詰まった腐葉土のあたりには、大きく損壊した“装置”かもしれない金属塊が転がっていたが、先ほどのようにまだ稼働していそうな部品は見当たらない。どうやら、ここは既に“戦闘の激しさ”によって破壊されたらしい。


 私たちはそっと近寄り、あたりを探索してみる。倒れたオークやワーウルフらしき魔物の死体が累々と横たわり、そのなかには駆け出し冒険者とおぼしき人間も混じっている。彼らの体は引き裂かれ、焦げ付き、何とも言えない異臭を放っていた。私の胸は苦しくなり、一瞬目を背けそうになるが、ラミアがすぐ脇で同じように震える指先を握りしめているのを見て、耐えた。お互いがここで逃げてしまえば、すべてが終わってしまうからだ。


 茂みの陰で祈るように屈み込むと、また金属の破片が目に入る。欠片に血や泥が付着しており、文字らしき部分は読み取れない。それでも形を見る限り、どう考えてもただの“板金”や“武器の破片”ではない。先ほど私が内部をいじった柱の部品と似ている。――つまり、ギルドが持ち込んだ“スタンピード誘発装置”の一端だろう。それがここで破壊されたということは、何らかの激戦があったのだ。


「……誰が壊したの?」


 思わず小さく呟く。森の魔物たちが体当たりでぶち壊したのか、またはギルド同士の衝突…? 可能性はいろいろ考えられる。が、どれも定かではない。ただ、周囲を覆う血の量や焼け跡の規模からすると、ここで大型の魔物が大暴れした結果、人間の装置を巻き込む形で破壊したと見ても不思議はない。スタンピード主犯が仕掛けた罠が、逆襲されて自滅したという皮肉か――ともあれ、先ほど私が無理やり回復魔法を注ぎ込んで壊した処とは別の装置が消滅したのは朗報かもしれない。少しずつ状況は進んでいるようだ。


 ほかのオークたちも、焼け焦げた残骸を蹴散らしながら注意深く辺りを見回す。少しでも生き残りの仲間がいれば助けようと思っていたのだが、悲しいかな、ここにあるのはほとんど“動かない肉塊”ばかり。私は思わず口元を覆い、ムッとする異臭に耐えた。地面には魔物の骨や人間のものかもしれない装備が幾つも散乱しており、ひとつかみ拾い上げても破片ですら形がとどまっていないほど酷く破損している。何人生きて、何人生きていないのか、まるで見当がつかない。


 すると、ラミアが突然目を丸くして「グアッ!」と指をさした。視線をそちらへ向けると、炎の中から何か黒い影がのたうつように動いている。まさか、生きている人か、あるいは魔物なのか――私は身体を強張らせつつ弓の構えをとる雄オークの頭を軽く押し下げ、“待って”と合図する。よく見れば、その影は瀕死のワイバーンのように見えた。翼を焦がされて飛べなくなったのか、体を引きずりながら苦しげな唸りを漏らしているのだ。


 ワイバーン──ドラゴンに似た外見を持つが魔力や体格が劣る、空を飛ぶモンスター。典型的には人里への脅威として扱われることが多いが、ここではスタンピードの発端によって森へ流れ込んできたのだろうか。いずれにしても、もう手遅れの大怪我を負っているらしい。身動きのたびに皮膚がめくれ、血が地面に落ち、鳴き声は弱々しい。


「……グルッ、グア?」


 ラミアが“どうする?”と目で尋ねる。現状、ワイバーンは戦う意思さえ残していないように見える。ただ苦境にのたうち回りながら、救いを求めているかのようにも思えた。私は数秒思案し、結局、近づいて回復魔法をかける決意をした。オーク仲間たちも少し警戒したが、襲いかかってきそうな気配はない。腕を焦がした竜の翼は見るに堪えないほどの酷さで、ややもすれば撲殺して“危険排除”するのが常なのかもしれないが、私には到底できない。


「大丈夫……怖くないよ」


 近寄りながら囁き、肩を震わせるワイバーンの横に屈む。息が詰まるほどの獣臭と、どろりとした血が鼻を突き刺す。だが、かつて家庭で子どもの転倒傷や夫の酔い潰れを助けた時のように、私は自然と両手をかざしていた。――痛みを和らげるためだけでも、何かしたい。それが私にできる最後の“母”の行為だと思った。


 ワイバーンの荒い息づかいが震動となって私の耳を揺らし、思わず体の奥が震える。それでも構わず魔力の流れを紡いでいく。ほどなく、淡い光がワイバーンの焼け焦げた翼を包むように輝き、血が流れる穴が少しだけ塞がっていった。もちろん、こんな大怪我を完全に治すことは不可能だ。それでも、苦痛が僅かに和らいだのか、ワイバーンの黄色い瞳に憎悪混じりの光が溶け、微弱な鳴き声を上げて私を見つめる。


「グル、グア……」


 ラミアや他のオークたちも、呆気に取られたようにそれを見守った。ワイバーンは相変わらず大きな傷を抱えたままだが、少なくとも狂乱状態からは外れ、息だけは繋いでいるように見える。病葉(わくらば)のような翼をだらりと垂らした姿は悲壮感に溢れ、このスタンピードがいかに無差別で残酷なものかを証明するかのようだ。いずれこの大乱が終わったら、彼もまた自力で飛べないまま彷徨い、いずれ息絶えるのだろうか。それでも、この瞬間だけは無意味な殺し合いを避けられたことに、かすかな救われた気持ちがあった。


 すると、ワイバーンは小さく高い音を喉から鳴らし、ヨロヨロと森の隅へその身を引きずっていく。もうこちらを攻撃したり襲ってくる気配は微塵もなかった。狩ることも簡単だったかもしれないが、私たちは誰も槍を向けようとはしない。殺し合いに疲れ切った。目の前に倒れる者を、ただ放ってはおけなくて、結局こうなる。自分の無力さにほろ苦い感情が込み上げつつ、私は小さく息をつき、再び仲間のもとへ戻った。


「グラッ、グフ(行こう)」


 若い雄オークが興奮混じりの唸り声を発して促す。さっきの光景を見ても、もう誰も“なぜ敵対する魔物を助けるんだ”なんて詰問はしない。むしろ、その決断を受け入れ合うのが、今の私たちにとっての精いっぱいの生き方だった。

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