表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/43

第35話 燃え残る森の中で

 火照り立つ大気に、灰色の霧が漂う夜。

 燃え残っている木々にすら不吉な赤い光がにじみ、“スタンピード”が引き起こす死臭がじわじわと肌を苛立たせる。私たちの周囲には、折れた木の枝が累々と横たわり、どこかに潜伏しているであろうギルド兵の気配が静かに陰を落としていた。


「グアッ、グルッ…」


 短く鋭い声を出した若い雄オークが、手で合図を送りながら先頭を進む。装置を一基破壊したものの、森を覆う脅威が消え去ったわけではない。当然、他にも同じような装置が散在しているはずだし、ギルドの本隊が来れば、この森のどこも安全とは言えない。私たちは神経を張り詰めつつ、ゆっくりと奥へ踏み込むしかなかった。


 少し前方、焼け焦げた土の合間から立ち上がる煙が薄濁りの闇をさらに曖昧にし、視界の悪さは最悪に近い。まるで深い沼の底を泳いでいるかのような閉塞感に、私の呼吸は自然と荒くなる。体力もすでに尽きかけている――痺れた腕はまだ激痛に近い鈍痛が走り、足取りはおぼつかない。けれど、共に歩くオーク仲間の存在だけが、辛うじて心を折らせないよう支えていた。


「グルッ…グフッ?(大丈夫か?)」


 ラミアが私の腕を支えるようにそっと握る。彼女自身も酷く消耗していて、息納めでもするかのように肩が上下していたが、私を励ますような優しい眼を向けてくれた。それに応えるように、私は塞ぎ込む唇をわずかに開き、歯の隙間から低いオークの唸り声をもらす。まるで「まだ大丈夫」と言うように。子どもたちを残してきた罪悪感と、ここで倒れるわけにはいかないという“母”の必死さを胸に、多分そんな気持ちが混ざっていたのだ。


 すると、先頭を歩いていたもう一人の雌オークが、突然立ち止まり、焦燥の混じる声を上げる。彼女は森の闇へ鋭い視線を走らせ、身構えている。何かを感じ取ったのだろう。私たちもつられて呼吸を止め、耳をすましてみる。すると――かすかに遠くの方で、人が集団で歩くような足音が聞こえた。複数の装備がカチャカチャと触れ合う重厚な金属音。どうやら小隊規模の冒険者か兵士がこちらへ近づいてきているらしい。


(まずい… 隠れないと…!)


 即座に仲間たちと視線を交わし、両手のジェスチャーで合図する。倒れた木の根や岩陰につかまり、姿をできるだけ隠すほかない。そして呼吸を浅く抑えながら、私は茂みの隙間から覗き見た。その先には、薄い松明の光を頼りに進む十数名ほどの人間が隊列を組んでいる。鎧を着た戦士や槍兵らしき姿に加え、後方には長いローブをまとった男――魔法使いか神官のように見える者がいる。先ほどの戦闘で遭遇してきた下級冒険者とは、明らかにランクが違う装備と態勢だ。


 彼らの顔には焦りと殺気が入り混じった険しい表情が漂っていた。先頭を切る槍兵が「先の装置からの信号が途絶えた。何者かが破壊したのかもしれん」「手間をかけさせやがって…なんとしても回収指令を!」と途切れ途切れに声を上げる。どうやら、あの装置を制御する“信号”めいたものがあったようだが、さっき私たちが柱をぶっ壊したおかげで通信が断たれたらしい。兵士たちは「指揮官さまに報告せねば」「急げ」と忙しなく騒いでいる。


(本当にギルド本隊が来てるんだ… ここで見つかったら終わり…)


 息を呑む。オーク仲間たちも息をひそめ、木陰に伏してじっと耐える。見つかれば最後、この人数と装備には到底対抗できないだろう。いや、私たちが暴れたところで返り討ちは必至。ここは何とか隠れきり、やりすごすほかない。枝が折れる音一つ、息の荒さ一つが死活問題だった。


 十数名の兵士がやや慌ただしく声を交わしながら、こちらに向かってくる。あわや衝突か――と冷や汗が噴き出たその瞬間、彼らはぴたりと止まり、妙な動作を始めた。後列にいるローブの男が魔道具のような杖を掲げ、ぼそぼそと呪文を唱え出したのだ。瞬間、周囲の大気が揺れ、淡い光が広がる。私にまで伝わってくる魔力の波動。まさか、索敵の術か何かだろうか。どの道、発見されたら逃げ場はない。


(頼む、やりすごして……!)


 心臓を鷲掴みにされる思いが押し寄せる。僅かずつ奥歯を噛む力が強まり、全身の筋肉が緊張する。もし術者がこちらに感づけば、すぐに部隊が飛びかかってくるに違いない。オークであれゴブリンであれ、森の魔物はギルドにとって“討つべき対象”でしかない。しかもスタンピード作戦の真っ只中だ。無条件で殺されるのがオチなのだ。


 しかし、ローブの男はひとしきり呪文を唱えたあと、苛立ち交じりに首をひねり、それから「……ダメだ。反応が多すぎる。魔物どもが興奮しすぎていてノイズが酷い」と言い捨てる。どうやら魔力を用いた周囲の探索が、スタンピードによる莫大な魔物の混在で機能しきっていないらしい。自業自得ではあるが、森全体が混沌としているために、索敵呪文もまともに働かないようだ。


「行くぞ。指揮官さまのもとに急ぐんだ。ここは危険すぎる!」


 兵士の一人がそう叫び、部隊は再び移動を再開した。今度はまとまった足音で一斉に方向を変え、私たちの伏せる場所から少し外れるルートを進んでいく。まばゆい松明の灯りがゆっくりと遠ざかり、やがて茂みが闇に溶け込んでくる。……何とかやり過ごしたらしい。私は安堵のあまり、震えた呼吸を吐き出し、地面に手を付いてぐったりと頭を垂れる。


「よかった……。ギリギリ助かったね……」


 オークの唸り混じりの声で呟くと、ラミアやほかの仲間たちも苦笑に似た息を吐き、人心地ついた面持ちになる。今ので見つかっていたら、一瞬で殺されていたに違いない。あんな重装兵士が十数名もいたら、ひとたまりもないだろう。少なくとも装置破壊で消耗した私たちはひとり残らず藻屑だ。


 しかし、実感した危機は未だ継続中だ。ギルド兵の小隊が森を徘徊しているということは、他の場所でも同規模またはそれ以上の部隊が動いている可能性が高い。だが、同時に収穫があったとすれば、彼らが「指揮官さまのもとに急ぐ」と口にしていたこと。その“指揮官”が、私の漠然とした嫌な予感――つまり“夫の姿に酷似した男”――と結びついているのなら、やはり奴は森のどこかで中枢を握っているのだろう。恐らく、複数の装置を管理し、スタンピードの最終段階を仕切っているに違いない。


(もしその指揮官に辿り着けば、他の装置の制御も止められる? あるいは森全体を救うカギを握っているかも……)


 そんな淡い期待が揺らぐ一方、“指揮官”が本当に夫だとしたら――この最悪の戦争を仕掛けている張本人を、自分の手で止めなくてはならない。曖昧な想像の断片が脳裏をかすめるたび、胸がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。家でも仕事でも、ろくに顔を合わせることがなかった夫。その彼が“この世界”で私のオーク仲間を殺す側に立っているかもしれないという理不尽に、憤りや悲しみ、そして恐怖が入り混じる。頭がおかしくなりそうだった。


「グルル……」


 ラミアの声が背後から掛かる。どうやら、このまま森の奥を探索していても限界が近い。回復魔法も底をつきかけ、私自身がいつ倒れてもおかしくない。仲間たちも高熱や切り傷からくる痛みで疲労困憊だ。やはり一度、どこか安全な場所――そう、巣穴や倒木陰の大きな隙間などを見つけて休息をとる必要があるだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ