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第32話 魔物たちの戦場

 静寂など、最早どこにも見当たらなかった。

 森の深奥で“スタンピード”が高まり、オークやゴブリン、ワーウルフなどの魔物たちが血走った目で徘徊する。あちこちから木々のへし折れる音や金属のぶつかり合いが響き、まるで森全体が悲鳴を上げているようだった。森の地面には幾筋もの潰れた草の道ができ、そこを中心に獣臭と腐敗の香りが入り混じっている。ここはもう、誰もが疑わぬ“戦場”だった。


 そんな森の中、私は荒い呼吸を整えながら、両手の冷たさをこすり合わせていた。地面を薄く覆う赤黒い霧のようなものが、夜闇をさらに不気味に彩っている。神経がすり減るほどの刺激音と殺気が絶え間なく続き、心臓は焦燥と恐怖で高鳴りっぱなしだ。けれど、その奥底には“絶対に諦めない”という炎がかすかに燃えていた。仲間を守り、人間のギルドに翻弄されるこの森を少しでも救いたい――そう強く願わなければ、頭がおかしくなってしまいそうだから。


 私のそばにはラミアを含む数名のオークが身を寄せ合うようにして立っている。誰もが傷だらけで、夕刻から今に至るまで何度も小競り合いをくぐり抜けてきた。けれど大きく崩れずに済んでいるのは、私の回復魔法の助け、そして仲間同士で支え合う気概があるからだ。いざという時、見知らぬ者でも助け合う――それがこの森に生きるオークたちの文化なのだろう。長らく“孤独な主婦”だった私には、それがまぶしいほど尊く映った。だからこそ、本能的に守りたいという衝動が湧く。


「グルッ…ガフッ!」


 先頭を切って走っていた若い雄オークが振り返り、森の奥に見える何かを指し示す。月光の乏しい夜だが、森の一角にちらつく異様な光が見て取れた。遠目からでもわかるほどの赤い火柱と、白い閃光が断続的に弾けている。言葉は通じなくても、“また凄まじい戦闘が起きている”“あるいはギルドの魔道装置が暴れ回っている”と想像するには十分だ。私たちはそちらに近づくか遠ざかるか迷いながらも、結局、足が自然と動いてしまう。あちら側へ向かわなければ、何も掴めずに全滅するだけだとわかっているから。


 森の木立をかき分ける途中、私たちは何度も死骸の山や血溜まりを通り過ぎた。なかには息絶えたオークの姿もあったが、それでもかろうじて生きている者がいれば、ラミアや私は迷わず回復を施した。大半はもう手遅れだったが、一度でも目を逸らすと自分の心まで壊れてしまいそうだ。沈黙のなか、私がほとんど神経をすり減らすように仲間へ対処していると、一人のオークがフラフラと立ち上がり、私にすがるような目で「グルッ…」と声を上げる。彼の腕には深い裂傷が走り、骨が露出しそうなほど抉られていた。


「だ、大丈夫。まだ治る……よ」


 私はぎこちなく唸るように言い、回復魔法をかざす。夜の空気が冷たいが、傷口だけはほんのりと温かい光が差していく。腕の裂け目から盛大に流れていた血が、じわりと引っ込むように止まり始めた。もちろん完全回復とはいかないが、命を繋ぐ程度の治療はできる。彼は痛みに耐えながらも、おそらく「ありがとう」と言いたげに頷き、泥酔状態のような足どりで森の奥へ向かう。その姿を見送る時、複雑な思いがこみ上げてきた。皆が生きるために必死なのに、外からやって来たギルドの陰謀で命を散らしている。この理不尽な構図に、心が悲鳴をあげる。


(ただの“下級魔物”だからって、皆殺ししていい理由なんてあるはずがない)


 そう自分に言い聞かせながら、疲弊した仲間たちを励ます。やがて茂みを抜けた瞬間、眼前に奇妙な光景が広がった。森の木々が雪崩のようになぎ倒され、土が削れた平地のようになっているのだ。中央には大きなクレーターがあり、焼け焦げた草木が散乱していた。数十メートル先にかけて、地べたが異様に光っているのは炎の残滓(ざんし)だろうか。それともギルドの何らかのエネルギーが漏れているのか――。夜空に立ち昇る煙と硝煙が目に沁みて、視界が歪む。


 そのうち、闇の向こうに“人間の姿”がちらほらと見えた。鋭い装備を備え、鎖帷子の上からギルドの紋章を染め抜いたマントらしきものを着ている者が数名。彼らはすでに疲労したのか、地面に倒れ込んでいる仲間を介抱していた。が、その顔は恐怖と焦燥でこわばり、どうやらこっちに気づく余裕はなさそうだ。相当の混戦を経てきたのだろう。


「グルッ……(ここは危ない…かも)」


 ラミアが低く呻き、とても前に進める状態ではないと言いたげだ。けれど、向こうのギルド兵がこちらに気づけば、一瞬で戦火が再開する恐れがある。私はぐっと唇を噛み、自分たちの位置が露見しないように低い姿勢で歩を進めた。なんとか倒木の影に隠れ、一息つく。それでも頭の中は、さっき見た“森の大きく削れた地面”を思い返してぐるぐるしている。こんなの、普通の魔法や爆薬レベルじゃない……何かもっと“科学技術じみた”力が使われている。

 ――つまり、それこそがギルドの謎の“装置”による仕業なのか。


「こっち……来て…!」


 仲間のオークが手招きする先を見れば、森の奥へ続く裂け目のようなルートができていた。ここを通れば、さらに前方へ回り込み、ギルド兵たちから距離をとりつつ前進できそうだった。私も「グルッ」と喉を鳴らし、ラミアやほかの者を促す。敵と距離を置きながら裏へ回る、それしか手立てがない。戦って勝てる数じゃないし、今は潜んで機会をうかがうしかないのだ。


 おぼつかない足取りで倒木の間を進んでいくと、霧が一層濃くなり始めた。ざわつく胸に加え、肌にまとわりつく冷ややかな湿気。土の香りに混じって、焦げた獣皮の刺激臭が鼻を突き上げる。森は相当焼かれている――さっきまでの散発的な火柱が、こんな形で被害を広げているのだろう。私たちが踏み出すたびに、地面は炭のように乾き、ところどころまだ(くすぶ)っている。


「クッ……やっぱりギルドは、本当に森を焼き払うつもりなのか」


 声には出ないが、喉の奥から嘆きが絞り出る。かつて“便利な主婦”として無我夢中に働いていた私が、この世界でこんな姿になり、もはや血と炎の戦場を駆け巡っているなんて……。祈っても何も変わらない現実に、そろそろ嫌気が差しそうだった。けれど周囲を見回せば、私の仲間たち――ラミア、若い雄オーク、さらに雌オークが数名、皆此処で生き抜くために懸命に目を光らせ、体を奮い立たせている。彼らの呼吸は苦しげでも、その眼差しには諦めが見られない。


(私も、しっかりしなきゃ。疲れたなんて言ってる暇ない……)


 足の震えを噛み殺し、さらに進む。誰ひとり言葉を交わさずとも、わずかな仕草で意思を伝え合っているのが感じ取れた。森の奥へ行くにつれ、まるで心臓を掴まれるような圧迫感が増している。空気中に漂うのは魔物の唸り、焼け焦げた肉の匂い、そして――規則的な機械音のような“バチッ、バチッ”という奇妙な干渉音。


「あれは…?」


 近くの茂みを抜けた瞬間、再び私は息を呑んだ。そこには金属製の“柱”が刺さるように立っており、上部には円盤状の部品が取り付けられている。やはり先ほど見た装置の一端なのだろう。周囲の木々が軒並み薙ぎ倒されて空き地のような形ができ、そこを占拠するかのように何台もの柱が並んでいた。それぞれが怪しく稲妻を散らし、ほんの僅かに宙を焦がしているのが見える。


 しかも、その“柱”の足元には人間たちが数名倒れていて、既に息絶えている可能性が高い。おそらく――ギルドのメンバーだろう。それほどまでに“装置”の制御が危険最優先で、下級兵を使い捨てにしているのかもしれない。空気にはビリビリした静電気や、鼻を焼く金属臭が漂い、近づくだけで恐ろしいほど嫌な予感がする。どのオーク仲間も苦しげに唸り声を漏らしているところからして、魔物なら尚更影響が強いのだろう。


「グル……グラ……」


 ラミアが小刻みに首を振って、どうやら“行くべきじゃない”と言いたげだ。確かに危険だ。自殺行為かも。でも、仮にこの柱を破壊すれば、スタンピードや森の混乱を抑えられるかもしれない。向こうで制御が効かず破壊された装置もあるのだろうから、弱点はきっとあるはず。私の脳裏に、かつて家庭で鍋や電子レンジを使った経験なんかが断片的に浮かぶ。「通電部をショートさせる」「水をぶちまけて回路を破壊する」――そんなアイデアが、現代の知識に名残る形でちらつくが、それが本当に通用するのかはわからない。


 まさに死に物狂いで、その柱に突撃するしか手はないのかもしれない。けれど、たった数名のオークでそれを成し遂げられるか? 相手方の防衛隊が周囲に潜んでいるかもしれないし、迂闊(うかつ)に近づいたら柱から放電が起きて焼死するかも――。逡巡する時間が長引くほど、胸が詰まる。周りのオークたちも、意志を固めきれないまま私に視線を向けてくる。自分が突撃を呼びかければ、彼らは命がけで付き合ってくれるだろう。でも、もし私が判断を誤って皆が死んだら?


 ――私が立ち止まる間も、湿った風に混じって悲鳴や怒号が遥かに響く。森の別の場所で交戦が激化しているらしい。おそらくギルドの大規模な部隊が流入し、魔物とオーク、そして他種族が雪崩れ込んでいるのだ。遠くには大きな輝きが何度も閃いており、そのたびに森の輪郭が揺らぐ。あれは魔導の火球なのか、あるいは“爆薬”に似た何かか。混乱が頂点に近づきつつあるのは明白だった。


「この柱を壊す……どうやって?」


 私はしゃがみ込んで、地面に指で円を描きながら仲間に問いかける。彼らも視線で応じるが、やはり決め手は見つからない。なにせこれまで見たことのない形の金属柱で、どこに弱点があるのか想像もつかないのだ。力任せに棍棒や斧で叩いても、感電してしまうかもしれない。オークの怪力をもってしても、ただの金属棒ではない可能性が高い。何か回路をショートさせればいい――頭ではそう思うが、ラミアにはもちろん説明できないし、必要な水や導体が手元にあるわけでもない。


(どうすれば……)


 脳裏を駆け巡るのは、現代人としての知識と、この世界の魔力の融合。ただし、私は“回復魔法”しか扱えず、破壊魔法などは一切使えない。だがひとつだけ、思いつくことがある。――私の回復魔法は、怪我や痛みを“修復”して治す力だ。けれど、もし人体や生物以外に放たれたらどう作用するのか? 未知数だが、絡み合った回路を“勝手に繋ぎ直す”ように働けば、むしろ誤作動を引き起こすかもしれない。そんな突拍子もない発想が浮かんでは消え、グラつく心の中に微かな希望を与えていた。


「……試す価値は、ある」

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