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第18話 最後の晩餐

 昼過ぎから夕方にかけて、オークの仲間たちは散開して森の周辺を探り、残り少ない食材や薬草、不思議な色をした根っこや木の実をかき集めてきた。もちろん、いつ人間と鉢合わせてもおかしくない状況なので、皆が少人数ずつ交代で偵察しながら慎重に動く。私は指示された通りに鍋を運び、また盛大に煮炊きを始めるつもりだったが、この異様な空気感には胸がざわついた。まるで、これから挑む戦いが“最後”だと誰もが悟っているかのように感じられるのだ。


 日が沈みかけた頃、再び集落の中心にオークたちがやって来る。子どもたちは疲労からか眠たそうにしがみつき合い、戦士たちは鋭い眼差しで周囲を警戒している。そんな中、壮年のオークが拾ってきた薪をくべ、私が石の台の上に大鍋を据え付ける。昨晩よりも食材はさらに乏しいが、それでも持ち寄った肉片や怪しい根菜を切り分けて、一気に煮込んでいく。薬草の苦い汁も投入すれば、体を温める効果が期待できそうだ。混沌とした闇が集落を覆うなか、アルカロイドじみた宵闇の匂いが鼻に刺さる。


「……グフッ……ガア」


 ラグナスがそう呟きながら私の背中を軽く叩く。たぶん“頼む”という意味なのだろう。私も血生臭い空気を振り払うように大きく息を吸い込み、軽く頷く。木製のヘラでぐるぐると鍋をかき混ぜていると、昨晩より暗い雰囲気のオークたちが、次第にその匂いに惹かれて寄ってくるのがわかる。楽しい宴などではない。誰もが疲れ果て、明日を恐れ、今この瞬間を噛み締めるようにして水音を聴いている。その姿はまさに“最後の晩餐”という言葉がふさわしいほど重苦しく、それでいて苦い希望を捨てきれないようでもあった。


 やがてスープが優しく煮立ち始めると、森で拾った木の実らしきものが溶け出し、ややとろみがかった色になってきた。底からすくい上げるごとに、どこか異世界めいた甘い香りと、薬草のえぐみが入り混じる複雑な匂いが広がる。けれど、オークたちの胃袋には十分だ。子どもたちは近くで小さく鼻を鳴らし、雄オークや雌オークはそれぞれの武器を身近に置いたまま、視線だけをこちらに向ける。遠巻きに悲しげな気配を漂わせながらも、その匂いにほんの少し心を緩ませるのが伝わってくる。


「……みんな、ちゃんと食べて」


 もちろん日本語で呟いたところで誰にも通じない。けれど、自分の心が少し落ち着く。――私は何もできない無力な存在かもしれない。それでも、今日ここにいる仲間たちに、せめて一杯のスープだけは分けてあげられる。オークとして醜い姿になっていても、人間としての記憶がどれほど曖昧になろうとも、“母”が家族を養うように私はこの集落を支えたい。いつかスタンピードの大波に飲まれようと、ギルドの魔手が森を蹂躙しようと、今だけはこの身体と想いを捧げたいと強く願う。


 出来上がったスープを大鍋からすくい、暗がりに佇むオークたちに配っていく。怪訝そうな顔をしていた怪我人も、鼻を近づけて一口すすり、意外そうに目を潤ませる。子どもたちも飲んでは咳き込み、けれど「グルッ」と笑ってみせる。昨晩より隠し味の塩と薬草が強いからか、少し苦味が強いスープだったが、みんなは一気に胃袋へ流し込んでいく。そんな光景に、私の胸はかすかな達成感と深い哀しみに包まれた。――この奇妙な家庭的温もりが、どうか滅びずに続いてほしい。何度もそう念じずにはいられない。


 数分もしないうちに、鍋のスープは見る間に減っていく。ちょうど満月に近づく赤みがかった月光が、半壊した集落の中心部分を淡く照らし、壊れた板や惨劇の血痕がほの暗い光を反射していた。オーク仲間たちは声はあまり上げず、静かに食事をする者が多い。もしかすると、この先避けられない戦いや、スタンピードの恐怖が頭をよぎっているのだろう。そんなとき、誰かが軽く杖をつく音が鳴り、それを合図に弱々しい拍手がパラパラと広場に広がった。


 見れば、先ほどの年配オークだ。杖代わりの長い枝を握りしめながら、何らかの所作を示している。雌オークたちもそれに倣うように“グフッ、グフッ”と喉を鳴らし、まるで亡き仲間の霊を弔うかのように穏やかな動作で頭を下げている。それは“この食事を与えてくれた大地や森、そして調理を担った者への感謝”にも思えたし、“これがもし最後なら、その魂を心に刻もう”という祈りの儀式であるようにも感じた。


 私の目に熱いものがこみ上げる。まぶたを伏せた瞬間、暗闇の中でも、オークたちの淡い感情がどこか照らされているのを感じる。――何という悲しくも美しい瞬間だろう。それぞれ辛酸を()めてきた者同士が、束の間の共感を分かち合う“最後の晩餐”。私たちは明日を恐れながらも、今日だけは同じ鍋の味と熱を体に入れ、(いびつ)ながらも繋がっている。


 しかし、その儚い光景を裂くように、遠くの森で何かが爆ぜるような轟音が響いた。その音に真っ先に反応したのは、戦士のオークたちだ。「グルッ!」と唸り声を上げて全員が即座に立ち上がり、武器を手に集落の外へ駆け寄っていく。残された雌オークや子どもたちは怯え、今まさに飲みかけだったスープの器を取り落としてしまう者もいた。――私も胸が締めつけられるような恐怖を感じながら、地面に広がる赤黒い影と破れた器を見つめた。


 大鍋にはまだ少しスープが残っているのに、それに構う余裕は誰にもなくなってしまった。遠くから伝わる振動は、まるで大地が悲鳴を上げているかのよう。スタンピードの前触れか、ギルドの大部隊が迫ってきたのか、それともまだ別の何か――。どちらにせよ、私たちの“最後の晩餐”はこれで終わりを告げる。


 オークたちは総出で集落の端へ集まる。ラグナスが必死に雄叫びをあげ、散り散りに配置を指示しているらしい。私は集まった雌オークに混ざって子どもたちを守ろうとするが、その子どもたちが私の腕にしがみつき、涙を浮かべ

ながら「グゴッ……」と小さく震える声を漏らす。どうしようもない不安と焦燥が、言葉にならぬまま喉に詰まる。


『ごめんね、守りきれるかわからない。だけど、あなたたちを見捨てたくはない――』そんな思いが、苦しくて仕方がない。


 刹那、暗く淀む空が稲妻のように一瞬だけ明るく光り、どこか遠くで悲鳴にも似た叫びが上がった。オークたちの耳がぴくりと動き、緊張がピークに達する。――大嵐のような気配が、一気に森を包もうとしていた。


 こうして、“最後の晩餐”を囲んだ私たちオークの集落は、再び絶望の渦に巻き込まれる。ほんのわずかな希望と温もりを感じた夜が、まるで嘘のように雲散霧消していく現実。孤独だったはずの私が、いつの間にか大勢の命を背負い込んでいる。足元で震える子どもの小さな手が、あまりにも切なく胸を抉る。――逃げられるのか、次の戦火を回避できるのか。それとも、このままスタンピードとギルドが巻き起こす大乱に呑まれ、すべてが灰になるのか。


 オークとしての私が定めた“母”の役割、まだ半分しか果たせていない。それなのに、もう場所も時も残されていないような息苦しさに襲われる。私は唇を噛みながら、周囲に厳戒態勢を敷く仲間たちの姿を横目で見て、自分も思わず拳を握りしめる――まだ、諦めたくない。死へ向かうだけの運命なのだとしても、この腕で守れる命があるなら、私は最後まで足掻きたいのだ。


 耳を裂くような激しいごう音が二度、三度と遠くでこだまする。森の向こうで、何かが猛烈な勢いで暴れている。それが一体何なのか、誰にも判別がつかない。ただ、恐怖に震え、仲間と肩を寄せ合うしかない。この荒れ狂う暗雲の下で、私たちはまた運命を試される――ギルドが画策する“スタンピード”の脅威、あるいはそれ以上の謎……いずれにせよ、もはや逃げ場はほとんど残されていない。


 燃え上がるような恐怖の兆しを前に、再び大きく息を吸い込む。――荒れよ、と森が叫んでいる。大地の底で何かが(うごめ)き、空では赤い月が冷酷に笑っているように見える。これが本当の“暗雲の兆し”だと知りながら、それでも私は震える指先で子どもたちを抱え、残りわずかの熱をたたえた鍋に別れを告げた。次に訪れるのが破滅か希望か、答えを知る権利など最初から与えられていない。それでも、もはや一歩も引き返せない。――ここで倒れるわけにはいかないのだ。


 こうして、小さな幸せが儚くも消えかけるなか、深い夜の闇に絶望の狼煙(のろし)が上がる。そびえたつギルドの暗影と、遠く蠢くモンスターたちの唸り声。すべてが一つの“大乱”へ向かって、徐々にその歩みを速めている。


 私は息を止めるようにして、子どもたちの頭をそっと撫で、“覚悟”を心の奥で強く噛みしめる。――必ず、この中で生き抜いてみせる。後悔で身を裂かれないためにも、仲間の命を可能な限り救いたい。それがかなわずとも、最後まで足掻いてみせる。それが私、“母”としての意地だ。

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