【最終回】39.喜劇の終わり(2)
「陽と桃ちゃんは、次の次の次の次だからな」
碧は、車両内に貼ってある路線図を指さして、三ツ矢兄妹に念を押した。
心配だが、次の駅で別行動になる。
「そうだ。稽古始めの日には、私、勇仁会に遊びに行くからね!」
暁が、弾んだ声で宣言する。
暁も碧も、12月いっぱいで、空手教室を退会したのだ。
「碧も来るのかあ?」
「俺はな、正月特訓なんだよ……」
最上位クラスの碧は、正月にも塾がある。
そして、年明けからは、全曜日が通塾日となる。
休みなんて無い。月月火水木金金だ。
いよいよ、受験戦争に突入だ。
「あ。でも正月一日は、塾終わったら、お母さんと陽んちに行くから」
年始のご挨拶だ。
ちなみに、三ツ矢家のお雑煮は、鶏ガラ仕立ての具沢山醤油味である。最高に旨い。
「お雑煮、たくさん作ってもらうね」
嬉しそうに、桃が微笑む。
ふっと、陽の顔から笑みが引っ込んだ。
まただ。
暁のことを見ている男がいる。
じろじろ、あからさまなのが、一人。
ちらちら、気にしているのが、二人。
行きも、そうだった。
地下鉄の車内で、暁を見るなり、口笛でも吹きそうな顔になった男がいたのだ。
無理もない。長い髪に変わった暁は、非の打ち所がない美少女だ。
元から整っている顔立ちを、極上のストレートヘアが際立たせてしまっている。
暁曰く、うっとおしいので、自分でばっさり切ったことがあるそうだ。
寝る前に、家庭科の裁縫セットに入っている裁ちばさみで。
「ほんとかよ!!?」
それを聞いた時、碧は、ひっくり返った声を上げた。
「うん。でも、朝起きたら元通りになってた」
うんざりとした顔で、暁が答えていた。
ゴミ箱に捨てた筈の髪の毛も、無くなっていたそうである。
それを三回やって、いいかげん暁も諦めた。
「じゃあね、陽、桃ちゃん!」
ドアが開いた。光り輝く笑顔を見せて、暁が降りていく。碧も、「またな」と手を挙げた。
閉まったドアの向こうで、同じ塾バッグの背中が、二つ並んで歩いてゆく。
笑顔で見送りながら、陽は、少しひやりとしていた。
あの、じろじろ男も降りた。
偶然、降りる駅が一緒だっただけか。
それとも、故意に付いていったのか。
……まあ、大丈夫かな。碧も一緒だし。
それに、以前、聞いたことがある。
駅の改札には、塾のスタッフが立っているそうだ。
安全対策は、万全だ。
何かあったら、塾バッグを目印に、駆け付けてもらえるだろう。
しかし、すごいな。
リニューアルした暁の威力を、目の当たりにした一日だった。
まだ小学5年生で、これだ。
この先、成長したら……。ものすごく大変なんじゃないか? 主に碧が。
オーロラが贈った「リラの精の加護」。
「加護」の意味は、守り助けることだって、教えてもらったけど。
本当に、暁を守ることになるんだろうか?
逆に……暁に災いをもたらすことに、ならないかな……。
桃が、怒った顔で、陽を引っ張った。
「ん?」
「降りる駅でしょ」
「あ」
いけない。考え込んでいた。
ドアが開く。妹が一緒でよかった。危うく乗り過ごすところだ。
「お兄ちゃんは、もう」
ぷりぷりしている桃が、ずんずん先に行って改札を抜けてしまう。
陽も、ぴよぴよを鳴らして通り抜けると、大股で妹の横に追いついた。
ちゃんと一緒に帰らないと、母親から雷が落ちる。災害級のやつだ。
リロリロ リロリロ
軽やかな警告音を鳴らしながら、二人の横を清掃機がすれ違った。
床の掃除をする、小さな車だ。作業着姿の清掃員が、押して進んでいく。
陽は、気付かなかった。桃も。
その小さな車体の後ろに、ピエロのお面が引っかけられていたのに。
「すみませ~ん。これ、落とし物です。改札の横っちょに落ちてました」
駅事務室まで来た清掃員は、車体を止めると、中に入った。
二人の駅員が、話をしている。忙しそうだ。
カウンターを指さして、聞いてみる。
「これ、ここに置いといていいですか~」
落とし物を清掃中に見つけた場合は、駅員に届ける。なるべく早くに。
教えてもらった業務マニュアル通りだ。
この仕事に就いてから、初めてのことだったが、ちゃんと実行した。
履歴書に書いた通り、「真面目」が自分の長所だ。
「はい。どうもお疲れさま」
一人の駅員が、すぐに席を立った。
慣れた態度で労うと、きちんと両手で受け取ってくれる。
「じゃ、お願いしま~す」
お辞儀をすると、清掃員は、すぐに駅事務室を出て行った。
清掃機が、再びリロリロと去っていく。
もう一人の駅員が、横から覗き込んだ。
「なんだ、そりゃ?」
「仮装用マスク……ですかね」
変わった落とし物だ。
「ゴミなんじゃないの。単に必要なくなって、捨てていっただけとかさ」
いいかげんな上長だ。やる気もない。
無駄なおしゃべりばかりだ。
愛想をつかしている部下は、いつも通りに、右から左に聞き流した。
そして。この拾得物は、決められた手順通りに扱われた。
駅で一定期間預った後、地下鉄の忘れ物センターに送られたのだ。
だが、落とし主からの申し出はなかった。
そうなると、最後は警察行きだ。
「仮装用マスク」は、警視庁遺失物センターに辿り着いた。
都内中の膨大な忘れ物が、集結する場所だ。
種類も数も、桁違いに多い。
保管場所には、しきりに職員が出入りしていた。
窓口は込み合っている。大忙しだ。
だから、誰も、気に留めなかった。
棚の隅から聞こえてくる、ぶつぶつ呟く声に。
「……コッペリウスだ。コッペリウスが、足りなかったようだな……」
男にしては高く、女にしては低い声だ。
なにかの落とし物から、音声が漏れ出しているのか。
「……まったく、真面目と馬鹿は、紙一重だ。拾えばいいだろう? がめちまえば、いいだろう? 売り払えば、金が手に入る。そうすれば、こちらだって、また楽しめるというものだ……」
アナウンサーのような美声なのに。侮蔑と憤りで、醜く歪んで聞こえる。
「……地下鉄か。あそこはよかった。数多の人間の感情が、入り乱れて、澱んでいた。きっと、あれたちも好むに違いない」
ぴたりと、呟きが止まった。
職員が、棚に近づいて来た。
リストを片手に、該当する物を、カゴ台車に入れていく。
様々な落とし物で、カゴは満杯だ。
真っ青な仮面が、一番上に乗っけられた。
くくくっ……
仮面から、忍び笑いが漏れた。
だが、職員は気付かない。
「ようやく出られるのか。お次は、誰の手に渡ることやら」
カゴ台車にプレートを下げると、職員は出て行った。今日の業務は、これで完了だ。
灯りが落とされた。
しん、と室内が静まり返る。
「……コッペリウスを集めることにしよう。もっと。そう、もっとだ。次は、悲痛な叫び声が溢れる悲劇にしよう。身も凍るような惨劇も、大歓迎だ」
小さな声が、ぶつぶつ聞こえてくる。
ねじけた心が、ぷんぷん臭ってくるようだ。
『廃棄処分』
台車に下げられたプレートには、そう書かれていた。
真っ青な顔。赤い唇が、弧を描いて嗤う。
「喜劇は、これにてお終いです」
【ダンジョンズA 完】
あとがき
最後までお読み頂き、誠に有難うございました。
もし、1から続けて読んで下さっている方がいらっしゃいましたら、心よりお礼を申し上げます。
とても励みになっていました。完走できたのは、読者の皆様のお陰です。
ブログサイトの方には、引き続き総フリガナ版を掲載していく予定です。
そして、本日より次作を投稿していきます。
今までと同じく、毎週土曜日に投稿。
もう四話アップしていますので、ぜひ読んでみて下さいませ。
あらすじ
これは もう一つの過去
そして もう一つの未来
昭和40年代の日本。
原因不明の奇病が、国内で確認された。
非制御型獣化症
厳めしい病名だが、おちゃらけた症状が発現する。
自分の耳とは別に、「猫の耳」が頭に生えてしまうのである。
千里 乙尚
鳥海 千里
罹患した二人は、「採掘師」になっていた。。
「エネルギーチップ」という、乾電池のようなエネルギー資源。
それを採掘できるのが、何故かこの奇病に罹った者だけであったのだ。
二人は、千里と名乗る「ネコ耳」の少年と出会う。
「大きな山があるんだ。一緒にやらないか」
誘った乙尚も想定外。とんでもない事態が待ち受けていた。
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次作も頑張ります! どうぞブックマークよろしくお願いします。




