37.救護(2)
「陽、桃ちゃんは?」
「無事だ。みかげは?」
「大丈夫、一緒に落ちた。奈落では、もう姿が見えなかったけど、ちゃんと帰れたと思う」
全く意味が分からない会話だ。
なので、後日、事情を聴きに来た警察関係者にも、そのままを伝えたものだ。
ええ、確かにそう言ってましたよ。
碧は、エントランスホールを見渡した。
がらんとしている。
壁面を埋め尽くす大画面に、時計が映し出されていた。
大きなアナログ時計。下には、デジタルの数字も表示されている。
全て、ぼやけて見えた。
眼鏡は、吹っ飛んだ。……もう戻ってこないだろうな。
時計の針が、かろうじて読めた。
午後5時……30分近いか。
夕焼けチャイムが鳴り、地宮に引きずり込まれたのが、5時。
陽と桃が帰還したのは、きっと、その直後だろう。
向こうで過ごした時間は、現実の世界では経たないから。
でも、今回は先発と後発に分かれた。
つまり、陽達が先に現実の世界へ戻ってきて、その後で、自分と暁が帰還を果たしたのだ。
俺と陽の間には、時間の経過が存在する。
だから、30分経ってしまったってことかな。
「だいじょうぶかい? 暁ちゃんだね、暁ちゃん!」
救急隊員のおじさんは、屈みこんで繰り返し呼びかけていた。
「……う」
暁が反応した。呻き、顔をしかめる。
よし、いいぞ。
おじさんは、暁の呼吸も確認している。
陽と碧は、頷き合った。
うん、大丈夫そうだ。
「……でも、暁の髪の毛?」
なんで、いきなり伸びてるんだ。
陽も、さすがに、それを口に出して問うのは憚られたらしい。
碧に、小声で、それだけ言う。
やっぱり夢じゃなかったんだ。
奈落を落ちていくとき。豊かに棚引いた黒髪は、暁の背丈ほどあった……ような気がする。
でも、今見ると、そんなに長くない。
腰くらいまでかな。絹糸のような極上の黒髪が、暁の顔を縁どっている。
乙女度が、だだ上がりだ。
暁といえば、ぴょんぴょん跳ねるショートヘアーなのに、見る影もない。
「オーロラの贈り物だよ」
詳しい話は、後でしよう。
落ち着いて、桃も揃ったときに。
そうだ。リスクのことも話さなくちゃ。
地宮に迷い込んだのは、陽と桃も同様だ。
自分達よりは回数が少ないけど、教えておいたほうがいい。
「もしも碧が危険な目に合ったなら、きっと暁が助けてくれるでしょう」
オーロラの言葉が、蘇る。
それは、きっと正しい。
今回だって、そうだったんだから。
暁がいなかったら、帰ってこれなかったと思う。
それに……。
碧は、袖口のカフスを外した。
よかった。シャツの内側に入れていたから、吹っ飛ばないで済んだんだ。
碧玉のブレスレットは、ちゃんと、あった。
もし、あのとき、暁が止めてくれなかったら。
自分は、案内板に言われるがままに、この形見を奈落に放り出していただろう。
今なら分かる。
あのとき。案内板は、巧妙な言い回しをしていた。
「手放したら助かる」とは、決して言ってなかったんだ。
あれは、悪意のある扇動だった。
案内板なのに。どうして急に、あんなことを言いだしたんだろう?
よく分からない。
でも、これだけは分かった。
言われたことを、そのまま信じちゃいけない場合もあるんだ。
いくら、いろんな案内をされたとしても。
最後は、自分の頭でちゃんと考えて、自分で判断しなきゃいけないんだ。
そうだよね、ド・ジョー……。
ブレスレットの青色が、美しい水の球を思い起こさせた。
ちゃんと帰ってこれたよ。
マダム・チュウ+999、マッチョ・スワンズのみんなも。
ありがとう。
でも、また会いたい。
すごく会いたい。
そう伝えられたらいいのに。
「碧、」
陽が言い淀んだ。顔だけで分かる。
で、どうする?
これから、大人が色々と尋ねてくるだろう。
どう話す?
笑いが込み上げてきた。
そうだ。それで、うじうじと悩んでいたんだっけ。
一番いい解決策なんて、決まってるのに。
「もういいよ、陽。ぜんぶ本当のことを言っちゃおう」
「えっ?! いいのかあ?」
「ああ。どんな話をこしらえても、矛盾が生じるだろ。どうせ、俺たち四人で申し合わせることも、できなくなったしな」
うち二人、暁と桃は、現在気絶中である。
「もう無事に終わったんだから、ぜんぶ本当のことを言っちゃえばいいんだ。人が信じるか信じないかなんて、構ったことじゃない」
傍には、救急隊員のおじさんがいる。
別に聞かれたっていいや。
もう、ごまかす気はないんだから。
オールクリアだ。
安堵の波が、すごい勢いで押し寄せてきた。
そろそろ、だめだ。
死ぬかと思ったんだから、しかたないだろ。
あれだけの目にあって、けろっとしている陽が、おかしいよ。
エントランスホールの自動ドアが、開いた。
担架がやって来るのが見える。
「きみ、お名前、言えますか?」
さっきの隊員さんが、話しかけてきた。
碧は頷いた。はきはきと答える。
「はい。双海碧です。このセンターの先にある、西小学校の五年生です。この女の子も同じクラスで、名前は、一ノ瀬暁」
あとは、陽がいるから大丈夫だろう。
自分の頭がはっきりしていることが伝わればいい。
碧の視界が、四隅から、どんどん色を失っていった。
自分は、今、床に座り込んでいる。
よかった。立ったまま、ばたんと倒れると、危ないんだもんね、お父さん。
「じゃ、ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」
ちゃんとそう言ってから、碧の上体は、ぐらりと傾いだ。
のちのち、身内の間で語り草となったものだ。
碧ったら、救急車に乗る前に、そう挨拶してから倒れたんですって。
「碧っ」
陽が抱きとめる。
大丈夫。後は、救急隊員にお任せだ。
2台目の救急車が、既に到着していた。
暁も碧も、ストレッチャーに乗せられて、さくさくと車内に運ばれていく。
「念のため、君は大丈夫? 具合は悪くない?」
一緒に乗り込んだ陽に、さっきの隊員さんが尋ねてきた。
そこで、陽は初めて気付いた。
「……あれ? そういえば、ふらふらするなあ。なんでだろ?」
【次回予告】
38.謝罪
7/12㈯の朝7:10に(1)、お昼の12:10に(2)を投稿致します。
39.喜劇の終わり で最終回となります
ぜひ、最後までお付き合い下さい。
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