36.ナナホシテントウ(1)
あれ? 俺、落ちているんだよな。
あまりにも長い間、落下し続けているからか。
なんだか、宙に浮いているような気がしてきた。
暁も、まるで浮かんでいるみたいだ。
バレリーナのチュチュを身に着けた体が、下の方に見える。
みかげの姿は、ない。かぼちゃも、人の姿もだ。
ちゃんと帰れたのかな。
だとしたら、今ごろ現実の世界で、目が覚めているに違いない。
見えるのは、二人だけ。
目を閉じて空中に四肢を投げ出している暁と、黒いタキシード姿で浮いている自分だけだ。
ん? おかしいぞ。
なんで自分の姿まで見えてるんだ?
幽体離脱かな、これ。
意識だけが、体から抜け出ている様子だ。
だって、目をつむった自分の顔を、上から自分で眺めているんだから。
辺りは暗闇。
ぽうっと、自分達の周りだけ、明るく照らされている。
ぷ……んっ
微かな羽音がした。
意識を集中する。
ああ、わかった。何か飛んでいるんだ。
自分達の周りを、くるくると回っている。
いや、正確には、暁の周りだけだ。
宙に寝そべる体に、ぷんぷんと纏わりついている。
テントウムシだ。
このフォルムは、間違いなく、そうだ。
でも赤くない。白く見える。
小さな体全体が、目を刺すほどの鮮烈な輝きを放っているせいだ。
浮遊する超高性能の小型LEDだな。
ここだけ明るかったのは、このせいか。
おい、オーロラ。
今度はテントウムシなのかよ。
ころころころ……
鈴を転がすような笑い声が、脳内に響いた。
直接、言葉が聞こえてくる。
碧は、本当にかくれんぼが得意ね。
この私をすぐに見つけてしまうんですもの。
いや、発光するテントウムシなんて、あり得ないだろ。
オーロラが化けてるに決まってる。
それにさ、文句が言いたかったんだ。
かくれんぼ、俺が勝ったのに、どうしてすぐ出て行ってくれなかったんだよ。
ころころころ……
また、笑い声。
ごめんなさい、つい。
そのお詫びをしようと思って、お見送りに来たのよ。
ちょん
飛び廻っていたテントウムシは、着陸した。
なんで、そこなんだ?
暁の唇の上だ。
しっかし、すごいな。
一級品のジュエリーだ、これ。
白金の体に、7つの斑点が色とりどりに輝いている。
様々な宝石が埋め込まれてるんだ。
テレパシーを使う宝飾品が、暁に話しかける。
暁、あなたには、得難い美徳が備わっています。
でも、まだ幼い芽です。
嵐に晒されたこともない。
無遠慮な足に、踏み荒らされたこともない。
どうか、これからも健やかに伸びていけますように。
私から贈り物を授けます。
すっ
ナナホシテントウが、浮かび上がった。
後ろ羽も出さず、ただ数センチ上に移動したのだ。
本物の虫の動きじゃない。
くるっ
小さな発光体が、そこで体を一回転させた。
ぽた
ひっくり返った背から、ほんのぽっちり、水滴が垂れた。
赤い雫。
大輪の紅バラをかき集めて、極限まで煮詰めたような一滴だ。
赤く光る斑点から滴って、暁の唇を湿らせる。
これは「勇気」です。
あなたが既に備えている、美徳の一つ。
この雫は、肥料のようなものです。
その芽が損なわれず育ち、美しい花を咲かせる時がくるように。
うーん、なんか栄養ドリンクじみてるな。
たしか「眠りの森の美女」の話でも、妖精が赤ちゃんのオーロラ姫に授けるんだっけ。
それぞれの美徳を。
また、くすくす笑いが脳内に響いた。
そうね。でも、ちょっと違うわ。
美徳の種は、自分自身の土壌に眠っているの。
芽吹くか、育つかは、その人次第よ。
くるっ
ぽた
今度は、淡い水色の雫が落ちてきた。
穏やかな海面のように輝く、アクアマリンの宝石からだ。
過たず、暁の唇の合わせ目に落ち、じわじわと吸い込まれていく。
これは「優しさ」。
自業自得の報いを受けた囚人にさえ、憐れみの心を寄せた、暁。
どうぞ、そのままでいてくださいね。
くるっ
ぽた
お次は、鮮やかな緑。
若い葉っぱの色だ。
初夏の太陽を浴びて、わさわさ伸びあがっていく、エネルギーの源が凝縮されている。
これは「元気」です。
あらあら、暁には十分足りているかしら。
ああ。補充も強化も必要ないぞ。
これ以上、元気にしてどうする。
また、ころころと笑い声。
どうやら、色の異なる斑点の一つ一つが、様々な美徳を体現しているらしい。
光るナナホシテントウは、暁の唇の上で、宙返りを続ける。
くるっ
ぽた
今度は、なんだか甘そうだった。
つやつやしたピンク色が、とろけたルビーチョコレートを思わせる。
暁の可憐な唇が、垂らされた贈り物を受け取った。
これは「大らか」の美徳です。
人を赦す広い心を備え、いつでもゆったり、こせこせしない。王族の心持ちです。
う~ん。
なんか、どんどん怪しくなってきたな。
それって限度問題じゃないか?
「ゆったり」って、行き過ぎたら美徳じゃなくなると思うぞ。
あら、そう?
お姫様には必修科目よ、大らかさって。
ああ、お姫様ならな。
小学五年生女子が、その美徳に溢れていたら、日常生活に支障をきたすだろう。
なんだか、不安になってきた……。
オーロラは、もちろん細かいことを気にしない、大らかさの美徳の総本山だ。
あっさりころころと笑い飛ばすと、また回転した。
くるっ
ぽた ぽたっ
今度は、レモン色の雨粒だ。
しゅわしゅわ泡立つソーダの雫が、二粒。
まあ、たいへん。
余計に落としてしまいました。
ちっとも大変そうに聞こえない。
これは何の美徳なんだ?
「のんき」です、碧。
おい! ちょっと待て。
「のんき」って美徳かよ?!
ええ、もちろんそうです。
苦難や中傷にさらされても、たやすく千切れたりしない、太く丈夫な心です。
どんなときでも陽気にさえずるカナリヤを、人々は愛でることでしょう。
……それを二倍量いったか。
ウイスキーをダブルで、じゃなくて、「のんき」をダブルでだ。
ああ、もう……大丈夫なのか?
後の祭りだ。暁の唇に、すべて吸い込まれてしまった。
「のんき」を含めた、5つの美徳の雫が。
続きの(2)を、本日6/28㈯お昼12:10に投稿致します。
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