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35.携諦携諦(ぎゃーてーぎゃーてー)(1)

私が、みかげちゃんを連れて行かなくちゃ。

強い思いが、暁の頭を占めていた。


落ちる!

絶体絶命の瞬間。

考える間もなく、腕が動いていた。


がしっ

どこを掴んだか分からない。

無我夢中だった。みかげの腕か、足か。

なんだっていい。

絶対に離さない!


そして、落ちた。


「暁っ!」

碧が叫んだ。

縋りついていた鏡から、自然と体が離れていた。助けようと駆け寄る。

だが、間に合わない。


暁とみかげの体が、視界から消えた。

碧の目が、絶望に見開かれたとき。


びんっ

「あーっ……!」

変な音と同時に、暁の悲鳴が聞こえてきた。


近い。

慎重さをかなぐり捨てて、碧は縁に屈みこんだ。

身を乗り出して、下界を覗き込む。


いた!

すぐ下だ。

暁が、ぶら下がっていた。


なにか片手で掴んでいる。それが、暁の命綱だった。

布? 短い反物に見える。

暁が吊り下がっているせいで、それはよじれていた。

柄が描かれているみたいだが、くちゃくちゃで分からない。


でも、一目で状況は分かった。


「碧! それ、落としてっ」

碧に気付いて、暁が訴える。

見上げた目が、「それ」を指し示している。


かぼちゃだ!


大きな実の天辺から、野太い蔓が出ている。

それが、ずらずらと奈落の崖に垂れ下がっていた。

ロープみたいな蔓が、途中から、その変な布になっている


そうか、これが重石になってるんだ!


考えている暇はない。

碧は、かぼちゃに飛びついた。

だが。


「おっもっ……」

重い。

なんだ、これ?

必死に動かそうとしたが、びくともしない。

かぼちゃ一個の重量じゃないだろ、これ!


「ううう……」

暁は、歯を食いしばった。

うめき声が、こらえようもなく漏れ出てくる。


腕は、落ちる前から疲労しきっていた。

バッグひとつも持てないくらいなのに、体を支えるなんて、無理だ。

痺れるのを通り越して、腕の感覚が無くなってきた。


でも、ぜったいに離せない……!


碧の声が、上から降ってきた。

荒い息が混じっている。奮闘中の模様だ。

「みかげは?! 落ちたのか?」

ぶら下がっているのは、暁だけだ。


暁は、一言で返した。

目で、握った布地を示す。

「これ!」


「それか!」

碧の頭が良くてよかった。

一発で理解してくれた。


いつから変化していたのかは分からない。

掴んだみかげの体が、しゅるしゅると宙に泳いだ。その時、初めて気付いた。


もう、人間じゃなかった。

人の形にった布地になっていたのだ。

ご丁寧に、顔や洋服、靴までが描かれている。


ただし、足首にくくり付けられた蔓だけは、本物のまんまだった。

かぼちゃもだ。どっしりと、崖の際に座っている。


それを見届けた瞬間、暁の体は宙でバウンドした。

布になった「みかげ」もろとも、吊り下げられたのだ。


碧は、状況を全て理解した。

みかげは、末期の囚人めしゅうどだ。

そもそも、胡蝶こちょうだった時点から、生身の人間ではない。


これまでにも、みかげの身体は様々な変化を遂げていた。

今度は、こうなったというわけか。


得心した碧は、心で唸った。

だから、暁は手を離さないんだ!


なんとか落とすしかない。

両手で抱えられる大きさだが、この重量をよいしょと持ち上げるのは、まず不可能だ。


このまま、押し出そう。

碧は、オレンジ色の表皮に手を掛けて、ぎょっとした。


顔だ。人の顔が、浮かんでいる。

でこぼこした皮が、目と鼻の形に盛り上がっていた。口もある。


動いてる!


「だめ……わたしは、だめよ……だめなんだわ……」


みかげの声だ。

とうとう、かぼちゃになっちゃったのか。

あっちは、もう、ただの布。

本体は、こっちなんだ。


ぶつぶつと、恨みがましい顔で、同じことを繰り返している。

たまらず、碧は怒鳴った。


「いいから、見ろよ、みかげ! 下だ! 自分だけじゃない。暁まで道連れにして、死ぬつもりなのかよ!」


死ぬ。

それは、目をそむけていた現実だった。

はっきりと口に出されて、かぼちゃの目が揺らいだ。


だめな自分。ああ、なんて可哀そうな私。

自己憐れんびんは、居心地のいい沼だった。

どっぷりと浸かっていれば、なにも見なくてすむ。

深い水底に逃げていれば、雑音も聞こえない。


死ぬ?

その言葉に反応して、沈み込んでいた意識が徐々に浮かび上がってくる。


かぼちゃの目が、うろうろと表皮をさ迷った。


「下だってば! いいか、ここから落ちれば、お前だって助かるんだ!」

碧の腕が、向こうに広がる奈落を指す。


助かる?

ぐりん

顔のパーツが、果皮の上を移動した。

振り向いたってことか。


目だけが、実の下の方に動いた。

上から鼻、口、目の順になる。崩れた福笑いの顔だ。


ようやく視界に入ったらしい。

暗い穴だ。闇を押しのけるように、白とピンクを基調としたクラシックチュチュが、ふわりと宙に広がっていた。


暁だ。干しているドライフラワーみたいに、吊り下がっている。


「暁だって、ここから落ちれば帰れるんだよ!」


その言葉は、みかげの意識を引きずり出して、ひっぱたいた。


完全に目が覚めた。

暁は、辛そうに呻きながら、垂れ下がった命綱につかまっている。


一見、穴に落ちまいと足掻いている図だ。

でも、その逆なんだわ。

落ちてしまいたい。なのに、暁の片腕が掴んでいる布が、それをはばんでいる。

繋がる蔓の先にある「かぼちゃ」が、重石おもしになっている。


分かる。

全部、自分だ。

落下をはばんでいるのは、自分だ!

続きの(2)を、本日6/21㈯お昼12:10に投稿致します。

ぜひ、続きもご覧くださいね!


読んで頂いて、有難うございます。

感想を頂けたら嬉しいです。

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