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31.蛍の光(1)

メロディが、劇場内に響いていた。

アナウンスも、終わりを告げる。

『エントリーされた全ての演目が、終演致しました。今宵の花束のうたげは、これで終了となります』


蛍の光。終わりに相応しい曲目だ。

とっとと帰れ。

穏やかに、そう促す効果がある。


だが、ステージに集った面々のうち、二人は意識を失っていた。

あかつきと、みかげだ。


しぴぴぴ……

ド・ジョーが、横たわる少女達から、水気を回収する。

二人を乗せて運んできた水の帯は、オーケストラボックスの泉に戻した。

客席フロアーの湖も、巨人が飲み干したかのように、すっからかんだ。

濡れたところなんか、残さない。

水を操る指揮者の仕事は、完璧なのだ。


ばらばらに崩れ落ちていた客席が、終演のメロディとともに、息を吹き返した。

次々と飛び上がると、各々、整然と並び出す。

これで元通りだ。


「お開きだな。俺たち住人も、そろそろ退場せにゃならん」

ド・ジョーが、静かに言った。


色彩の歪んだ水球が、ふよふよと碧の前で止まる。

金色の魚体に纏わりついているのは、よれよれの水だった。燕尾服とトップハットは、もはや見る影も無い。


「うん……。ほんとごめんね、ド・ジョー。無理させちゃって」

あおいの顔が、歪んだ。

もう、身なりを整えることすらできないんだ。

きっと、力は、ほとんど残っていないのだろう。


「なあに、たまにはこんな宴も楽しかったぜ」

にやり

それでも、ニヒルに笑って見せる。


「暁とみかげも、じきに意識を取り戻すだろう。お前さん達も、帰る時間だ」

低い声に、安堵が滲んでいる。


花束の宴は、終わった。

暁は無事だ。

全員、ケガもしないですんだ。


だけど……。

碧の頭に、冷静な自分の声が響く。

まだだ。最後の関門かんもんが、残されてる。

果たして、無事に帰れるかどうか。


もう、いやっていうほど、よく分かってる。

ここは、決まった帰り道のない迷宮だってことが。


「そうね。長居しすぎたものねえ。このまま、すぐにお帰りなさいな」

マダム・チュウ+999が、同調する。


桃が、控えめながら異議を唱えた。

「え? でも、服が…」

深紅のドレスは、借り物だ。

着てきた洋服は、更衣室だ。


「そうだなあ。取りに戻ってる場合じゃないかあ…」

ようが、黒いタキシードを見下ろして、ため息をついた。

こっちのほうが、高価なのは間違いない。

でも、確実に叱られる。

般若と化した母がえる。


桃も、同じ未来を予知したらしい。

三ツ矢兄妹は、揃って沈鬱な顔で黙り込んだ。


「あ~、でもさ……。マダム・チュウ+999の言う通りだよ。地宮に長時間いると、肉体にダメージが…」

碧は、なんともいえない表情だ。


実奈子みなこ伯母さん、怒ると怖いからな。

穏やかに微笑みつつ、空手は黒帯だ。

てつ伯父さんとの馴れ初めは、高校時代の部活なのだ。


ゆえに、陽を叱りつける際の迫力は凄まじい。

幼いみぎり、碧が、べそをかいて代わりに謝ってしまったくらいだ。


だが、怒られようがなんだろうが、一刻も早く帰るべきなのだ。

体にどんな悪影響が出るのか、予想もつかない。

戻った途端、仲良く全員でぶっ倒れるかもしれないのだ。


「あらん。この服どうしたの?って聞かれたら、とっても綺麗なマダムにもらったんだって、本当のことを言えば大丈夫よん」


「いや、だめだろう、それ」

逆に、様々な曲解を生むのは必至だ。

三ツ矢家が阿鼻叫喚のちまたと化してしまう。


速攻で否定した碧の横で、陽は頷いている。

「そうかあ」

「ちがうでしょ、お兄ちゃん」

「納得するな、陽」


掛け合い漫才じみた会話の間中、ピンクネズミは、きゃんきゃんわめきつつ、ちょこまかと駆け回っていた。

みんなの乱れた服や髪が、あっという間に直されていく。電光石火の早業だ。


「碧、急いだほうがいいだろう。とにかく案内板にアクセスを尋ねろ」

うにょん

巨大な白鳥の頸が、碧の横で促した。

筋肉二郎だ。

目元の傷は、伊達ではない。歴戦の強者つわものは、いつだって冷静だ。


「あ、そうだね」

碧も、彼には素直だ。すぐに胸元に語り掛けた。

喚き続けるピンク色のやつは、完全無視だ。


「案内板、アクセスを教えて」

無言。なんのリアクションもない。


「あれ?」

首を傾げる碧に、ド・ジョーが金色の体をくねらせた。人間なら、肩をすくめていたかもしれない。


「あのなあ。そいつは、うきふねの案内板だろう。花束のうたげが終わったら、使えねえよ。あっちの鏡を起動させて尋ねるんだな」


そうなんだ。

胸元から、造花もどきを引き抜く。

小さなお面の顔は、くしゃくしゃの青い花びらの中に引っ込んでしまっていた。

見るからに終了のていだ。


ずいぶん役に立ってもらったな。

なんとなく愛着が湧いていたが、持って帰るわけにもいかない。


「マダム・チュウ+999、悪いけど、これ、返しておいてくれる?」

「んまっ。お安い御用よ~」

ころっと、ピンクネズミの機嫌が直った。


はたから見ると、タキシードの少年が、胸元に挿した一輪の花を捧げるの図だった。

碧は、それに気づいていない。


居並んだマッチョ・スワンズ四羽とド・ジョーは、黙って互いに頷き合った。

心は一つだ。

面倒くさいから、黙っていよう。


漂う微妙な空気には気付かず、碧はさっさと舞台の奥へと進んだ。


同じだ。初めて、ここに迷い込んだ時と。

大きな鏡が7枚、ステージの中央に、弧を描いて置いてある。


全て同じに見えるが、実は真ん中の一枚だけが違う。右下の縁に、ピエロのお面が付いているのだ。

それが、案内板だ。


まだ彩色されていない。

金一色の顔を認めて、手をかざした時だ。


「碧、そいつに気を付けろ」

固い声で、ド・ジョーが呟いた。


向かった鏡面には、自分と水球が並んで映っている。

金色のドジョウは、まっすぐに金色のピエロを睨んでいた。


「…どういうこと?」

言っている意味も、険しい表情の理由も、ぜんぜん分からない。


「どうも、きなくせえんだよ」

きな臭い?

「案内板が? なにか怪しいってこと?」

いよいよ意味不明だ。


碧は、本格的に首を傾げた。

だが、ド・ジョーは、ピエロの顔から視線をそらさない。

そのまま口を開いた。まるで自分に言い聞かせているみたいな口ぶりだ。


「水は巡る。世界が生きているあかしだ。澄んだ流れだけじゃない。汚れをさらって、真っ黒に変わる時もある。勢いを失い、よどみ、腐臭を放つこともある」


だが、それもことわり

そこに、思いもかけない急流が襲い、全てを流し尽くすこともあれば。

さらなる奔流に呑まれ、いつしか太い清流に姿を変えることもある。


「水は、絶えず姿を変えながら、この世界を巡り続ける。俺は、それを感じることができるのさ。操ることができるのは、ほんの上っ面だけだ」


そうだ。だから間違いない。

地宮の住人は、お面の顔に言い放った。

「こいつの後ろから、ときどき、汚い水の臭いがする」

続きの(2)を、本日5/24㈯お昼12:10に投稿致します。

ぜひ、続きもご覧くださいね!


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