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20.シャワーキューブ(1)

「なるほど、そういうことだったのか」

ド・ジョーが、低い声で呟いた。


説明し終わったあおいは、溜息をついた。

また助け出せなかった。

あかつきは、依然として、みかげの手中にある。


ふかふかしたソファーに体を預けると、どっと疲れが襲ってきた。

巨大白鳥も、マダム・チュウ+999でさえ、よれよれだ。更衣室の絨毯に、へたり込んでいる。


ゴージャスなフィッティングルームが、試合後の運動部部室と化してしまった。

ここを出発したときの状態をキープしているのは、ももと黒鳥だけだ。


あんなに頑張ったのに。また振り出しか。


「ほい、完了。次は碧だ。こっちに来い」

ド・ジョーのヒゲが、ひょいっとうごめいた。

ようをすっぽりと覆っていた水のキューブが、桃を割ったみたいに、ぱっくりと二つに裂ける。


「苦しくないんだなあ。不思議だ」

首を傾げながら、陽が出てきた。

元に戻っている。再び、ばっちり決まったタキシード姿だ。


しぴぴぴ……

黒い布地から、水が霧状になってキューブに回収されていくのが見えた。

脱水されている様子だ。

陽の短い髪の毛からも、水気が飛んでいく。


どうやら、体と服を同時に洗うことができるらしい。靴も履いたままだ。


「あれ? 陽、なんかいい匂いする?」

碧が、近づいて、くんくんした。爽やかなハーブの香りだ。


見ると、服がパリッと仕上がっているだけではなかった。髪も肌も、つやつやだ。

総合的に、男前が三割がた上がっている。


「あー、匂い消しにな、適当に選んだ。碧は、何か好きな香りがあるか?」

金色のドジョウは、水球の上でそう尋ねた。

ふよふよ浮いているボールは、赤・青・白の三色になっている。床屋さんカラーだ。


「ダマスクローズで、お願いね! それとスカルプシャンプーとトリートメントも!」

マダム・チュウ+999が、すっくと立ちあがって申し付けた。

碧より先に、とっととシャワーブースに向かう。

壁側の、タイルが敷き詰められている一角だ。

といっても、蛇口もシャワーヘッドもない。

代わりに、巨大な四角いゼリーが、ふるふる立っている。


「もちろん、やってくれるわよねえ、ド・ジョー?」

バサバサのまつ毛を伏せて、ピンク色のネズミは流し目を送った。


オネエ言葉に、ばっちり、どすが利いている。

静かに、お怒りの模様だ。


碧と一緒に、景気よく吹っ飛ばすんじゃなかった。

かなり高くつきそうな塩梅だ。


「へいへい」

やる気も、追従の欠片もない。

めんどくせえ、と言わんばかりの返事をしつつ、ド・ジョーは、水のキューブを大小二つに分けた。

碧用の直方体と、ネズミサイズの立方体だ。


「ああ、碧、案内板は入れないでくれ。他はそのままでいい」

おっと、そうか。

碧は、案内板をタキシードの胸元から引き抜いた。一見、一輪の青い造花だ。


「碧、その前に、案内板に通知指定を入れておいた方がいいだろう」

今度は、筋肉二郎だ。寄ってきた巨大白鳥が、的確な助言をくれる。

いつもながら冷静だ。


「うん、そうだね。わかった」

碧は、花芯に語り掛けた。

「案内板、お願い」


花びらに包まれた、小さな顔が応える。

『はい。ご用件をどうぞ』

「またエントリーがあったら、すぐに教えて欲しい人がいるんだ。できる?」

『可能です。名前を教えて下さい』

加羅からみかげ」

『承りました。加羅みかげが再度エントリーしたら、ご通知申し上げます』


これでいい。

碧は、小さな案内板を陽に手渡した。

袖口から碧玉へきぎょくのブレスレットを外して、それも預けようとする。


金色のドジョウは、にやりと片眉を上げた。

「よかったら、そいつもピカピカに磨いてやるぜ。俺のシャワーキューブは、ジュエリーだって同時対応可能だ」


「すごいね。じゃあ、お願い」

碧は感心した。

高性能の全自動洗濯機、人間も可、というわけだ。


近づいてみると、透明な水には、小さな泡がたくさん散っていた。ソーダみたいだ。

ここに入るのか。

ちょっと、へっぴり腰になってしまう。


「大丈夫よ~、碧。気持ちいいわよ~ん」

隣りの小さなキューブで、マダム・チュウ+999が既に入浴中だ。


ぐるん ぐるん

ピンク色の体が、ご機嫌で水中を回っている。

入浴中というより、洗濯中だ。


碧も、えいっとキューブに体を突っ込んだ。


あれ?

冷たいと思い込んでいたが、温かい。ぬるめのお風呂だ。

それに、陽の言った通りだ。息も、ぜんぜん苦しくない。


ふわり

少しだけ、足が浮いた。

靴が脱げる。すぐに、細かな泡が、びっしりと包み込んだ。洗浄中だ。


ふわふわ

幽霊みたいに浮かびながら、碧は目を閉じた。

確かに気持ちいい。

いい匂いがする。リラックスする、少し甘い野花の香りだ。


大小のキューブそれぞれを眺めていた陽が、ド・ジョーに尋ねた。

「でもさあ。本当に、みかげは、またエントリーするのか?」


預けられた案内板の茎を、くるくると回す。

お花みたいな物を胸元に挿すのは、ちょっと気恥ずかしい。


ド・ジョーは、苦々しく答えた。

「するさ。最後のチャンスだからな」


桃が、無言で兄の手を押さえた。

そんなに無作法に扱って、壊れたらどうするのだろう。

目だけで、兄を諫める。

瞳に秘めた威力は、マダム・チュウ+999とおっつかっつだ。


「最後って、どういう意味?」

碧の声がした。もう終わったらしい。

マダム・チュウ+999も、碧の肩に乗っかって再登場だ。

毛並みがピカピカで、ご満悦である。


ド・ジョーは、苦虫を嚙み潰したような顔になった。

超低音の声が、さらに低く響く。


「挑戦できる上限が、決まっているからな。オーロラの地宮には、大原則がある」

大部分の場合に当てはまる、基本となる法則だ。すなわち。

「失敗は、3回まで許される」


碧、陽、桃の三人は、顔を見合わせた。

なるほど。とっても心当たりがある。

いつだって、4回目の失敗で、アウトだ。


「ってことは、挑戦できるのは4回?」

碧は理解が速い。

金色のドジョウは、むっつりと頷いた。


「そうかあ。じゃあ、みかげは、あと3回エントリーするんだ」

陽の顔に、ぱあっと希望の明かりが灯った。

あと3回もあるなら、楽勝だ。

きっと、どこかで暁を助け出すことができる。


桃も、同じように考えたのだろう。

兄の横で、ほっとした表情を浮かべている。


碧は、ド・ジョーの言葉を思い返していた。

閉ざされてしまった白い扉の前で、彼は断言したのだ。


大丈夫だ。焦る必要はねえ。

ちょっくら戻って、一息つく時間は十分あるさ。仕切り直しだ。


あれは、はったりでも虚勢でもなかったんだ。

碧にしては珍しく、素直な称賛の眼差しを、ド・ジョーに向けてくる。


「……あー。残念なんだがな……」

言いにくいこと、この上ない。

だが、言わないわけにもいかなかった。


「お前さん達の認識は、ちみっと違う。みかげがエントリーできるのは、次で最後なんだ」

続きの(2)を、本日3/8お昼12:10に投稿致します。

ぜひ、続きもご覧くださいね!


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