2.オーロラ・バレエ・スクール(1)
みかげの身元は、あっさりと割れた。
「もう、ここのレッスンには来てないよ。先生のスタジオも休会してるって」
西小の子だ。学年は違うが、暁を見知っていたらしい。
一学年2クラスづつしかない小規模校は、こんなとき便利だ。
1クラスだけにしてしまうには多く、3クラスにするほど児童は増えない。
近年、ずうっとその状態なのだと聞いた。
「東小の子なのか?」
陽の質問に、何人かが首を振る。
東小も2クラス校だから、同学年なら確実に顔見知りだ。兄弟繋がりで、他学年も何人かは分かる。
ピンクのレオタードを着ている子が、代表して陽に答えた。こっちも顔見知りらしい。
「みかげさんは中学生だよ」
「じゃ、東中?」
「ううん。幼稚園から私立だって。聖フロランタン学園」
陽が碧を見た。
顔に「知ってるか?」と書いてある。
碧は頷いた。
そう遠くない。塾の公開模試で、会場になることもある。ミッション系の女子校だ。
「今、入院してるらしいから、学校も休んでる筈だよ」
その子は、そう付け加えた。
だが、バレエスクールの生徒全員が知っている情報ではなかったらしい。
「えー! 入院?」
「そうなの! なんで?」
途端に、レオタード姿の女の子たちは、大騒ぎになった。
暁達も、驚いた表情で固まった。
「あれ、知らない? みかげさん、このセンターで倒れてたんだって。2階の休日診療所。救急車が来てたって。うちのお母さんが、自分のとこの病院には入院させないのかしらねえって言ってた」
「自分のとこの病院?」
碧が、聞き返した。
すると、何人かが頷いて同意を示している。
「みかげさんち、病院だもんね」
有力情報だ。
「どこ?」
暁が尋ねた。複数人から、同じ名前が挙がる。
地元の地域名が名称に入っているクリニックだ。場所の見当も付いた。
「でもさあ、医者の子どもが、なんで休日診療所でわざわざ倒れんの?」
「みかげさん、不登校だったんでしょ」
「えー。例の研究所、落ちたから?」
「気持ちの問題?」
「それで入院?」
「いや、それは違うと思うけど。入院してるのは確かみたい」
質問してきた暁達をよそに、てんでんばらばらに生徒たちは話し始めてしまった。
勇仁会の4人は、なんとなく顔をしかめた。
会話の端々に、みかげがどう思われていたのかが浮かび上がってくる。
自分達の空手教室とは、ずいぶんと雰囲気が違う。
芸事の世界は、全員がライバルだからか。
だが、同じ教室に通う仲間の筈なのに、まるっきり他人事の態度だ。
碧は、オーロラ・バレエ・スクールの面々を眺めた。
年齢的にも、かなりばらつきがある。
幼稚園くらいの子から中学生まで、ずいぶんと幅広い。
レオタードも、各自バラバラだ。
本気でクラシックバレエを志します、というより、習い事の範疇で楽しみましょうというサークルに思える。
単に、ここにみかげが溶け込んでいなかったのだろう。
そして、よくは思われていなかった。
この様子では、親しい友達もいなさそうだ。
陽の後ろに隠れるようにして立っていた桃が、ちょん、とお兄ちゃんを引っ張った。
壁に掛かっている時計を指さす。
そろそろ開始時間だ。
バレエの先生も来てしまうだろう。
「ありがと、三田。レッスン前なのに、悪かったなあ」
陽が笑顔を向ける。
地顔に感謝の微笑が上乗せされている。たいへんに感じが良い。
「あ、ううん! 全然大丈夫だよ。よかったら、清水先生に頼んでみようか? 先生を通して伝言してもらえるかも」
三田さんは、親切にそう申し出てくれた。
みかげちゃんって子、いるかな?
たぶん、次のコマでやってるバレエの子だって思ったんだけど。
私の髪飾りをすごく気に入ったらしくて、どこで手に入れた物なのかを聞かれたの。
買ったんじゃなくて、頂いた物だったから、その時は分からなくて。
教えたいんだけど。
100%嘘ではないが、かなり苦しい言い訳だ。
嘘の付けない陽のために、碧がうんうん唸ってひねり出した。
ぎりぎり陽の許容範囲に収まった口実を、三田さんは信じてくれたらしい。
「いや! そこまでしなくていいよ。大したことじゃないし。入院してるなら、それどころじゃないと思うから」
碧は、大きな声で割って入った。
あやうく、陽の顔に「ごめん、本当は違うんだけど」と表示される寸前だ。
桃が、兄の手を引っ張る。
「ごめんね。どうもありがとう」
暁が、にこっと会釈した。手を振ってトレーニングルームを出る。
総員、撤収だ。
「お疲れさまでした~」
「おつかれさまー」
レオタードの少女たちから、次々に声がかかった。
移動式のバーで、ウオーミングアップを始めている子も、笑顔で送ってくれる。
そんなに感じが悪いわけではないんだな。
碧は、マイナスのイメージを修正した。
指導している先生が、挨拶を徹底しているんだろう。
ともあれ、みかげは、ここに通っていた。
空手の稽古が終わった暁と、バレエのレッスンが始まる前のみかげ。
おそらく、二人は、女子更衣室かトレーニングルームで接触している。
そして、みかげが、一方的に暁をターゲットに収めていたというわけだ。
「二階、ちょっと見てみる?」
暁が、エレベーターのボタンを押した。
桃がいるから、階段は使わない。
4人で、ぞろぞろ降りてみた。
誰もいない。
「休日診療所、だもんなあ」
陽が、当たり前のことを言う。平日にやっているわけがないのだ。
「どうしてここで倒れていたのかな?」
暁が、疑問を口にした。そして、止める間もなく、待合室のドアノブをひねる。
ガチャッ
遮られる音。
「平日に開くわけがないだろ」
「あ、そうか……。じゃあ、どうやって入ったんだろう?」
聞かれて、碧も首を捻った。
信じられないことだが、この西センターは、「オーロラの地宮」と呼ばれる夢の世界と繋がっている。
自分達も、思いもつかない非常識な経路を経て、行き来をした。今までに、3回。
みかげも、なんらかの方法で、このセンターから夢の世界を訪れていたのだろう。
そう類推する碧に、桃が眉をひそめた。
小さな声で、はっきりと異を唱える。
「でもね。黒鳥さんが言ってた。みかげは胡蝶だって。私たちとは違う。意識だけが夢の世界に紛れ込んでいるんだって」
意識だけ。
そして、本体の方は倒れた。
そうしたら、どうなる?
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