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13.住人(1)

「え? どういうこと? いなくなっちゃったの?」

あおいが、頓狂とんきょうな声をあげた。

まるで手品だ。プリンシパルの姿は消えて、代わりに電球だけが残されている。


『ご質問の意味が、分かりませんでした。もう一度、詳しく、明確にお問い合わせ下さい』

案内板は、綺麗な声で厳しいことを言う。


だが、代わりに答えた声があった。

胡蝶こちょう門出かどでを迎えるとき、その姿は、あんなふうに変わるのさ」


バリトンボイスよりも低い。こんな声の持ち主は、ただ一人、いや一匹だ。


「ド・ジョー!」

三人が合唱した。

椅子から立ち上がったタイミングまで、みごとに同時だ。


「ちょっとお、碧ったら」

ころころと膝から転げ落ちたピンクネズミが、恨めしそうに見上げてくる。


「あ~、ごめんごめん」

謝る碧は、なんだか軽い。

桃は、慌ててネズミを救い上げると、椅子に腰掛けてドレスの膝に乗せた。

「マダム・チュウ+999、大丈夫?」


「あー……、大丈夫に決まってるぜ、お嬢ちゃん。そいつはな、富士の山頂から転げ落ちたって、けろっとしてる奴だ」

水の球に乗っかったド・ジョーは、言い切った。

皮肉な言い草だが、いつものキレがない。

かなり疲れている様子だ。


乗っている水球は、初めて見る乗り物だった。

赤、青、緑。様々な原色が、くるくると球の中を回っている。

カラフルなバレーボールみたいだ。


曲芸よろしく球に直立したドジョウは、ピンクネズミに向かって吐き捨てた。


「おら、仕事だぜ、ネズミの奥さんよ。俺ばっかり忙しいんじゃ、かなわねえ。お前さんもキリキリ励め」


「いやあね~、わかってるわよん。じゃ、ちょっと行ってくるわね」

マダム・チュウ+999は、桃のドレスから自発的に滑り落ちた。


ちょろちょろ

桟敷席のバルコニーを伝って、下に降りていく。

滑り棒で出動する消防士と同じくらい、果敢でスピーディーだ。


「ド・ジョー、大丈夫? やっぱり忙しい?」

碧が、立ち上がったまま問いかけた。

水製の燕尾服は、もう、よれよれだ。


「そりゃあなあ。花束の宴にエントリーするのは、自由だがな。こちとら、全部の演目を指揮しなきゃならないんだぜ」

ちょいちょい

胸ビレで椅子を指し示して、碧と陽に促す。

「まあ、座れや」


素直に腰を下ろしながら、碧は首を傾げた。

「ってことは。この地宮ちきゅうには、劇場がいくつもあるわけ?」

それならば、ここ一つだけでは、とても足りないだろう。


「いや、劇場は、この一つだけだ。時間がな、いくつもの流れに裂ける。一本のサキイカを、糸みたいに細かく裂くみたいに。俺は、その全ての流れの音楽を操っているのさ」


難しい。よく分からない。

三ツ矢兄妹は、揃って首をひねっている。

碧の眉間にも、シワが寄っていた。一生懸命に考えている様子だ。


そんな子ども達を前にして、金色のドジョウは少し苦笑した。

素直な子たちだ。自分のプライドのために、分かったふりなんてしないのだな。


こっちが直球を投げれば、きちんと受け止めようとする。

たとえそれが、豪速球だとしてもだ。


「ま、そんな大層なもんじゃねえよ。沢山の人間が、同時に同じ場所の夢を見ているようなもんだ」


陽は、あっさりと納得した。

「そうかあ。それじゃ、ド・ジョーも大変だろ。体が幾つあっても足りないよなあ」

「大丈夫?」

桃も気遣う。


ただ一人、碧は考え続けていた。

ふっと顔を上げて、ぽつりと尋ねた。

「じゃ、ド・ジョーも沢山になるの?」


ぎょっとした表情は、一瞬だった。

「いい質問だ、碧」

自然と口角が上がってしまう。


いいぞ、こいつも。納得できるまで、きちんと自分の頭で考えようとする。


ニヤリとした笑みを浮かべながら、ド・ジョーは続投することに決めた。

何本も生えているヒゲが、ひょこひょこと蠢く。流れ出る、低い、低い声に合わせて。


「俺はな、この地宮の住人だ。人間がみる『夢の世界』にいる。マダム・チュウ+999も、マッチョ・スワンズもそうだ」


オーロラの地宮ちきゅう。それは、人間の、クラシックバレエを愛する夢が作り出した時空。


「俺達の正体は、本物のドジョウや、ネズミや、白鳥なんかじゃない。俺達住人は、大多数の人間が抱く『観念かんねん』だ。イデアの具象化ぐしょうかであり、表象ひょうしょうだ」


難易度が飛躍的に上がった。

中学進学塾の難関コースレベルだ。

考えようとしても、そもそも頭に入っていかない。


「ごめん! ひとつも分からなかった」

陽は、一秒で降参した。

「私も」

桃も、お手上げだ。


碧ですら、白旗を振りたくなっていた。

どうしよう。


ド・ジョーは、まっすぐに、こっちを見ている。

表情からは、いつものニヒルさが掻き消えていた。

こんなに真剣な口調も、これまでに聞いたことがない。


伝えたい、大事なことなんだ。

子どもだからって手加減せずに、言ってくれた。だから、あんな難しい言い方になった。

それなのに。


「ド・ジョー、俺も……なんとなくしか……。ううん、違う。俺も、よく分からない」

碧が、俯いた。

嘘なんか、つけない。ごまかしたくもない。

謝るしか、できない。

「ごめん」


「ん、そうか」

ド・ジョーが、軽く相槌を打った。


陽も、ぼんくらではない。桃だって、そうだ。

碧とド・ジョーのやりとりで、悟った。

これ、すごく、大切なことだったんだ……。


子ども達は、全員、静まり返ってしまった。

無言で、深く落ち込んでいる。

お葬式もかくやといった風情だ。


宙に浮かぶ水球の上から、小さな魚体は、その様子を見守っていた。

俯いている碧達は、気付かない。

その眼差しが、とても優しいことに。

続きの(2)を、本日1/18㈯お昼12:10に投稿致します。

ぜひ、続きもご覧くださいね!


読んで頂いて、有難うございます。

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