穢れ(乙成)
俺が乙成と結婚
翌朝、俺はいつもの通り会社に向かうべく乗り込んだ電車の中で、昨日のリンの言葉を思い返していた。
えっと……リンの奴、なんて言ってたっけ? どうせこの先女の子と出会う可能性なんてない、まどろっこしい事してないで籍入れろよ、この童貞が。だったか? なんで若干24歳にして、この先の人生で一切出会いが無いと決めつけられなきゃいけないのだ。誠に遺憾だ。
だいたい、今の時代、24歳で童貞は珍しくもなんともない。4割はデート未経験だぞ? むしろあいつがおかしい。売れっ子ホストでもそんな毎日違う女の子とデートして家にあげたりしないからな?
おっと、話が逸れたな。今日も今日とてリンが知らない女の子とデートするという事実に、兄として、平均的な日本男児としてのほんの僅かな腹立たしさを感じる中、大きく頭を振って、滲み出る嫉妬の感情を思考の外へと追い出した。
もし乙成と結婚したら……俺は電車のつり革広告をボーっと眺めながら、乙成と夫婦になった時の事を想像した。
「前田さんっ! おかえりなさい!」
「ただいま、お……じゃなかった、あいり」
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……」
「そ、それとも……?」
「それとも天網恢恢乙女綺譚、第二期のDVD見ますか?! 私の解説付きで!!」
「いや、いい……それよりあいり、わかってるだろ? 俺達、新婚なんだからさ、ほら……」
「前田さん……」
ジッ……
ジッ……(互いに見つめ合ってる時の音)
「わかりました、前田さんがそんなにしたいなら……」
「おと……あいり」
「先日のイベントの際に手に入れたブラインド商品、また交換に出すので梱包作業やります?! 前田さんの梱包、評判良いんですよ!!! 今回はプチプチも使えますよ!」
「いや、なんで?!?!?!」
……ハッ!!! しまった。妄想の中の乙成に対して盛大にツッコミを入れたつもりが、実際に口に出して叫んでしまった……。
「え……何……?」
ヤバい。目の前に座っていたOL風の女性も、その隣で寝ていたおじさんもこっちを見ている……。俺は、一度咳払いをして静かにその場を立ち去った。
駅についた俺は、行き交うサラリーマン達の間を早足でかいくぐり、改札を通り抜け外に出た。風が吹くと冷たいが日差しのぬくもりを微かに感じる。
さっきの電車の中で変な汗をかいたせいで、この風に心地よさを感じる間もなく身体が冷えてしまった。全く、なんで妄想の中でまで、乙成のオタ活に付き合わなきゃならんのだ。プチプチで梱包するのはちょっとやってみたかったけども。
冷え切った身体を自身で抱きしめる様にしながら、なんとか会社までたどり着けた。駅から会社までそんなに距離がなかった事が救いだ。あと5分くらい歩いていたら、確実に風邪を引いていた。
いつもの様に執務室の扉に手をかける。と、そこで、以前にも感じた嫌な予感がドアノブに手をかけた俺の指先から全身に伝わってきた。
こ、これは……
ガチャ
やはり。執務室を覆う黒い瘴気だ。またしても俺は、異界への扉を開けてしまったのか? これが怪異系和風ファンタジー物だったら、先祖代々退魔師とかいう謎の美少女高校生が颯爽と登場して、黒い瘴気の元を、柄の長い何かを使ったりして祓う所だ。で、主人公も何故か退魔師としての能力を覚醒させたりするんだよ。知ってる、俺、そんな話知ってる。
でもここはリアルな世界だ。美少女退魔師も出てこなければ、謎の怪異も起きない。ここに渦巻いている瘴気の元はずばり、アレだ。奴が放つ負のエネルギーが、この執務室内の空気を重くしているのだ。あいつだけ世界観が違うんだよな、ファンタジーじゃん。
「お、乙成……」
「あぁ……前田さん……おはよう……ございます」
今にも消え入りそうな声で朝の挨拶をする乙成。全然清々しくない朝のスタートだ。
「どうしたの……?」
「ちょっと……こちらへ」
穢れに連れられ、向かったのはいつもの追い出し部屋。始業前だが、何故か30分以上前に出社する様に言われているせいでまだまだ時間がある。
ちなみにこれは北見部長の発案だ。入社時に言い渡されたルールで、早く来てデスク周りを綺麗にしろとの事だ。当然そんな事はやっていない。でも新入社員時代に染み付いた癖が、俺を今日も早く出勤させるのだ。他の部署はそんな事してないし、朝霧さんや滝口さんも守っていない。俺と乙成だけが、今も忠実に守っているルールである。
「乙成、どうしたんだよ? 何かあったのか?」
「うう……前田さん……私……私……」
暗い表情をする乙成。そしてどんどん濃くなる瘴気。これって、乙成のメンタルと連動してるんだな。
「私、前田さんに謝らないといけない事がありまして……」
「実は俺も、お前と話し合わなきゃいけない事があるんだ」