ちゃんとした男
ここに本当に有り得ない事が起きようとしている。あの朝霧さんがちゃんとした男を連れているのだ。
朝霧さんと言えば、ここ数年浮いた話もなく、週末は婚活パーティやマッチングアプリで出会った訳の分からない男と食事に行き、その時のデートの酷さを格付けしながら酒の席の笑い話にするような人だ。
こんなにもおかしな男と出会う人、他にいないんじゃないか? もしや朝霧さんは世の中のおかしな男を一手に引き受けているのでは? と思ってしまう程だ。
その、朝霧さんが、だ。
休日なのにちゃんと髪をセットして、いやらし過ぎないカジュアルなちゃんとした服を着た、身のこなしもスマートでちゃんとしている男と歩いている。爽やか過ぎてあの男の周りだけそよ風が見える。
俺と滝口さんは、事の真相を探るべく朝霧さん達の後をつける事にした。あんなにちゃんとしているんだ、きっとあの男には何か裏がある。
「やっぱりあの男、ちゃんとして見えるよな?」
滝口さんが物陰に隠れながら、二人の後ろ姿を見て言った。
「はい。なんでですかね? 俺、なんかザワザワします……」
「分かるぞ前田オレもだ。多分アレだ、あの男がちゃんとし過ぎてて、逆に怪しいんだ。多分このまま、経営者に会わせるとかって言って朝霧さんを、何で金を稼いでいるのかも不明な怪しい自称経営者に会わせるつもりだ。そのまま変な健康食品とか、浄水器とか買わされる事になるぞ……」
それはあり得る。東京はおっかない所だって聞いているからな。それに、ちょっと小金を持ち始めたあのくらいの独身女性が狙われる事も想像に難くない。
あんなちゃんとした男に、ちょっと好意を向けられれば、あのくらいの独身女性ならイチコロだろう。
「あ! なんかビルの前に来たぞ!」
しばらくつけていると、朝霧さん達は小綺麗なビルの前で立ち止まった。ちゃんとした男が、何かを説明している様だ。そのジェスチャーからして、「うちの事務所はこのビルの三階だよ」と言っている様にも見える。
「こんなお洒落な街の一等地に建つビルヂングにある事務所……これは完全にクロだわ。多分事務所には、自称経営者と名乗るツーブロックパーマの、スーツの丈がやたら短い色黒の男が出てくるんだ。そして、仲間やら絆やらファミリーやらって陳腐な言葉を並べて朝霧さんをあちら側に連れ込むつもりだぞ?!」
まるで特定の誰かを指す様な例えだが、確かに滝口さんの言っている事は共感出来る。こういう所で登場する謎の経営者って大体そんな感じだもんな。不自然に白い歯を輝かせながら変な横文字を使って、こちらが半分も理解出来ていない間に何かしらの契約を結んでいるんだ。本当に悪い奴だ。
「あ!! 滝口さんあれ見て下さい!!」
俺が指差す先、朝霧さんとちゃんとした男に手を振る男が現れた。その姿はまさに今、滝口さんがあげた特徴と一致していた。
「やっぱり出やがったな……」
「滝口さん……あの男の胸板見て下さいよ……なんなんすかあれ……」
先の男の特徴に加え、自称経営者らしき男ははち切れんばかりの胸板をしている。
「ああいう奴は何故か体もめちゃくちゃ鍛えてるんだよ。趣味は総合格闘技とかって言ってな……ちゃんとした男に、パツパツの胸板男……このままだと、本当に朝霧さんが危ないぞ!!!」
「あんた達、何やってんのよ?」
いよいよ疑惑が確信に変わった瞬間、俺達は思いの外大きな声で話していたのか、朝霧さんが反応してこちらに声をかけてきた。ちゃんとした男とパツパツ男もこちらを見ている……これは……マズイ状況なのでは……?
「朝霧さん! いくら最近色々あったからって、オレはあんたにこんな奴らとつるんで欲しくはない!」
不穏な空気を取っ払うかの様に、滝口さんが口火を切った。滝口さんはツカツカと三人の前まで向かって行く。俺も一応、その後ろをついて行った。
「は? 滝口あんた何言って……」
「朝霧さん! 大体上手い話には裏があるんだ! 簡単に絶対に儲かる話なんて、この世にはないんだ! 仲間やファミリーは、その絆を確認し合う様に毎日念仏みたいに唱えたりしない!! 全ては虚構だ! 目を覚ましてくれ!!!」
ちゃんとした男もパツパツ男もぽかんとしている。滝口さんは分かっていないが、何より朝霧さんも顔じゅうに大量の「?」を浮かべている。
これは……やったか? 俺達……
「プッ! アハハ! ちょっと滝口なにそれ? 私が詐欺にでも遭うと思ってるの?」
「へ? 違うんすか? だってこの男達、明らかに怪しいし……」
朝霧さんは、必死に説得する滝口さんが面白かったのか笑っている。隣りにいたちゃんとした男とパツパツ男も、なんだかバツが悪そうに笑っていた。
「この人達は、出版社の方よ! この前赤ブーで自分の漫画を見てもらおうと思ったんだけど、時間が合わなくてね? それで、今日わざわざ時間を作ってくださったってわけ!」
滝口さんはまだ状況が理解出来ていないらしい。俺は朝霧さんの趣味の事も知っているからすぐに状況を理解出来た。思ってみればそうだよな……流石に詐欺にひっかかるとかってのは飛躍し過ぎか……滝口さんにすっかりのってしまった。
「私達の部署は、WEB媒体をメインに担当しているものでして、決して怪しい者ではありませんよ? 彼も私の同僚でして、たまたまそこで会いました。ウミラ先生とは以前からお話してみたかったんですよ。男も惚れる様な男性の姿を描ける、こんな方はとても貴重です。いつか一緒にお仕事してみたいなと思っています」
「「ち、ちゃんとしてるなぁ……」」
ちゃんとした男が爽やかな笑顔で言った。姿形だけでなく、声までちゃんとしていて、俺達は思わず声を揃えて呟いてしまった。ちゃんとした男はやっぱりどこまでもちゃんとしていた。
「全く! 変な早とちりはやめてよね!! 恥ずかしいじゃない!!」
朝霧さんが恥ずかしさからか、顔を真っ赤にして怒っている。でも心なしか少し嬉しそうにも見えた。滝口さんが必死になって自分を助けようとしていたのが嬉しかったのか?
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出版社の人達と別れた後、俺達は軽くお茶をしたりして過ごした。滝口さんはまだあのちゃんとした男を疑っている様だったが、朝霧さんが何度も説明してようやく理解した様だった。
なんか今日は散々だったな……結局なにも買わずに滝口さんの尾行に付き合わされただけだし……
でも、以前よりあの二人の仲が少しだけ元に戻った気がしてホッとした。仲直りの印なのか、二人はこのまま飲みに行く様で、俺も誘われたが断った。なんだかんだもう夜になってるし、早く家に帰って休みたかった。
しかし滝口さん達のお陰で、いい気晴らしになった。すっかり忘れていたけど、今日はリンと乙成がデートしているんだ。
もう帰ったかな……? 遅くまで二人でいるんだろうか……? リンは……告白とかしたんだろうか……
「兄貴!!!」
顔をあげると、俺のアパートの前にリンがいた。いつもの女装ではなくて、男の恰好で。しかし、その顔は真っ青で、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「リン?! どうしたんだよ? 乙成と一緒なんじゃないのか?!」
「どうしたじゃないよ! 何回も連絡したのに!!」
俺は慌てて自分のスマホを見ると、そこにはリンから鬼の様な着信が入っていた。サイレントになっていたようで全く気が付いていなかった。
「あいりんが大変なんだ!!! 来て!!」