第3話 願望
残酷な表現を含むストーリーとなっています。苦手な方はブラウザバックをおすすめします。
「どうして……?」
少女は絶望する。
また失ってしまった。
「どうして、どうして……?」
あんなに苦しめたのに。
あんなに悲しませたのに。
「どうして………許したの?」
どうすれば君は選んでくれるの?
「………まだ、諦めない」
何度この世界を繰り返すことになっても、私は手放す訳にはいかない。だって、これは神様が与えてくれたチャンスだから。
「…………次こそは上手くやる」
――――
第3話「願望」
病院の待合室で花音を寝かしつけながら、俺は時計の針が過ぎていくのを見守る。
「……にぃ……た……」
「花音、寒いか?」
「…………んん……」
「…………寝言か」
優花さんは治療室に運ばれ、あれから1時間程過ぎた。看護師さんからここで待つよう言われたが、そわそわして落ち着けない。
………俺が優花さんを突き飛ばしたせいで。
いつも通り我慢すればよかったのに、なぜか今日は我慢できなかった。優花さんの言いなりになりたくないと感じてしまった。
「…………はあ、」
これからどうなるのだろうと頭を抱える。
もしかしたら、このことがきっかけで優花さんが出ていってしまうかもしれない。そうなったら、父親はなんて言うのだろう。
………元から家族になんて興味のない父親のことだ。
案外何も思わないかもしれない。
「おい」
突然、背後から低い声がしてハッと振り返った。
分厚い眼鏡にキッチリした髪型とスーツ。
「………父さん」
「花音も一緒なのか」
「……夜中に一人にしておけないだろ」
「そうだな」
「…………」
病院から呼ばれたのだろう。ハンカチで濡れた鞄を拭いながら、父親が俺の隣に腰掛けた。
外はどうやら雨が降っていたらしい。びしょびしょになった折りたたみ傘を乱暴に仕舞う父親。その水滴がこちらに飛んでくることを気にもとめない。
俺は水しぶきが花音に当たらないよう、腕で花音の顔あたりを覆って守る。
「………史乃。お前、優花さんに何をした」
「……………ちょっと口喧嘩になって…」
「力の強い男が、女に手を出したらいけない。下手したら怪我じゃ済まないこともあるだろう」
「……………」
父親はいつも仕事で、家に帰ってこない。
前に帰ってきたのも一か月前かそれ以上だ。
この人はどうして偉そうに説教をしてくるのだろう。
何にも知らないし、何も知ろうとしないくせに。
「……まあいい。今回は軽い怪我だったらしいからな。優花さんの腕が治るまではお前がサポートしてやれ」
そう言うと、父親は立ち上がり、病院の出口へと歩き出す。俺は花音をベンチへそっと寝かせ、出ていく父親の後を追った。
「………っ、待てよ!」
俺が叫ぶと、父親はその足を止める。振り返ることはなく、黙ったままだ。
「……他に、何か言うことはないのかよ」
「…………」
俺は少し期待していたのかもしれない。
本当は俺たちのことを気にかけてくれていて、不器用だから上手く伝えられないんだと。
そんな幻想を父親に抱いていたのかもしれない。
「………………時間の無駄だ」
「………は?」
「何を言いたいのかはこちらが聞きたい。お前は昔からハッキリ物を話さないから神経を使う」
「……………………」
父親はそう言うと、こちらを見ることもなくタクシーに乗り込む。
…………あいつは一度も、俺と花音のことを見なかった。
――――
「………大丈夫?」
「え、ぁ、何?」
声をかけられ、ぼんやりとしていた意識を戻す。
目の前には心配そうな顔をした愛菜がいる。
そうだ、今は学校が終わって愛菜と璃斗と帰っている途中だった。
いけないな。昨日のことが頭に残って上の空になってしまっている。
「今日ずっとボーッとしてたじゃない。何かあったの?」
何かあったのか。
そう聞かれると、返答に困ってしまう。
あれから優花さんは俺に接触することなく、避けるかのように部屋に閉じこもってしまい、俺が代わりに花音の世話をした。
優花さんは食事は摂取できているらしく、部屋の前に置いておいた料理は平らげた状態で放置されてあった。
「………まあ、ちょっと眠いだけだよ」
「嘘。疲れた顔してるし、溜め息も多い」
鋭いな。
愛菜は真剣な表情で俺の前に立ち塞がった。
それを横で見ていた璃斗が「おい…愛菜……」と小さく止めようとしたが、口をきゅっと結んで取り下げる。
「………璃斗も変だって思ってたでしょ」
「…………………史乃、相談ならいつでも乗るから……あんまり一人で抱えすぎるなよ」
璃斗がこちらの様子を窺いながらそう言うと、愛菜が間に割り込み、目を真っ直ぐ合わせて口を開いた。
「史乃、私のことちゃんと見て。自分のこと蔑ろにしちゃ駄目。あんたの家が複雑な事情だってことは知ってるし、私たちが部外者で余計なお世話だってことも知ってる」
そこまで言うと、愛菜は言葉を詰まらせたように浅く呼吸を繰り返し、まばたきをした後に「だから…」と続ける。
「………部外者の、なんでもない私たちにたまには話してよ。全部とは言わない。ちょっとだけ……重荷を少しだけ置く程度でいいから」
「………愛菜」
言い終わったあとの愛菜は覚悟を決めたような、そんな表情をしていた。その愛菜を宥めるように、璃斗が俺の肩を叩く。
「そうだぞ史乃。俺ら、伊達に幼なじみやってねーだろ?」
「………璃斗」
本当に。
俺にはもったいないくらい、本当にいい奴らだ。
俺は頬を緩め、二人に笑いかける。
その様子を見て安心したのか、固かった愛菜の表情も和らいだ。
「………ごめん、ありがとな。二人とも」
ハッキリ言って、家庭は上手くいっていない。
父親も義母も苦手だし、花音は可愛いが自分がちゃんと兄としてやれているのか自信が無い。
でも、俺にも甘えていい場所が。
本当の気持ちを吐き出せる友人たちがいるのだと、思うことができた。だからこそ、俺はまた前を向けるのだろう。
だからこそ、俺は気丈に振る舞わなければならないのだろう。
最後の居場所を無くさないために、強く、強く在らなければならない。弱い部分を見せてしまえば、途端に崩れてしまうから。
俺は「心配しすぎだよ」と言って笑う。
心の内側は、俺だけが知っていればいい。
俺だけで解決すればいいことだ。
――――
チクタク、チクタク、と時計が鳴る。
「……花音、そろそろ寝ようか」
「えー!まだねちゃくないよぉ!」
駄々をこねる花音を抱えあげ、寝室に運ぶと、花音は楽しそうにキャッキャと声をあげた。
「やぁー!お兄たんおろちてー!」
「こら!もう寝る時間だぞっ!!」
「きゃー!うふふふふ!」
三歳児と言えど、元気のいい女の子だ。
暴れ回る花音に苦労しながらも、やっと布団の上に寝かせることができた。
「ほら、絵本読んでやるから」
と、童話の絵本を本棚から取り出すと、暴れ回っていた花音は大人しく布団に潜り込んでキラキラと目を輝かせる。
「はーやーく!ごほんー!」
「はいはい。じゃあ、赤ずきんちゃんにするか」
「わぁーい!あかじゅきん!」
俺は花音に絵本を読み聞かせる。
赤ずきん。
その内容は、赤い頭巾をした女の子がお婆さんのお見舞いに行き、道草を食って酷い目にあう話だ。
グリム童話は教訓的な話が多く、改定される前のストーリーは極めて残忍であり、残酷な終わり方をする。
赤ずきんのストーリーも今の形に直されるまでは、お婆さんは狼に殺された挙句、干し肉とぶどうジュースだと狼に騙された赤ずきんに食われることになる。
「……そして、赤ずきんちゃんはお婆さんに尋ねました」
眠そうな顔をする花音のお腹をポンポンと軽く叩きながら、絵本を読み進めていくと、俺もだんだん眠くなってきた。
「………狼はぐったり倒れて……お腹の中から……赤ずきんちゃんと、お婆さんが……出てきました」
花音は寝てしまったようだ。
スヤスヤとした寝息が耳元で聞こえ、俺も重くなった瞼を閉じようとした、その時だった。
━━━━狼は本能で獲物を殺して食ったのに、どうして悪い事をしたかのように描かれているの?
「ぅわっ!?」
声をあげ、慌てて口を塞ぐ。
花音は起きない。
安心し、顔を上にあげると、あの夜に現れたゴスロリの服を身につけた小さな少女がふわふわと宙に浮いていた。
「………お前、」
━━━━こんばんは、お久しぶりね。
レースのついたゴテゴテしい日傘をパッと閉じ、ふわりと床に降りてくる少女。その姿はこの前と何ら変わりない。
「………ほんとに何者なんだよ、お前」
━━━━…うーん、そうね。妖精、幽霊、幻覚、神様。私は色んな呼ばれ方をしたわ。でも、全部合っていて間違いなの。
人差し指をこちらに向け、にやりと笑う少女の表情は月明かりに反射して、妖しいが魅力的に見える。
━━━━私は異形のもの。あなたの強い願望を形にできる、イレギュラーな存在。そして、魔法という不確かなものを実現できる幻想のような存在。
俺の背中がヒヤリとし、何か悪い予感がする。
それでも少女が待つことはない。
その小さな口から紡がれる言葉が、これから起きる不幸を。全ての始まりであることを。
━━━━あなたは契約者になって、望みを叶えるのよ。
俺はまだ知らない。
やっと第3話を更新できました。
もう夏も後半になりましたね。これから来るのは、読書欲が掻き立てられる秋ですよ。
………と言っても、年中本を読みっぱなしの私たちにはあまり関係のない話ですね。