第1話 魔女
この作品は残酷描写を含みます。苦手な方はブラウザバックをすることをオススメします。
【プロローグ】
━━━━ひとつの運命と、たくさんの運命。あなたはどちらを優先させる?どちらの方が尊いと思う?
魔女がくすくすと笑いながら俺に語りかける。
「助けて…!死にたくない…!」
目の前で身体を千切られてこと切れた少女。俺の目をしっかり見ていた。恐怖に染まり、自分の死を感じて俺を見ていた。俺に助けを求めていた。
━━━━ ……なのに、君は見捨てたね。一緒に楽しそうに笑っていたのに、仲間だったのに。簡単にアッサリと、見捨てたね。
魔女が嬉しそうにケラケラ笑う。
やめろ。笑うな。俺だって、あの子のことを助けたかった。こんな運命になりたくなかった。
どれだけ言い逃れようとしても言葉が出てこない。
だって、それは俺なりの自分勝手な言い訳だから。俺が救いたい対象を選んだから。……だから、彼女は死んだ。
「あと、何人……何人で救える……?」
俺は魔女と契約を結んだから、この運命からは逃れられない。俺が逃げることは決して許されない。
━━━━うーん、君が強い子を選べばいいだけじゃない?勇敢で、優しくて、賢くて、情熱を持った素晴らしい女の子とか。そういう子を選んであげれば殺されないんじゃない?
………まあ、多分無理だろうけど。
魔女が笑う。けたけたと不愉快な声をあげて笑う。
………あぁ、早く目覚めなければ。こんな悪夢から。
早く、早く、早く、早く!!
…………目覚めなければ。
―――――――――――――――
第1話「魔女」
ピピピピピ………!
耳障りなアラーム音で目が覚める。
俺はゆっくり頭上に手を伸ばし、アラーム音を止めた。
昨日設定したスマホのアラームか。朝からこんな甲高い音を聞くことになるとは……別のアラーム音に変えてみようかな。
俺は眠い目を擦りながらベッドから降りる。夜遅くまでゲームをしていたせいか、少し頭が痛い。
「ふぁあ……ねみぃ……」
大きく欠伸をし、部屋から出て階段を下りる。微かにテレビの音がして、耳を傾けると天気予報をアナウンサーが伝えていた。今日は夕方から雨が降るらしい。傘を持っていかないとな。
そんなことを思いながらリビングに入ると、テーブルに朝食が並んでいた。ハムと目玉焼き、サラダに食パンの美味しそうな洋食だ。
………うん、予想はしていたが今日も俺の分はないな。
「あ、お兄たんおはよー!」
俺がぼんやりと朝食を眺めていると、三歳の妹がニコニコと笑顔を見せながら俺に駆け寄ってきた。
「おー、おはよう花音」
「あのね、あのねー!きょーはおにぎりメンを見に行くのー!ママとお買い物で会えるんだよー!」
おにぎりメン。幼稚園くらいの子供に人気のキャラクターだ。多分、ショッピングモールでステージイベントが行われるのだろう。
俺は花音の頭を撫でながら笑う。
「そうかー!いいなぁ、お兄ちゃんも見に行きたかったよ」
「お兄たんはガッコーでそ!」
「そうなんだよなぁ。帰ってきたら、どうだったか教えてな」
「うん!」
花音は俺と血の繋がっていない兄弟だが、家族になってみれば可愛いものだ。小さい子供は苦手な部類であるけれど、花音だけは平気だし、可愛いと思える。本当に不思議だ。
はしゃぐ花音に手を引っ張られながらリビングの椅子に座ると、キッチンから母親……優花さんが出てきた。
「あら、史乃さん。起きてたの?」
「あ、おはようございます…。」
「ごめんなさいねぇ、史乃さんいつもギリギリに起きてくるからご飯用意してないのよ」
「いえ、大丈夫ですよ。俺、朝食食べない派なので…」
「え?そうなの?健康に良くないわよ」
「は、はあ………」
優花さんは腕を組み、困ったように溜息をつく。
「いい?史乃さん。あなたは来年受験生になるのだから、しっかり体調管理を……」
優花さん……父親の再婚相手の新しい母親。この人は俺のことが気に入らないらしく、きつく当たってくる。
俺の分の食事を作ってくれないし、たまに洗濯物も俺の分だけ避けられている時がある。俺の部屋を掃除してくれたことがないくせに、勝手に俺の物を捨てたりする。
………正直、優花さんのことは好きになれない。でも、父親はともかく花音のことは好きだ。俺の家族の中で、俺に優しくしてくれるのは花音だけ。…まあ、もしかしたら今だけかもしれないが。
「はあ、ともかく早く学校へ行きなさいよ」
「あ、わ、分かりました…」
優花さんは俺の肩にぶつかり、小さく舌打ちをしてキッチンに消えた。父親の前ではこういうことをしないので、余計タチが悪い。
俺は部屋に戻り、制服に着替えて鞄を持つ。本当は軽く朝食をとってから出かけたかったが、仕方がない。
靴を履こうと玄関に座っていると、背後から小さな足音がして振り返る。そこには、食パンを持った花音が立っていた。
「ん、どうした花音?」
「お兄たん、ご飯食べないとお腹ないなくなるでそ?」
花音はそう言うと、持っていたパンを差し出す。……花音は優しい子だ。一生優しいままでいてほしいな。俺は花音の優しさを噛み締めながら食パンを受け取った。
「ありがとな、花音。美味しく食べるよ」
「えへへー!」
靴紐を結び終えると、食パンを咥えて玄関を開ける。俺は鞄を持ち直しながら、玄関で手を振る花音に元気よく挨拶をした。
「いってきます!」
「いてらーさーい!」
嫌なことばかりな家だけど、それだけじゃないから俺はちゃんと家に帰れるのだろう。俺は靴の先をトントンと蹴って、通学路へと走っていった。
―――――
桜が散り、緑色の葉っぱが生い茂る並木道を走っていくと見覚えのある後ろ姿が見える。俺はその二つの後ろ姿の肩を両手でポンと叩いた。
「おわっ!?」「きゃ!?」
片方は野太い声を、片方は間抜けな声を出して飛び上がる。とてもいい反応だ。俺は満足しながら二人に挨拶をした。
「おはよ、璃斗。愛菜。」
「ちょっと!びっくりしたじゃん!」
「俺はちっともビビってなかったけどな!甘いぞ史乃!」
俺に向かってプリプリ怒っている女子が愛菜。幼なじみで、かなり可愛い部類に入る見た目をしている。幼稚園からずっと一緒にいるが、こいつのモテ具合はやばい。だが、一度も彼氏を作ったことがなく、完全に清純派だと勘違いされている……まあ、クラスのマドンナってやつだ。本当は筋金入りの剣道部でめちゃくちゃ強いんだけどな。
そして、ビビっていないと強がっている背の高い男が璃斗。こいつも幼なじみで、やはりモテる。野球部のエースを務めており、性格も顔も良く、女子のハートを奪いさらっていくとんでもない奴だ。まあ、当の本人は野球一筋過ぎの野球馬鹿で、恋愛をよく分かっていないが。
どちらも自慢の幼なじみであり、俺には勿体ないくらいの友人たちだ。それにモテる。
………といっても、俺もモテない訳ではない。この二人と一緒にいるおかげか、俺までちょっとだけモテる……までは行かないが何人かに告白されたことはある。俺は特になんの取り柄もない、地味な人間なんだが……。
そんなことを思いながら二人の後ろを歩いていると、突然背後から、「あの…!」と声をかけられた。驚いて振り向くと、眼鏡をかけた女子が目を泳がせながら立っていた。
「朝井…くん、朝井史乃くん……っ、あの、お、お話…っ、が…!ある、あるんです、けど……っ!」
「え?俺?」
眼鏡の女子は顔を真っ赤にしながら、こくこくと頷く。視線を感じ、眼鏡の子の奥の壁をちらりと見ると、数人の女子がこっそりとこちらを覗いていた。
………これは……もしや。
「あ……じゃあ、先行っとくね史乃」
「このモテ男……っ!」
俺が何か言う前に、愛菜と璃斗はコソコソと耳打ちをして去っていってしまった。こういうことは結構あるので、二人も慣れてきているようだ。空気を読んで去るなよ…!逆に気まずいじゃないか。
そそくさと退散する二人を睨みつけていると、眼鏡の女子が声をうわずらせながら言葉を続けた。
「わ、私…っ、朝井くんのこと、ひとめで、その、か、かか、カッコイイなって思って……その、わ、私…私……!」
この子にとっては一生懸命な告白なのだろう。でも、俺は逆に冷えきった感情で心が静まり返っていた。
「ひ、一目惚れ……なんでしょうか……、その、……朝井くんが……わ、私の、ぷ、ぷ、プリント……拾ってくれて……それで……っ!」
プリント?そんなの覚えていないし、どうでもいい。そもそも、一目惚れって何なのだろう。この人は俺の何を知っていて好きになったのだろう。
「わ、わたし、私…地味だし、可愛くないけど、でも、朝井くんのことが……す、好きだから……!」
好きっていう感情だけで相手が自分を愛してくれるのだと、本当に信じているのだろうか。自分が地味で可愛くないと思うなら、努力して可愛くなればいいのに。まさか、ありのままの自分を愛して欲しいだなんて思っているのだろうか。
「だから……っ!私と、つ、つ、付き合って…ください!」
見返りを求める我儘な愛で、誰かを振り向かせられると思っているのだろうか。
「……………」
「あ、朝井…くん?」
顔を紅潮させて様子を伺う眼鏡の子。この子は名乗りもせずに、俺に好きだと伝えた。彼女は信じているのだ、俺が自分を覚えていて自分と同じ気持ちなのだと。
…………気持ちが悪い。
俺は優しく優しく、泣きたくなるくらい優しい笑顔で返事をした。
「………ごめんね、俺のこと好きって言ってくれて嬉しいけど、その気持ちに答えられないです」
泣きじゃくる眼鏡の子は気づかないのだろう。自分を応援してくれた女の子たちが背後でこっそり笑っていることを。自分がどれだけの人間に嘲笑われて、嫌われているのかを。
知らない方が幸せなのかもしれない。
―――――
「えーっ!?振ったの!?」
昼食時間、愛菜が弁当の卵焼きを箸でつつきながら驚きの声をあげた。その横で璃斗が焼きそばパンを頬張っている。
「今更だろ、こんなの」
「いやいやいや!いくらなんでも理想高すぎー」
「理想が高くて断ってるわけじゃねぇし…」
俺は溜息をついてお茶を飲み干した。この手の話はあまり好きじゃない。そもそも、知らない相手を突然好きになること自体理解できないのだ。
「まあまあ、いいじゃねぇか。史乃がカノジョできたら、俺たちと遊ぶ機会も減るだろうしよ」
「えー?うーん……そうだけどさぁ……」
璃斗が助け舟を出してくれたが、まだ愛菜は納得のいかない表情を浮かべている。愛菜は恋愛脳だから仕方ないのかもしれない。人の恋愛によく首を突っ込むし、誰が誰と付き合っているのかとか、そういう情報に長けている。
………そんなくだらないことに時間を使うなんて、どうかしてる。人の事なんてどうでもいいだろう。
俺は購買で買ったサンドイッチのゴミを丁寧に折りたたむ。
「……あ、史乃。今日暇?放課後カラオケ行こーぜ」
ブーブー言う愛菜をよそに、璃斗がスマホを取り出してカラオケ店のクーポンを見せた。そこには学生限定の割引が表示されている。
カラオケか…。でも、そろそろ試験があったよな。
俺は少し考えた後に答えた。
「悪い、次のテスト心配だからさ…。ちょっと図書館に行きたいんだよね」
「おー…そっか。了解。んじゃ、俺たちいつものカラオケ店にいるから、気が向いたら来いよ」
そう璃斗は言うと、ゴミを丸めてポケットにねじ込む。立ち上がる璃斗を追いかけるようにして愛菜も立ち上がり、「また今度続き話すから!」と言って屋上から出ていった。
……二人はいつも一緒だな。高校2年生になってから、俺とあいつらはクラスが分かれて…そして会うことが少なくなった。
二人がいないから俺は授業を真面目に受ける。二人がいないから授業の間の休み時間は本を読む。二人がいないから放課後は先に校門で待つ。二人がいないから……。
「………俺、なんか最近ノリ悪……」
二人との距離ができているような気がして、これ以上近寄ってはいけないような気がして……。勝手に生きづらくなっている。
「……明日は放課後に遊ぼうかな」
誰もいなくなった屋上で、俺はぽつりと呟いた。
―――――
「……ただいま」
家に帰りついても、誰も返事を返してはくれない。花音も寝ているのだろう。やけにリビングが静かだったので試しに覗いてみると、優花さんがソファで眠っていた。
「……起こしちゃ悪いよな」
そっと扉を閉めて2階に上がり、自分の部屋に入る。今日は特に荒らされている様子もない。ほっと安心して机に荷物を置き、コンビニで購入した弁当をサイドテーブルに広げた。
最近は夕食も父親のいる時にしか用意してくれないため、こうしてバイトで貯めた小遣いでやりくりしている。このことを父親に告げ口する気もないし、そもそも相手にしてくれるはずも無いだろう。
昔から父親は放任主義で、全て母親に任せていた。入学式や運動会に来てくれた覚えもないし、家にいた記憶もあまりない。
「…はあ、今月はあとこれだけだから上手く使わないと」
財布の中身に溜息をつきながら、スマホの電卓で残りの小遣いを計算する。しばらくコンビニの弁当は食えなさそうだ。カップラーメンやスーパーの残り物の惣菜でやっていかなくては。
「あーあ、バイト増やそっかな……」
俺はなぜ、こんなくだらないことで苦労しているのだろう。たまに思うことがある。
もし、母親が事故に遭わず、今も自分の母親で居てくれたなら。俺は小遣いと睨めっこしたり、家のことで悩んだりせずに済んだのだろう。
優花さんと花音に出会わず、父親が家に帰ってこない家庭で母親と二人っきりで暮らしていたのだろう。
「……くだらねー」
俺は何を考えているんだ。終わったことを今更悔いても仕方ないだろ。もしもの世界を願ったって叶うわけがない。時間の無駄だ。
━━━━無駄じゃないよ。
「え?」
突然、脳内に何かの声が響いて俺は辺りを見回す。しかし、自分の部屋には何もいない。クローゼットも開けて見るが、誰も潜んでいない。一体どこから?
━━━━そっちじゃないよ、こっちこっち!
「な、誰だよ!?」
気持ち悪いくらい脳に響く少女の声。遂に幻聴が聞こえるようになってしまったのかと、ベッドに座り込む。
その背後から、今度はしっかり声が聞こえた。
━━━━う、し、ろ。
「………え」
後ろ。微かに開く窓の隙間から、何かがこちらを覗いている。ぞっとし、慌てて窓を閉めようとしたが遅い。
その何かはバッと窓を開けて部屋に飛び込んできた。
「うわっ!?」
━━━━酷いなぁ、そんな反応されると傷つくよ。
ふわふわと空中に浮いた何かは、こちらを見下ろして話す。恐る恐る空中の方を見てみると、そこには小さな…………人形?
━━━━人形じゃないわよ、失礼ね。
「ひ、動いた……っ」
━━━━当たり前でしょう、生きているもの。
小さな人形かと思ったが、それはフリルのついた……ゴスロリ?だったか。ゴシック・アンド・ロリータと呼ばれる服に身を包んだ少女の姿をしている。
黒いレースのついたフードを頭からすっぽり被っており、白くて長い髪の毛が見える。服はゴテゴテしたレースやらリボンやらが縫い付けられていて、スカートはふっくらとした仕上がりだ。黒いレースのついた派手な日傘を差しながら、ふわふわと空中に浮く姿は、現実味のない異質なものを感じさせる。
「なん、何なんだよ…お前……」
俺はよろめきながら立ち上がり、少女に質問を投げかけた。しかし、少女は「うーん?」と言って、首を傾げて不思議そうにこちらを見つめるだけ。
「だから、お前は何者なんだって聞いてるんだよ…!」
再度質問を投げかけると、少女は困ったようにため息をついて首を振る。
━━━━何って……君が私を呼んだんでしょ?
「………はあ?」
俺が……呼んだ?何言ってんだこいつ。
俺は混乱しながら口を開こうとしたが、少女がそれを指で制した。
━━━━君は願った。君の幸せな生活を。無かったはずの未来の姿を。だから私が来たのよ。
「なに……言って……」
………確かに、願ったかもしれない。母親が死なずにいた世界のことを。でも、そんなのただの妄想に過ぎない。
━━━━じゃあ、何?今あるのは妄想なの?違うでしょう。私はここに居る。君の目の前に、いるわ。
「………どういうことだよ」
━━━━まだ分からない?叶えてあげるって言ってるの。
俺はドキリと胸を鳴らす。
これが夢で、全て現実でない可能性の方がないのに。願わずにはいられない、そんな不可能な世界線。
「………俺は、」
もし、神様がいて気まぐれにこんなことをしているのだとしたら。
「今の生活を手放したっていい」
少女が妖しく微笑む。
俺の願いを喜んで聞き入れるかのように、にっこりと満足げに笑ってみせる。
「あるはずのない、もしもの生活を…」
「お兄たん?」
「えっ」
聞き覚えのある声がして、ハッと振り向くと花音が部屋の扉を開けて立っていた。眠そうな目を擦りながら、欠伸をしている。
「おにーたん……花音……おかーりって…言おうと…」
「…………花音」
花音はふらふらとこちらへ歩いてくると、俺の膝の上で眠ってしまった。……俺におかえりと言うためにわざわざ起きてきたのだろう。
「……花音、ごめんな。ありがとう」
柔らかい花音の髪を撫で、その体を抱える。
そして、先程の少女のことを思い出して窓の方を振り返ると、そこにはもう少女の姿はなかった。
「……だよな。あんなの、夢だよな」
俺は花音を抱えて、寝室へ下りていく。
手放そうとした今の生活に花音の存在があったことを、しっかりと心に刻みながら。
━━━━邪魔が、入ったなぁ。史乃くんは優しいからね。家族を見捨てることなんてできないよね。
少女はケタケタと不気味な声を出して笑う。
そして、スッと掲げた人差し指で円を描いた瞬間、真ん中に歪んだ空間が出てきて少女をあっという間に吸い込んでしまった。
━━━━次は失ってもいいものができた時に来るよ。