7.受難は続くよどこまでも
馬車がラルー邸の馬車回しに到着すると同時に馬車から飛び降りたローランドは、白い壁をした美しい屋敷を見上げる。
一等地に建つ壮大で優美なこの屋敷こそオフィーリアの育った場所だ。
国内屈指の資産家の住む屋敷は、もしかすると貴族の屋敷よりも立派かもしれない。
ライサムの地にある我が家ライサム・アビーは広大さと由緒ある歴史とではラルー邸より勝るが、代々受け継がれたライサムの城はラルー邸のように洗練された華やかな美しさは無い。
ふと、一つの窓から不自然に外側にカーテンが垂れ下がっている事に気付いた。
随分と斬新な干し方だが、あの方法が最先端なのだろうか?
豪奢な屋敷をぐるりと見渡す限り、窓の外側に不自然な様子で垂れ下がっているカーテンは一つの窓しかない。
風に揺れるカーテンに気を引かれていると突然大きな音をたてながら玄関扉が開き、屋敷の中から物凄い勢いで背の高い男が飛び出して来た。
アラステア・ラルー。
ラルー家の跡取り息子でオフィーリアの弟。
先日帰国した彼を紹介された時はとびきりハンサムな顔立ちと洗練された優雅な物腰のアラステアに、僕の方が年上ながら僅かに畏怖を感じてしまった。
けれど今のアラステアは酷く取り乱しており、自慢の淡いブロンドの巻き毛は手で掻き乱したように縺れていた。
何を急いでいるのか、此方に気付かないまま厩舎の方へ駆け出そうとする彼を慌てて呼び止める。
「やぁ、アラステア。 随分と急いでいるようだな」
「‥‥こんにちは、ライサム伯爵」
振り向いて此方を認識したアラステアの表情に一瞬複雑なものが過ったものの、すぐに人好きのする穏やかな様子で挨拶を返してきた。
でも彼の瞳は笑っておらず、琥珀色の目は怒りに揺らめいている。
思い当たる節はひとつしかない、昨夜のオフィーリアとの一件だろう。
きっとアラステアはたった一人の姉を侮辱されたと怒っている筈だ。
この様子だとラルー夫妻も僕が本当にオフィーリアとの婚約を破棄したと思っているかもしれない。
「せっかく来ていただいたのに残念ですが僕は急用がありまして。 何かご用があればまた後日いらっしゃってください」
「オフィーリアはご在宅だろうか? 彼女と話をしに来たんだ」
アラステアがオフィーリアからどんな話を聞かされたかは知らないが、簡単に追い返されて堪るものか。
彼の言う急用とは嘘で、オフィーリアに僕が来たら追い返すよう言われているのかもしれない。
何を言われようと帰らないと心に決めたが、アラステアの様子は何処か可笑しい。
落ち着かない様子で厩舎と豪奢な門に交互に視線を走らせている。
本当に焦っているように見える、困惑しているようにも。
「姉は今出掛けていて居ないんですよ。 では僕はこれで――‥」
「それなら屋敷の中で待っていても良いだろうか。 オフィーリアは何時戻ってくると?」
「さぁ、見当もつきません。 伯爵も知っているでしょう? 姉は気まぐれなんですよ。
とにかく、伯爵を待たせる訳にはいきません。また後日いらしてください」
「あいにく今日の予定は空いているんだ。 時間はたっぷりある。
良ければ中で待たせてくれないかな?」
「いい加減にしてください! 僕は今急いでいるんですよ。
伯爵、だいたい貴方が姉上と喧嘩なんてするから悪いんです。
貴方のせいで姉上が出ていってしまったんだ! 」
「どういう事だ? オフィーリアが‥‥何だと?」
「‥‥あ、いや‥‥」
苛立たしげに告げられた言葉を理解するなり全身から血の気が引いていく。
アラステアが言っている事は真実だろうか?
そんな事はある筈が無い、昨夜の一件はただの喧嘩なんだから。
けれど余計な事を口走って気まずげなアラステアの表情を見るに冗談では無いらしい。
そこではっと気が付いた。アラステアは今、オフィーリアを連れ戻しに行くつもりだったのだ。
だからこれ程取り乱しているに違いない。
「なんて事だ。急いで連れ戻さなければ‥‥!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
オフィーリアは温かな紅茶を一口飲むと、窓から見える庭へと視線を向ける。
ラルー邸よりもだいぶこじんまりしているが、大切に手入れされていて美しさでは引けを取っていない。
愛情たっぷりに育てられた花木は生き生きと咲き誇っていて、豪奢に見せかけるしか取り柄の無い我が家の庭よりもずっと素晴らしい。
そう賞賛するオフィーリアに、テーブルを挟んで向かい側に座る年若い女性が微笑む。
彼女と出会ったのはほんの数時間前だというのに、私は既に何度もその穏やかな微笑みに励まされている。
「本当にありがとう、ジゼル。
貴女に出会えて本当に嬉しいわ」