11.知り合いなの?
男は被っていた帽子を手に持ち、先程まで帽子の下に隠されていた燃えるような赤い髪を光の下に露わにしていた。
此方を見下ろすブルーの瞳が濃く煌めいているのを見るにこの状況を心底楽しんでいるらしい。
私が出し抜かれるなんて初めてだった。いったい彼は何者なんだろう?
「まぁ、誰かと勘違いしているようね」
「そうかな? その美貌だ。ミス・ラルーを見間違える人間がいるとすれば、そいつの目が節穴なだけだよ。
そして僕の目は節穴じゃないんだ」
一瞬、もう一度街中を走り回ったらこの苛立たしい男を打ち負かす事が出来るだろうかと考えた。
けれど既にジゼルは走れる程の体力は残っていないだろうし、何よりまた出し抜かれるかもしれないと考えただけで腹が立つ。
「えぇと、知り合いだったかしら?」
「いいえ、初めてご挨拶させていただきます。
リチャード・トゥリーヴスです。お会い出来て光栄ですミス・ラルー。そしてレディ・ジゼル・クリフォード」
リチャード・トゥリーヴス。という事は彼はウェストブルック侯爵だ
独身の裕福な侯爵、それも華やかでハンサムな顔立ちの彼は貴族令嬢であれば誰もが一度は結婚を望む社交界の注目の的だ。
けれど結婚適齢期なのに舞踏会には殆ど顔も出さず、花嫁を探す事もせずに放蕩の限りを尽くしているらしい。
社交界でのゴシップは殆ど上の空で聞いている私でさえ彼の噂は知っている。
確かウェストブルックの領地はローランドの持つライサム領と隣り合わせだった筈。
彼がウェストブルック侯爵なら随分面倒な相手に出会ってしまった。
そもそも侯爵はどうして私達を追い掛け回したりなんてしたんだろう?
彼が言うように私は彼と会った事は無い、もちろん夜会で見かけた事も無い。
この場を乗り切る為の策を練っていると、私が困っていると判断したらしいジゼルが前に出て二人の間に立ちはだかった。
「私の事も知っているのですね。侯爵のようなお方は、私のような者は視界に入らないのかと思っておりました」
「もちろん知っているよ。ハートリー伯爵とは友人なんだ。 伯爵は元気でいるかい?」
「えぇ、父は相変わらず元気にしております。
父と閣下が知り合いだったとは存じませんでしたわ」
「紳士クラブで世間話をする程度なんだ。
残念だけどクラブでの交流をいちいちレディに話さない男の方が多い」
「そうですか。それではもうよろしいでしょうか?
私達はそろそろ戻らなくてはなりません」
ツンと顎を上げるジゼルは先程までの優しく内気な女性とは違い、毅然としたレディそのものだ。
彼女は先程からやけにウェストブルック侯爵に食って掛かっているが、何か気にかかる事でもあったのだろうか?
先程まで憎たらしい程に飄々としつつも一部の隙きも無かった侯爵の表情もどことなく戸惑っているように見える。
「時間を取らせて悪いが‥‥‥まだ話は終わっていないんだ。
もし君達が良ければ、侯爵家の馬車でそれぞれの屋敷まで送り届ける栄誉を僕に与えてくれないだろうか?」
「まぁ、そんなの困るわ! 勝手に決めないで」
「いいえ、結構ですわ。自分の足で歩いて帰れます」
ウェストブルック侯爵が気障ったらしく大仰な身振りで一礼をするなり、二人して声を揃えて反発した。
驚いてパッとジゼルを振り返ると彼女もわざとらしく瞳を丸くしてみせたので、思わずクスクス笑いが漏れてしまった。
楽しそうに視線を見交す私達をよそに侯爵は天を仰いでため息を吐く。
「確かに‥‥これではあの堅物男には手に負えないだろうな」
「あら、誰の手に負えないですって?」
「いや、気にしないでくれ。それより、送らせて貰えないならば簡潔に聞くとしよう。
ミス・ラルー。 ロー‥‥‥ライサム伯爵との婚約は破棄したって本当かい?」
「貴女の話ってそれの事なの? なら私も簡潔に言うわ。
答えはイエスよ」
ウェストブルック侯爵が私とローランドの婚約破棄を知っているという事は、もう既に社交界で噂話になっているのかもしれない。
次の夜会では再びローランドは花嫁を探し、ライサム伯爵夫人の座を狙う令嬢の注目の的になるだろう。
ローランドはきっと、私とは正反対の淑やかで聡明な妻を迎える筈だ。
無鉄砲な私ではなく、新しい妻を彼は心の底から愛して‥‥‥‥
侯爵に出会ったせいで先程までの楽しい気分が台無しだ。こんなにも惨めな気持ちになるなんて。
気を抜けば涙が出てしまいそうだったので、腕を組みツンと顎を上げウェストブルック侯爵を睨みつける。
「言っておくけれど、私が衝動的になって婚約破棄した訳じゃないのよ。
ライサム伯爵を怒らせてしまったのは確かだけれど」
「あいつはまだ仲直りしていないのか‥‥‥」
「あら、ライサム伯爵と知り合いなの?」
「どうかな。僕は知り合いが多いから」
彼をじっと見つめてみるが、侯爵は相変わらず楽しげに口角を上げていて何を考えているのか判断出来ない。
ローランドとウェストブルック侯爵は正反対の性格だ。二人が友人だなんて事はあるかしら?
「もう日が暮れそうだ。だから二人を屋敷まで送らせてもらう。
言っておくが拒否しても無駄だよ。僕は善良な紳士だから、暗い街中にレディを放り出す事は出来無い。
ところで君はどうしてそんなに大きな荷物を持っているんだい?」
「それは私も気になっていましたわ。
オフィーリア、どうしてトランクケースを?」
「そうね‥‥色々と事情が立て込んでいるのだけど、簡単に言うと家出をしようと思っているの。
本当は既に街を出ているつもりだったけれど、もう日が暮れそうだし‥‥図書館の本も返さないといけないから、今日は宿を探そうと思っているところなのよ」
私がそう言った途端にジゼルは仰天したように瞳を丸くさせ、何と言ったら良いのか分からない様子で「まぁ‥‥‥」と呟いた。
侯爵は口元に拳を当ててクックッと笑いを噛み殺している。
もちろんウェストブルック侯爵が街中に私達を放り出して去る筈も無く、何故かジゼルも手の平を返したように侯爵に馬車でラルーの屋敷まで送って貰うよう私に言い聞かせた。
それでも絶対にラルー邸に帰らないと拒絶していると、侯爵がウェストブルックのタウンハウスに一晩泊まってはどうかと新たな提案をした。
「タウンハウスで母と妹の話し相手になってくれないかな?
驚いた事に母も妹も気兼ねなく話せる相手はもっぱら僕しか居ないと思い込んでるらしい。
ミス・ラルーが彼女達の考えを変えてやって欲しいんだ。
そうすれば僕は旧知の友人に会いに行って、一晩中ウィスキーを酌み交わす事が出来る」
「たとえ閣下が留守でも、男性の屋敷に付き添いも無く泊まってはダメよオフィーリア。社交界で噂になってしまうわ‥‥」
ジゼルに手を優しく握られ、気遣わしげに顔を覗き込まれては少しだけ考え込んでしまう。
せっかく心配してくれるジゼルの思いを無碍にしたくないのだが、そもそも婚約破棄されたうえ家出をしている時点で社交界でのゴシップは免れないのでは?
とにかく考え無しに使ったせいで所持金も減ってしまったし、今日街を出る事が叶わなくなったのだから宿泊先が必要不可欠だ。
宿でも構わないと思っていたが、それにしてもウェストブルック侯爵の提案は魅力的だった。
「付き添い役なら君がいるじゃないか。
レディ・ジゼル、君もぜひ招待させてくれないかな。話し相手は多ければ多いほど良い」
侯爵の新たな提案によりジゼルは渋々折れ、私は二つ返事で彼の案を受け入れた。
ウェストブルック侯爵は思っていたよりも善良な人なのかもしれない。




