4.ゲームと現実
よろしくお願いします。
ソアセラナが学院に来るに当たって一番関わり合いになりたくないのが、第一王子と兄のオスカーだ。まさか初日から言葉を交わすことになるとは……。今日がピークで合って欲しい。
自分の不運を嘆くソアセラナだったが、第一王子に生徒会から呼び出しがかかり救護室から出て行ってくれた。
急に静かになった部屋でナディエールが「帰りましょうか?」とホッと息をついた。強気だったが、ナディエールも緊張していたのだ。
ソアセラナとナディエールが部屋に入ると、足元に黒猫が擦り寄ってきた。
「ただ今、エル」
そう言ってソアセラナが抱き上げるが、腕からすり抜けて部屋の中に走っていってしまった。甘えたいのか、違うのか? 猫の心は難しい。
ヒーローとヒロインの運命出会い? から始まり、階段から転げ落ちかけ、意見のぶつかり合いと、一日で色々なことがあり過ぎた。もう疲れ切っていて、このままベッドに飛び込んで寝てしまいたい。
ソアセラナは切実にそう思っていたが、ナディエールは違ったらしい……。
パタンと部屋のドアが閉まるなり、掴みかかるようにナディエールが迫ってきた。
「わたくしの話、信じてもらえた?」
公爵令嬢とは思えないほど鼻息が荒いが、興奮するのも分かる。
確かに今朝の出来事は、ナディエールの言う通りの展開だった。しかも、現実では有り得ないような出来事をピタリと言い当てたのだ……。
今でも二人の出会いを思い出すと、夢でも見ていたのではないかと、ソアセラナは自分が信じられない。あの時の興奮が呼び起され、さっきまでの疲れも吹っ飛んだ。
「信じるも何も……、何あれ? 現実? 第二王子とヒロインが二人で木にぶつかったのに、ヒロインにだけ花が落ちる訳がない! しかもティアラのように、うまい具合に花が落ちてくるはずもない! ましてや『運命の出会いだ!』なんて間抜けな台詞を吐く馬鹿がいる訳がない! だって、既に婚約者がいる第二王子だよ? 運命もクソもあるか、政略結婚一択だ!」
そう叫んでしまうほど、ソアセラナも冷静ではいられない。物語の世界でもリアリティに欠ける出来事が、目の前で起きたのだ! もうナディエールの妄想だとは言っていられない。
二週間前に桜並木でこの話を聞いた時には「ナディエール様、妄想にしても酷いよ……」と思ったことが、自分の目の前で起きた。
信じたくない、信じたくない、信じたくないが、事実だ。ナディエールの妄想は、もしかしたら真実なのかもしれない……。
(もしかしたら、ナディエール様は魔女なの? ここまで醜悪な世界を作る魔女なのかも……。いやいやでも、世界を作るなんて、それこそヘカティア様くらいの魔力がないとできない。ナディエール様がヘカティア様じゃないのは明らかだし、ヘカティア様がこんなに愚かなことをするはずがない。なら、現実? 現実なの?)
まるで取っ組み合いの喧嘩でもした後のようにくたびれ切っている二人に向かって、薄桃色のソファの上で黒猫がのんびりニャーと鳴いた。
少しだけ冷静になった二人は、「こんな所で話すことじゃないわよね?」「ソファに座って落ち着きましょう」と言い合って冷静さを取り戻す。
そんな二人を見ている黒猫は、部屋の主のような気品ある態度でソファの上で丸くなった。
ゾストール学院は全寮制だ。生徒の自主性を重んじ自立を学ぶ為に、王族でさえ侍従も侍女も連れて来てはいけない。貴族には厳しい規則に思えるが、平民と貴族が平等な訳ではない。寮の部屋は身分によって大きく違う。
ナディエールの部屋は、平民用の部屋が余裕で六つくらい入りそうな広さだ。置かれている家具は持ち込み可能なため、全て最高級品で揃えられている。
きつい見た目とは対照的に、ナディエールは可愛らしい物が好きだ。部屋に置かれている家具は白で、カーテンはミント色、ベッドのリネンはレモン色とパステルカラーの目に優しい乙女な部屋となっている。
一方ソアセラナが入る予定だった平民用の部屋は、備え付けの机とベッド以外は何も置けない狭さだ。慣れ親しんだものなのでソアセラナはそれで構わないのだが、ナディエールが「今後の相談をするには一緒の部屋がいいわ」と言い張って、無理矢理同居を余儀なくされてしまった。
あの時は部屋のおかしな設備とナディエールの強引さが怖くて、部屋を移ってしまった。「ナディエール様、相変わらず強引」と思ったが、今日の事件を思うと別の見方ができる。寮でも嫌がらせをされると予想したナディエールが先手をうったのだ。大いにあり得る。
ソアセラナがこの部屋に持ち込んだものは、スーツケース一つと黒猫一匹だ。あまりの荷物の少なさにナディエールはギョッとしていたが、ソアセラナにはこれで十分だ。
ソアセラナがソファに座ると、黒猫が膝の上に飛び乗ってきた。
「貴方にしか懐いていないのが悔しいけど、本当に毛並みの綺麗な黒猫よね? この世界の猫って、毛足が長いのばかりじゃない? 短毛の猫って珍しいわよね?」
確かにその通りだ。ソアセラナだって、短毛で金色の瞳を持つ猫はエル以外見たことがない。
「二年前にグレイとダンジョンに行った時に、迷い込んでいたところを保護したんです」
「ダンジョンって、人が入ったら死ぬ場所じゃない? 貴方達、ちょっと無謀過ぎない?」
「まぁ、上層部程度なら、軽装備でも何とかなります。子供特有の冒険心ですよ?」
ソアセラナはあっけらかんと言ってのけたが、この言葉は嘘だ。上層部だって装備無しでは命を落とす。子供が冒険心で行くような場所ではなく、上級の冒険者が行く場所だ。
しかも、ソアセラナとグレイソンは、深層部の手前である下層部にまで行ったのだ。もちろん子供特有の冒険心などではない。二人共欲しいものがあり、目的を持って向かった。
二人の目的は果たせたし、記憶の限り危険な目にあってもいない。
そう、記憶の限り……。
帰り道の途中で気を失ってしまったソアセラナは、エルを保護してからの記憶がない。
何があったのかグレイソンに聞いたが、曖昧な答えしか返ってこなかった。きっと何かあったのだと思うが、何だか怖くて確認したいとはソアセラナは思えなかった。
無事に帰ってこれたのは、きっと奇跡としか言いようがないのだろう。
ダンジョンの話には興味を失ったナディエールが、「それにしても、あの男!」と物騒に呟いて立ち上がった。色とりどりの乙女な部屋を、赤髪赤目できつい顔立ちのナディエールがウロウロと歩き回る。
「第一王子と挨拶以外の話をしたのは今日が初めてだったし、もちろん『イトキミ』にも出てこないから知りようがなかったけど……結構嫌な奴ね! しかも、淑女科って第一王子が作ったとは……。自分の婚約者を選ぶためだったり? まぁ、どうでもいいけど」
攻略対象ではない第一王子には全く興味のないナディエールだが、ソアセラナには驚きだ。
「えっ? 第一王子なのに、婚約者がいないのですか?」
「まだ決まってないの。第一王子の母である王妃様は、第二王子の母であるヒステリー側妃と違って賢い方なの。下手に第一王子の婚約者を決めて、王位継承争いを激化させるのを避けているんじゃないかしら?」
自分の義母になる人を相手に辛辣だが、側妃の評判の悪さは有名だ。この側妃がいるからこそ、貴族が二つに分かれて王位継承争いが勃発している。
スペンサイド国には、同じ年の王子が二人いる。王妃の子が第一王子で、側妃の子が第二王子だ。普通に考えれば、第一王子が王太子なるのが順当だ。そうならないのは、王妃に後ろ盾がないからだ。王妃の母国は、他国からの侵略によって滅ぼされてしまった。
一方側妃はスペンサイド国でも有力な侯爵家の娘で、父親は代々宰相を勤め政治力もある。その力をフルに活用して、第一王子が王太子になるのを邪魔しているのだ。
「まぁ、第一王子の話は置いといて。朝のヒロインとヒーローの出会いのシーンはわたくしの言った通りだったでしょ?」
「怖いくらいに、ナディエール様の言う通りでした……。ですが、ナディエール様の話自体が、現実と異なる点が多いですよね? 本当に私が魔力を得られるのか不安です」
ソアセラナが言った通りで、現実とゲームとでは相違点が多い。
ゲームのシナリオが根底から覆っているのだから仕方がないとナディエールも思っている。
「正直に言って、わたくしのプレイしていたゲーム通りになる保証はないわ。でも、このまま何もしないで斬首刑なんてことは避けたい。わたくしは、死亡回避のために前に進むつもりよ」
(そうよね? ナディエール様はこのままでは死んでしまう可能性が高い。最大の敵である第二王子が、「運命の出会いだ」とか頭のいかれた台詞吐いてたし。あの馬鹿さ加減だと本当に婚約破棄しかねない。ってことは、斬首刑の可能性も高まるよね)
「正直に言って疑問は多々ありますが、あのあり得ない出会いのシーンとやらは、絶対に予想できることじゃありません。ナディエール様を信じます。ナディエール様が死なず、私は魔力を手に入れられるよう頑張りましょう!」
ソアセラナの言葉に、ナディエールは目を潤ませる。泣き笑いでソアセラナの両手を握ると、「ありがとう! 長生きしましょう!」と微笑んだ。
そうと決まれば前に進むのみだ。
ナディエールが死なず、ソアセラナが魔力を手に入れるには、ヒロインと四人の攻略対象達が逆ハールートを選択する必要がある。そう、全く現実味のない国家規模の大惨事を、現実にする必要があるのだ……。
「まぁ、まずは、私の知っているシナリオとの相違点を共有ね。ソアセラナが知っている現実との違いも共有しておきたいわ」
ナディエールが語るシナリオは、ちょっとソアセラナには受け入れがたい話ばかりだ。もう全てが相違点と言っても過言ではない。
「まず、設定がここまで狂ったのは、第一王子の存在よ! わたくしがラナを転生者だと勘違いしたのも、シナリオにここまで大きな変化を与えたのが貴方だからなのよ」
ゲームについてはよく分からないが、第一王子を助けたことからソアセラナの人生は大きく変わってしまった。
ゲームは、六年前に第一王子が死んだ設定でスタートしている。もちろん王太子を巡る争いなく、第二王子を中心に話が進む。
オスカーは第二王子の側近だし、グレイソンだって第二王子の護衛だ。オーベルに至っては、亡き兄と比べられて苦しむ第二王子を見守る兄のような存在だ。
だが、実際は? オスカーは第一王子の側近だし、グレイソンは護衛ではないが第一王子と共に剣術を学ぶ仲間だ。オーベルは自分の研究対象以外には一切の興味を示さない。
もはやナディエールの言うシナリオは、全く意味を無さいない状況だ。
ちなみに愛称で呼ばれているのは、ナディエールに「愛称で呼ぶのと、呼ばれるのって前世でも憧れだった!」と言われてしまったからだ。
二つの世界で憧れていたと言われれば、恐れ多いより断り辛い気持ちの方が大きくなる。
薄桃色のソファに向かい合って座るナディ―エルをチラリと覗き見て、ソアセラナは頭を悩ませる。
六年前のあの日、何があったのか……。それは当然機密事項に当たる事案だ。しかもナディエールは第二王子の婚約者だ、話すべき相手ではない。絶対に。
しかし、ナディエールの言う突拍子もないシナリオとやらを、ソアセラナは『正しい』と信じることにしたのだ。
(別世界の記憶があるとか、この世界がゲームの世界だとか不思議なことばかり言っているけど……。でも、私はナディを信じると決めた。あの目は狂っているとは思えないし、ナディが死ぬ運命なら助けたい! だったら、六年前の話をしなければ、前には進めない)
「六年前の出来事は、ナディの言うシナリオを変えてしまっただけではないの。第一王子はもちろん、ロードレーヌ家の運命も大きく変えてしまった……」
ソアセラナから唯一の家族を奪い取ってしまったのだ。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。