23.六年越しの失態、再び……
本日一話目の投稿です。
よろしくお願いします。
第一王子の執務室は、どす黒い怒りが立ち込めた状態で静まり返っていた。張り詰めた空気は刃物のように鋭く、今にも首が切り落されそうで、動くことさえままならない。
そんな中で第一王子は、執務机に肘をつき手を組むと、その上に顎を乗せ微動だにしない。射るような視線は一点を見つめ、相手をこれ以上なほど蔑んでいる。
執務机の後ろにずらりと並んだ本棚には、分厚い本がぎっしりと詰め込まれている。執務机と本棚以外に置かれた家具は会談用のソファセットのみだ。花瓶はもちろん植物だってなく、王族の華やかさは全く感じられない。実用的な物以外は無駄を排除した部屋だ。
その部屋に無駄な者が、ただ一つ侵入していた。
無駄な者なのだからソファに座れるはずもなく、執務机から離れた場所に立たされている。
無駄な者が部屋に入ってきてから、第一王子はずっと黙っていた。そのせいで相手は調子よく喋っていたが、途中で第一王子の怒りに気づきやっと言葉を失ったようだ。
第一王子の冷たく冷え切った青い瞳が、ロードレーヌ侯爵を捉えて離さない。
「……で? ソアセラナの魔力が無くなったのは私のせいだから、今更嫁にもらえと?」
執務室に侵入した無駄な者であるロードレーヌ侯爵の目には、無表情な中に怒りを滾らせた第一王子以外の何が見えているだろうか? 吹雪で荒れ狂い前を見ることさえできない雪原でも広がっているだろうか?
相手を蔑み怒りを湛えた青い瞳と目を合わせることは、恐ろしすぎてロードレーヌ侯爵にはできない。目を伏せたまま震え出す身体を両手で押さえて言い訳を連ねる。
「歪に閉じ込められたのは、行方不明のオーベル伯爵が娘だけが使える特別な魔法見たさに計画したと聞いています。それは、娘が国の役に立てる人材なのだという証拠です! 娘の側には第二王子の婚約者がいますから、第二王子派に娘の能力が奪われる前に、殿下のものとして発表すべきだと進言申し上げております……」
ソアセラナと第一王子が閉じ込められたのは、空間無効の魔法をもう一度見たいオーベルの策略だった。歪に閉じ込めて、空間無効の魔法を使って出てくる計画だったが……。
計画が失敗したオーベルは「ソアセラナが杖を落としているとは、不覚だった……」と悔しがりながら逃げたというか、手を振ってその場から消えた。
そうなってくるとケルベロスを召還して学院を襲わせ、第一王子に怪我を負わせたのもオーベルだということに繋がる。
実際問題、ここまでの力を持った魔術師はオーベル以外にいないのだ。最初からオーベルが怪しまれていて、今回やっと尻尾を掴んだというのが事実だ。
ケルベルスの時と同様で、今回だって第一王子の命を奪いかねない行為だ。どちらも第一王子の暗殺を疑わせるに十分。そして、オーベルが第二王子派なのは周知の事実。となれば、疑惑の矛先が誰に向くかも決まってくる。
側妃や宰相は「自分達とは関係ない」と言い張っているが、周りはそう思っていない。二人がオーベルを使って第一王子を亡き者にしようとした、世間では誰もがそう思っている。
オーベルの勝手な暴走によって、第二王子派は立場を危うくしている。
この事態を受けてロードレーヌ侯爵は、浅はかにも二重スパイをやめて完全に第一王子派に寝返ることにした。オーベルが興味を持った娘を餌にすれば第一王子がすぐに食いつくと思い込んでいた愚か者は、六年前同様の自分の失態に気づき始め恐怖で震えそうな身体を何とか押さえている。
第一王子はわざとらしく深々とため息をついた。
「オーベル伯爵は確かに魔力量も多く優秀だ。ケルベロスの召喚ができるほどの知識と能力があるのは、彼しかないない。だが、彼が研究しているのは、誰の役にも立たないものだ。魔力もないお前の娘が国の役に立つだと? 勘違いも甚だしい。不愉快だ、さっさと出て行け!」
執務室に第一王子の怒声が轟き、その怒気でビリビリと窓が揺れた。それは廊下も同様で、扉の前を歩いていた者達は皆、真っ青になり震え上がった。
自分の発言が自分を追い詰めていることに気づけないロードレーヌ侯爵は、空気を読まずに叫んだ。
「ですが、国一番の魔力量を誇っていた娘の魔力を奪ったのは殿下です! このままでは娘は嫁ぐことも叶わず、不憫でなりません!」
娘のことなんて何とも思っていないのに、白々しい言葉だ。その大事な娘を、どこまでも自分の出世の道具にしようというのだから。一体誰が娘を不憫にしているか……。
音も無くロードレーヌ侯爵の前に立った第一王子の手には、太く長い剣が握られている。細工の細かい装飾品としての剣ではなく、多くの魔獣を葬ってきた実戦用の剣だ。その剣を鼻先に突きつけられた侯爵は、切っ先を見つめながらブルブルと震えている。
「六年前にも言ったが、忘れているようだから教えてやる」
地底の魔物を集めるような腹に響く低い声に、侯爵は床にへたり込んでしまった。だが、剣の切っ先は侯爵を捉えて離さない。
「あの程度の暗殺者なら私の力でねじ伏せられた。それをお前の娘が勝手に手を出して、勝手に魔力を失ったのだ。それが事実なのに、お前はこの私を強請ろうというのか? それ相応の覚悟はできているのだろうな?」
そのまま震えてうずくまった侯爵は、第一王子の護衛よって捕縛された。
そして、ロードレーヌ侯爵の愚かな行為は、その日のうちに城を超え王都中に広まった。
『第一王子暗殺に娘が巻き込まれたと勘違いしたロードレーヌ侯爵が、見当違いにもソアセラナを妻にしろと直談判したが、魔力無しの欠陥品を押し付けるとは何事か! と第一王子に追い返された』と……。
おかげでソアセラナは肩身が狭い……。
学園内を移動すれば、嘲笑と中傷の乱れ打ちだ。
「あの子でしょう? 魔力もないのに魔法科に入ったのよね?」
「魔力が無いから、杖で魔法を使う欠陥品よ」
「邪道だな! まぁ、魔力が無いのに第一王子妃になれると思っている時点で、存在も邪道だな」
「魔力もないのに、第一王子殿下に擦り寄っているらしいわ。貴族としての嗜みの欠片もないわね!」
「第一王子殿下もとんでもない親子に目をつけられたものだ……」
一日に何度もこんなことばかり言われていれば、ソアセラナの背中も丸まってくる。だが、その度にナディエールにバッチーンと背中を叩かれるのだ。そして、「ラナには何の非もないのだから、胸を張っていればいいのよ!」と励まされる。
(そう、私には何一つ非はない。かつて父親だった馬鹿な男が、再び私を使って上手く立ち回ろうとして、また失敗したのだ。でもきっと、私の魔力を失わせたという第一王子の罪悪感は抉っているはず。そう思うと、気にしないでいられるはずがない)
ため息を堪えたソアセラナの目の前に、突然火球が飛んできた。悪戯のつもりなのだろうが、魔力の発動が人より遅いソアセラナには危険極まりない。一人だったら、顔に火傷を負っている。
「ほら? 杖でしか魔法を使えないから、こんなことにさえ自分では対応できないのだ!」
「この程度の実力で第一王子の婚約者になろうなんて、本当に図々しいわ!」
そう言ってクスクス笑っているのは、第一王子と同学年の生徒達だ。
火球を叩き落としたシンディに向かって、得意げにニヤけた上級生がヤジを飛ばす。
「その女は第一王子殿下に無礼を働いたのだから、守る意味ないだろう? 罰を受けて当然だ!」
いつもはおっとりしているシンディは、その上級生たちをキッと睨み返した。
「ソアセラナ様は私の命の恩人です! そして優秀な魔法使いよ! 下らない噂に踊らされて、みっともない!」
上級生達はまさか言い返されるとは思っておらず驚いているが、一番驚いているのはソアセラナだ。
脱出事件以来シンディはソアセラナを慕ってくれていたが、上級生相手に怒りを露わにするほどとは思いもしなかった。
シンディだけではなくクールドもソアセラナを守るように、戦闘態勢で立ちはだかってくれている。
その最前線に進み出たのが、ナディエールだ。シンディ相手に言い返そうとしていた上級生達は、悪名高い公爵令嬢を前にグッと言葉を呑み込んだ。
「授業以外での魔法攻撃が、学院の罰則違反だと分からないの? 貴方達、退学よ?」
ナディエールの怒りを抑えた不気味なほど冷静な言葉に、上級生達はお互いの顔を見合って焦り出した。自分達がしでかしたことが痛みを伴うとは思っていなかったのだろう。慌てふためいて、自分達の正当性を訴える。
「そいつみたいな魔力もない欠陥品は、人として認められない! 罰則の対象になんかなるか!」
「魔力もないのに学院に入学すること自体が間違っているのよ、悪いのはその女よ!」
「ちょっと特別な魔法が使えるぐらいで調子に乗り過ぎなのよ! 魔力もない欠陥品は、スペンサイド国民には成り得ないわ!」
「第一王子殿下を不愉快にさせるその女こそ、退学だ! いや、この国から出て行け!」
彼等の言葉を、ただの戯言として無視はできない。魔力のないソアセラナに向けられたこの言葉は、スペンサイド国民の声と同じだからだ……。
「本当に魔力のない欠陥品だと思っているのなら、放っておけば済む話よね? 年下相手にわざわざ文句を言いに来るなんて、ソアセラナを羨んでいると言っているようなものよ?」
ナディエールの言葉は的を得ていて、上級生達は羞恥と怒りで顔を真っ赤にした。魔力がないのに、スペンサイド国にはない高度な魔法を使うソアセラナを恐れているのだ。
ソアセラナの背中を叩いたグレイソンが、ナディエールの横に立つとニッコリ微笑んだ。
「噂好きみたいだから、自分達のしでかしたことも噂にして欲しんじゃない? 家族の務め先も嫁ぎ先も、噂に惑わされない俺達みたいな人ばかりだといいね?」
グレイソンは可愛らしい笑顔で、えげつない脅しだ。上級生たちの顔色が失われていく。
廊下の奥から第一王子が走ってくるのが見えると、ナディエールは悪役令嬢らしい残忍な笑顔を向けた。
「あら? 貴方達の味方である第一王子殿下がいらっしゃって良かったわね? 『殿下を困らせる魔力なしの欠陥品の顔を火球で焼こうとしたら、下級生達に邪魔されました』って泣きつきなさいな」
ナディエールの言葉は上級生達ではなく、第一王子に向けられていた。
もちろん悪いのは、馬鹿なロードレーヌ侯爵だ。それはナディエールにだって分かっている。家族の失態が子に降りかかるのだって仕方がない。だが、ロードレーヌ家から捨てられたソアセラナが、また家族の尻拭いをさせられるのかと思うと許せない!
噂通りの言葉を第一王子が言ったとは思っていないが、第一王子はソアセラナに害が及ばないように事態を収めることができなかったのか? ソアセラナを巻き込まないようにできなかったか? 何より、どうして六年前の繰り返しをするのだ! と第一王子に対する不満がナディエールの中から溢れてくる。
それはグレイソンだって同じ気持ちだ。第一王子を見るなり、怒りで顔を引き攣らせた。
「それいいね! 殿下の横にはロードレーヌ家の嫡男がいるよ? ほら、彼にも火球なり何なりぶつけなよ? 第一王子殿下のために、不快な家族を懲らしめてあげるんでしょ? 第一王子殿下なら、ロードレーヌ家の人間を傷つけた者には褒美をくれるんじゃないかな?」
二人を始めとした四人が、射るような視線を第一王子に向けていた。その視線を受けた第一王子の表情は変わらないが、ぐっと奥歯を噛みしめて何か言葉を飲み込んでいるのが分かる。
ソアセラナへの誹謗中傷が王都中を駆け巡っているのは、第一王子も知っている。学院の生徒の大半がソアセラナに非難の目を向けているのも知っている。その全てが自分の落ち度なことも知っている。
ロードレーヌ侯爵一人を罰したかっただけで、彼が寝返ろうとした噂話を広めたかっただけだ。なのに、その矛先はソアセラナに向いてしまっている。その理由は簡単で、さっきナディエールが上級生に言った通りだ。
魔力がないのに杖を使って魔法を使える上に、あのオーベルが大騒ぎするような不思議な魔法まで使える。そんなソアセラナに、誰もが驚き怯えている……。
ソアセラナのような者が増えて、魔力のない者が魔法を使えるようになったら?
自分達に魔力があること魔法を使えることで他国を見下してきたスペンサイド国民は、誇れるものが何もなくなってしまう。このままでは自分達の未来が脅かされてしまうと肌で感じて、ソアセラナへの攻撃が激しくなるのだ。
第一王子が犯した一番の失態は、国民のこの気持ちを汲み取れなかったことだろう。
クラスメイトに周りを囲まれたソアセラナは、そっと第一王子を盗み見る。相変わらずの無表情だが、こんな目にあうのは迷惑に決まっている。
ロードレーヌ侯爵をもう父親だなんて思っていないが、ソアセラナを利用して第一王子に迷惑をかけたのは事実だ。自分が我慢するべき話なのは分かっているが、こうやって助けてもらってしまった。みんなにはありがたいと思うと同時に、第一王子には申し訳なくて恥ずかしくて合わせる顔がない。
(閉じ込められた時に、お互いに胸の内をさらけ出した気になったのは私だけだったんだなぁ。それもそうだよね? 第一王子には命より大事な人がいるんだもの。その人を差し置いて、私みたいな魔力なしを妻にと言われたって困るに決まってる。あの親のことだもの、「魔力を失ったのは第一王子のせいだ」とか言って脅迫したんだろうし。魔力のない私が欠陥品なのも事実。ショックを受ける方がおかしい……)
「話の無駄だ、行こう!」
怒りが収まらないグレイソンに三人がついて行く。その輪の中で守られているソアセラナに第一王子がいくら視線を向けようと、蜂蜜色の瞳が向けられることはなかった。
身体が震えるほど全身を強張らせた第一王子に、オスカーは冷たい視線を送り続けていた。
国王が側妃のために作った庭園には、側妃の好きな花や木だけが植えられている。
側妃は何も考えずに草木を取り寄せるので、庭師たちの間では「この庭園を無難にまとめられたら一人前」と言われている。
今回は赤い花ばかり集めたかったそうで、見渡す限りが大小さまざまな赤い花ばかりで毒々しい。
心が穏やかになりそうもない庭園は人払いがされており、側妃がヘイル侯爵と向かい合って優雅にお茶を飲んでいる。そして、周りから死角になっているその足元には、オスカーがひれ伏していた。
一見穏やかな表情をしているが、側妃の胸の内が怒りで荒れ狂っている。
「どういうことか説明して欲しいのよ、オスカー。貴方の父親はわたくし達を裏切ったのかしら?」
誰がどう見ても間違いなく、噂通りロードレーヌ侯爵は第二王子派を裏切って第一王子派に寝返ろうとした。その上、ソアセラナを土産に第一王子派で大きい顔をしようと、六年前の失態を忘れて同じ過ちを犯した。またも愚かな考えだけで、後先考えずに行動してしまったのだ。
常に自分の足を引っ張る父親の顔がちらつくと、怒りを鎮めるために噛みしめた下唇から鉄の味がオスカーの口内に広がる。
「大変申し訳ございません。父があそこまで愚かだとは考えが及びませんでした。私の監督不行き届きです」
「本当よ! 六年前にロードレーヌ家を許したのは、第一王子の側近である貴方が役に立つと言ったからよ? 愚物である父親さえ管理できないなら、貴方が役に立つとは思えないわ!」
怒りのあまり声が大きくなる側妃を、向かいに座ってゆっくりとお茶を飲んでいるヘイル侯爵がたしなめた。
「まぁ、落ち着いて下さい、側妃様。ロードレーヌは本物の馬鹿だ。オスカーが優秀だからこそ、馬鹿の行動は理解できなかったのだろう」
そう言って優雅に紅茶を飲んだ侯爵は、カップを置くと狡猾な表情でオスカーを威圧する。
「もちろん、この失態を挽回してくれるのだろう、オスカー?」
侯爵のねっとりとした言い回しは、オスカーの呼吸さえ奪うように身体に絡みつく。
最近は力が落ちてきているとはいえ、一時期は隆盛を極めた男だ。人の扱い方も、脅し方も手慣れている。
「もちろんです! もともと妹に第一王子殺害の罪を擦り付け、父にはその責任を取らせるつもりでした。今回の父の行為は愚行ですが、私の計画を後押ししてくれました」
「ほう? 後押しとは?」
「第一王子を殺害するに至った妹の怒りが魔力を奪われただけでなく、婚約を断られ辱められたからだと世間を納得させられます。私が忠誠を誓うのは、側妃様とヘイル侯爵だけです!」
ヘイル侯爵は満足そうにうなずくと、「ならば、その忠誠を証明しろ。第一王子を殺せ!」と残忍に目を細めた。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだもう少し続きますので、よろしくお願いします。