18.オーベル
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
この世で一番落ち着く自身の研究室に、オーベル以外の誰も足を踏み入れないこの部屋に、既に灯りがついていた。
「……えー、何なの、今日は? 君と会う約束なんてしてたっけ?」
オーベルの研究室は書籍や実験道具などで溢れ返っていて、足の踏み場もない。侵入者が座っている椅子の上にも、書籍や書類が積み上げられていたはずだ。
「はい、きちんと約束していましたよ? 先生は二時間の遅刻です」
「覚えてない。それより椅子の上の荷物どうした? この部屋は僕なりの秩序があって物を置いているから、勝手に動かされると困るんだよね! そのせいで研究が遅れたらどうしてくれるの?」
侵入者が席を立つと、椅子に荷物が現れた。それを見たオーベルがホッとした表情を見せる。さっきまでは人を殺しかねない殺気を放っていたのに、本当に研究にしか心が動かされないのだ。
「で、何の用? たった今、側妃に会って来たばかりだから、疲れてんだよね? あの人のヒステリーぶりを、知ってるだろう? だから手短にお願い」
そう言いながらオーベルは書籍を開き、早くも視線は文字を追っている。
「そんなことを言われても、私をここに呼びつけたのは先生ですよ?」
本に視線を落としたままオーベルは、ブルーグレーの瞳で何度も瞬きを繰り返す。そうやって記憶を呼び戻そうとしているのだ。
それでも中々記憶は戻らないのか、「僕が呼んだ? オスカーを?」と相手に答えを求める。そう言われてもオスカーだって呼ばれた理由は分からず、困り顔で見返すしかできない。
「何だったかな? ケルベロス召喚の実験で第一王子を殺しかけたから、オスカーに謝ろうと思ったのかな?」
オスカーはクスリと笑い、「自分のしたいことが優先な貴方が、そんなことで謝罪を考える訳がない」と言った。
だがオーベルは子供のように唇を尖らせてムッとしている。
「最近は自分のしたくないことばかりだ。ヘイル侯爵家の支援でヘカティア様の研究を続けてるから文句も言えないけど……。第二王子の成績に色をつけろと言われて二年前から教師をやらされているしさ。今日なんてさぁ、第二王子が婚約破棄しそうだからデリシアを殺せって指示出されちゃったよ。研究費をくれるから第二王子派みたいになってるけど、私は基本的に王族なんて大嫌いなのにね」
好色だった前国王が、戯れで手を出した花屋の娘との間にできたのがオーベルだ。
貴族の血さえ入っていないので、本来なら口止め料として金を渡され王族との縁を切るだけで終わるはずだった。だが、彼は大きな魔力を持って産まれてきてしまった。その魔力量は兄である現国王を遥かに超えるもので、下手をすれば王位継承問題に発展しかねない。焦った貴族達が考えた末、子供のいなかったオーベル伯爵家に養子に出されたのだ。
臣下に下れば彼の大きな魔力を国のために使えるし、王位継承問題も解決できる。
オーベル伯爵家は自身の出世の駒となる養子を大事に育ててくれたが、同時に義理の息子の存在を疎んじてもいた。
現国王より優秀で魔力も大きい弟を担ぎ上げようとする者は多い。その度に伯爵は王家に密告に走る。養子先にオーベル伯爵家が選ばれたのは、国王に忠誠を捧げているからだ。あの男なら国王を引き摺り下ろそうとする輩に取り込まれることがないと見込まれてのことだ。
そんな伯爵も、あまりにも多くの貴族を告発しすぎて心を病んだ。
晩年は何を言っているのかも分からなかったが、義理の息子には嫌悪と恐怖しか抱いていなかった。
そういう生い立ちのせいか、オーベルは権力や地位や名誉を嫌悪し、人間に平等に魔力を与えてくれたヘカティアの魅力に傾倒した。そしてそのまま、ヘカティアの研究をするためだけに生きるようになってしまったのだ。しかし、研究には金がかかる。その金を得るために、ヘイル侯爵家に飼われてしまったのだ。
「殺すのですか?」
オスカーの平坦な声に、オーベルは「どうしようかと思ってるんだよね」と眉を寄せた。
「ヘイル侯爵家は十年前ほどの勢いはなく、特にここ数年は色々失敗続きで落ちぶれ始めているだろう? そのせいで研究費も大分減らされていてさ。そろそろ見切りをつけようかなと思っていたんだよね」
「殺すことへの罪悪感ではなく、研究費がもらえないことへの不満ですか? 先生らしいですね?」
八つも年上のオーベルを小馬鹿にしたオスカーの態度だが、オーベルは気にならない。オスカーの言う通りだと、自分でも思っているからだ。
「罪悪感がないのはオスカーも一緒だろう? もう六年も第一王子の側近をしているのは、いつでも殺せるよう信頼を勝ち得るためなんだから」
その言葉にニヤリと笑ったオスカーは「その通りですね」と答えた。
ヘイル侯爵家はここ数年で投資や事業の失敗が相次ぎ、資産が一気に減っている。だからこそ、ハーディンソン公爵家との婚姻で返り咲こうと必死だ。
自由人のオーベルは落ち目のヘイル家を切り捨てようとしているが、オスカーには難しい選択だ。
六年前にソアセラナが第一王子を助けたため、ロードレーヌ家は第二王子派から白い目で見られた。第二王子派を裏切って暗殺を防ぎ、第一王子派に寝返ったのではと疑われ命だって危なかった。
八方塞がりとなっていたロードレーヌ家届いた「嫡男オスカーを第一王子の側近に」という打診は、ロードレーヌ家の運命を拓いてくれた。
オスカーがヘイル侯爵に誓ったのは、側近として信頼され第一王子派の情報を横流しするだけではない。側近という最も近い立場を利用して、第一王子の暗殺を実行することを誓った。
無能な第二王子を王太子にするには、第一王子を亡き者にするしかない。オスカーが暗殺者となることを受け入れたからこそ、ロードレーヌ家は第二王子派に留まることを許されたのだ。
オスカーが自分の行く先を憂いていると、いつも髪に隠れている瞳を真ん丸に見開いたオーベルが「呼んだ理由を思い出した!」と叫んだ。
理由を思い出したオーベルは、随分と興奮している。常に青白い肌に、赤味が差しているほどだ。
「オスカーはさ、ロードレーヌ家をこんな苦境に立たせた妹を憎んでいるんだよね? だから、妹を第一王子暗殺の犯人に仕立て上げる計画を立てたんだよね? でもさぁ、その計画を変更して、妹ちゃんを僕にくれない? あの子変な魔法使うんだよ? 僕の知りたいことを知っていると思うんだ。何としても聞き出したい!」
オーベルはいつも突拍子もないことばかり言いだすが、今回は群を抜いていた。
六年間もかけて苦労して準備した計画を、ここにきて崩されてなるものか! 「計画の変更はできません」とオスカーはハッキリと言い切った。
オスカーの答えにシュンとしたオーベルから、表情とは真逆の言葉が飛び出してくる。
「じゃあ、拷問でも何でもして早く聞き出そう。それで、もし、妹ちゃんが死んだりしたら駄目かな? 第一王子も殺しちゃって、妹ちゃんが自殺したことにすればいい?」
これを冗談ではなく本気で言っているのだ。強請るようにこんなことが言えるオーベルに、オスカーは狂気しか感じられない。
「いいわけないじゃないですか? 第三者の目の前で事件を起こし、言い訳出来ない証拠を作る計画の邪魔をしないでいただきたい!」
オーベルへの恐怖を抑えようとしているせいか、オスカーの声は気づかぬうちに大きくなってしまう。
「えー? いいじゃんちょっとくらい変わったって? オスカーはずる賢いから、何とか出来ちゃうでしょ?」
「考え抜いた俺の完璧な計画の邪魔をしないで下さい! 妹だけではなく、役立たずで邪魔な父親も一緒に始末するのです。絶対に計画の変更はありません!」
口ばかりで無能なロードレーヌ侯爵は、息子であるオスカーに頼りきりなのに文句ばかりで迷惑この上ない。この機会に排除して、オスカーがロードレーヌ家を手中に治める予定だ。
「妹ちゃんと父親に罪と責任を擦り付けて、自分だけ安全なところから傍観しているって訳? わぁ、オスカーってば凄い悪人だね! なら、仕方がないね、私も別の方法を考えるよ」
オスカーの口から「先生に比べれば、かわいいものです」と言葉が出かかったが、それも押し留めた。とにかくこの狂気に満ちた屋敷から、さっさと逃げ出したかった。
オーベルは屋敷から去って行くオスカーを窓越しに眺めていた。
「完璧な計画、ね? 全てが消えて無くなるのに、それでも権力にこだわるなんて、オスカーも馬鹿な子だね……」
オーベルはそう呟くと、厚く重いカーテンを引いた。資料が積み上げられた執務机に向かうと、読みかけの書物に没頭した。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。