15.ナディの思い
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
赤い炎を剣にまとわせた第一王子の手によって、結界で抑え込んだケルベロスの三つ目の頭は落とされたのが数分前のことだ。
大きなケルベロスの身体が、塵となって黒い雲に向かって舞い上がっていくと、誰からも安堵の声が漏れた。
命が救われたことにホッとして、涙を流す者。緊張の糸が切れて、怪我の痛みがぶり返す者。見える態度は人それぞれだが、誰の瞳にも生き延びた喜びが浮かんでいる。
ただ一人、ソアセラナを除いては……。
ケルベロスが塵となって消えた場所で、膝をついて何かを探すソアセラナの口から失望の声が漏れる。
「……嘘でしょう? どうして核が残らないの……」
ケルベロスに食い殺されかけた時よりも、ソアセラナの顔には絶望が滲んでいた。
周りはケルベロスを倒せた安堵で裏山の空気は緩んでいるのに、ソアセラナの周りだけ、なぜか物騒な空気が漂っている。
地面に両手両膝をついてうなだれるソアセラナに、同じく四つ足で歩くエルが擦り寄った。
「あぁ、エル。助けてくれて、ありがとう」
エルが来てくれなければ、ソアセラナは死んでいた。ソアセラナだけではない。ここにいる全員が無事ではなかった。
疲れ切った顔のグレイソンが、ソアセラナに抱き締められているエルの頭を撫で「助かったよ」と感謝するも、エルは頭を振ってグレイソンの手から逃れる。ソアセラナ意外には誰にも懐かず、触られるのも嫌がるのだ。こんないつも通りの光景がもう一度見れるなんて、十分前には考えられなかった。
そのいつも通りのエルに、グレイソンは苦笑いだ。
「これだけの魔獣だから大きな核のはずなのに、見当たらないなんてあり得ない……。ということは、術者は核に何か細工をしたんだ」
核を持たない魔獣などいないのだから、死んで核が残らないなんて前代未聞だ。グレイソンの言う通りで、地上に召喚した術者が核に何らかの使役と契約魔法をかけていたのだろう。
「……このケルベロスの核なら相当魔力があったはずなのに……。」
あのケルベロスの魔石があれば、魔道具が何十個作れただろうか?
そんな悔しさと共に、何とも言えない不気味な気持ちがソアセラナに湧き上がってきた。
(これだけ高度な魔法をかけて魔獣を召還するなんて、悪戯な訳がない。術者はの望みは一体何だったのだろう? 第一王子の命? それにしては大掛かり過ぎるし、目立ちすぎる気も……。とにかく、危険で優秀過ぎる術者が存在して、何かしようと企んでいるんだ)
裏山の四分の一がハゲ山と化し、プスプスと黒い煙が空に上がっている。このまま放っておけば山火事になりかねない。
だが、立ち上がって後始末をできる体力と気力が残っている者はいない。教師達だって目の前に広がる惨状を前に、「どうしたものか?」と頭を悩ませていた。
すると校舎の方から蹄の音と、騒がしい声が近づいてきた。
上下黒の軍服に金色のボタンの彼等は、黒鷲隊と呼ばれ、第二騎士団の中でも精鋭だ。
黒鷲隊は地上に現れた魔獣の討伐や、ダンジョンを健全な状態に保つのが仕事だ。要は騎士団における、対魔獣部隊だ。
王城と学院は離れているので、時間がかかるのは分かっていたし仕方がない。
それに通常であれば地上に出た魔獣は弱り、第一王子とグレイソンがいればなんてことはなかったはずだ。
彼等の気が緩んだいた訳ではないのだが、自分の死を目の前に感じた者達が「遅いんだよっ!」と恨みがましい目で見てしまうのも仕方がない。
裏山の惨状と生徒達の恨みがましい視線に、騎士団員達も通常とは異なる空気を感じ取って、表情が引き締まる。
教師と第一王子が状況の説明をしていると、騎士団員の顔がより険しくなっていく。
「地上に出て一時間近く経っても毒に侵されない、か……。そんな話、聞いたことがねぇなぁ」
近衛騎士が所属する第一騎士団とは異なり、第二騎士団は能力が高い怖いもの知らずが配属されるため自然と柄も悪くなる。
頬に大きな傷があり伯爵らしい口調を持ち合わせていない第二騎士団長が、恐ろしいほどに顔を顰めた。彼の周りに集まった部下も、皆一様に強面を歪ませて考え込む。魔獣のプロから見ても、信じられない状況だったということだ。
誰がどう見ても人の悪意しか感じられないこの事件を調べるため、黒鷲隊も裏山中を駆け回って手掛かりを探し回っている。
傷の重い者が治療院に搬送された頃、裏山の逆側で地上と地底の間に大きな歪が発見された。
おそらくその歪から何らかの方法で、地底の空気を核に送っていたのだろうか? 方法は分からないが、ケルベロスは弱ることなく自由自在に動けたことは確かだ。
騎士団も躍起になって歪を探ろうとしたが、詳しい捜索はまた後日となった。ずっと空を覆っていた真っ黒な雲から、大粒の雨が槍のごとく降ってきてしまったからだ。
動ける者は雨宿りのため、教室に集められた。
いつも間にかガラスの破片は片付けられ、赤い薔薇が見当たらない以外は元通りになった教室。
一気に当たり前の日常に引き戻されてしまい、さっきまでの興奮が消え疲労が広がってくる。ケルベロスと戦っていたことが夢だったのでは? そんな空気が教室には漂っていた。
この安心しきった空気が間違いだと、さっきまでの悪夢が現実だとソアセラナに思い出せたのはナディエールだ。
エルを抱きかかえたソアセラナの肩を、ナディエールが掴んだ。怒りと悲しみを湛えた赤い瞳を前に、ソアセラナもエルもびくりと肩を震わせた。
固く閉じられた唇はわなわなと震え、怒りと一緒に歯が噛みしめられているのが分かる。
「ラナの言う通りで癒しの力が強いデリシアさんが生き残れば、わたくし達の生存率は上がるわ。一瞬の判断で生死が決まる状況下で、あの判断が下せたラナは正しいのかもしれない」
そう言ったナディエールの表情は、ソアセラナが正しいなどと微塵も思っていない。
「でももう、二度としないで! ラナの命を犠牲にして助かっても、わたくしは苦しい! 手負いとなり獰猛化したケルベロスの前に立つなんて、正気の沙汰とは思えない。何のためらいもなく、あっさりと自分の命を捨てるのはどうかと思うわ!」
ナディエールの剣幕に圧倒されてポカンとしていると、今度はグレイソンが珍しく真剣な表情で追い打ちをかけてくる。
「ナディの言う通りだ。昔からラナは自分を犠牲にすることを厭わな過ぎる。」
(えっ? そう、なのだろうか? ロードレーヌ家から出てからは、自分のために生きてきた。自分を犠牲になんてしていないはず……)
「ラナが死んで残された人のこと、考えたことある?」
(残される人? 私がこのタイミングで死ぬと、兄の出世に影響があるってこと? そんなことは、もう気にしないよ?)
「ナディや俺が、ラナの死からすぐに立ち直れる程度の薄っぺらい気持ちで一緒にいたと思う? 分からないなら、逆のことをされたらどう思うか考えてみなよ?」
(……私を守るために二人が死んだら? 「何か別の方法はなかったのか?」「どうして私が代わらなかったか?」そう思って一生後悔する……!)
「村のみんなは? みんなが待っているのは魔道具じゃないよ? ラナの帰りを待っているんだよ? 自分達のために魔法を学びに行ったラナが死んだら、どう思う? きっと自分達を責めるよね?」
(その通りだ。あの明るい村から笑顔を奪うことになる……)
「ラナなら魔力の無さを克服できるって、ずっと協力してくれていたドゥレイルさんは? ドゥレイルさんにとって、ラナは娘みたいなものだろ? ラナにとっても家族だろ?」
(そうだよ。私に居場所を作ってくれたのも、目標を作ってくれたのも、全部ドゥレイルさんだ。まだ、何も恩返しできてない……。六年前の私じゃないんだ。私の死を利用せずに、悲しんでくれる人がいる。与えてもらった幸せを返せてないんだから、簡単に死んでる場合じゃない。全員が生き残る別の方法を考えるべきだったんだ)
「二人の言う通り……。私には大事な友達と家族がいるのに。心配かけて、ごめんなさい」
ソアセラナとナディエールがギュッと抱き合い、それをグレイソンが優しい目で見守っている。
そんな三人の穏やかな光景を、どこから現れたのか廊下からオスカーが見ていた。
その背後から歩み寄ってきた第一王子が、オスカーに厳しい声をかける。
「午後から連絡もなく急にいなくなって、お前は何処に居たんだ? 知っていると思うが、大変だったぞ?」
「申し訳ございません。急に父親から呼び出されまして……」
オスカーの感情のこもらない声に、第一王子は「そうか……」と無表情で答えた。そして教室の中にいるソアセラナを見て、「まぁ、みんな助かったから、良かったけどな」と顔色一つ変えず呟いた。
やっと寮の部屋に戻って一息ついていると、ナディエールが机の上を気にしているのが見えた。
机の上に置かれているのは、ソアセラナの杖だ。ソアセラナの杖に埋め込まれた青い魔石を、ナディエールはまじまじと見ていた。
「どうしたの? 私の杖なんて、もう珍しくも無いでしょう?」
「いや、あんな酷い状況の中でラナが『魔石、魔石』って悲壮感漂う顔してたのが、気になって……」
地上の空気に全く弱らないケルベロスを倒し、誰もが満身創痍の状態の中で魔石がないと嘆くのは、確かに有り得ない行動だ。
ソアセラナも自分が魔石に執着している自覚はある。
「魔道具に魔石を埋め込むと、魔石にある魔力を動力として魔法を発動できるんだ。だから魔力のない者でも、魔道具が使えるようになる。魔石は私が作る魔道具に必須アイテムだから、ついつい気になっちゃうんだよね……」
しかし魔石は魔獣が死んだ時に残る核だから、基本的には地底にしかない。比較的安全なダンジョンの上層部にも魔石は落ちている。だが、上層部に住む魔獣は低級なので、魔石に残る魔力量が少ない。
魔力の少ない魔石を動力にすると、すぐに魔力が尽きて魔道具が使えなくなってしまう。そうなると下層部や深層部にある魔石が必要となるが、取りに行くのは命懸けどころか死ぬ可能性の方が高い。だが、命を落としてまで必要な魔道具はない……。
命を賭けずに何とかならないかと研究した結果、上層部で取れる魔石でも魔道具を長持ちさせられる方法をソアセラナは見つけた。
冒険者たちから「クズ石」と呼ばれる魔石に、人の力で魔力を込められることを発見したのだ。
ソアセラナが魔力を手に入れれば、自分の力で魔石に力を込められる。その魔石があれば、村で魔道具を普及できる。ソアセラナが魔力が欲しい理由の一つはこのためだ。
「それにしても、第二王子はクズ以下だったわね。もう何て表現すればいいのか分からないわ……」
「あれで王族なんだから、この国の行く末は暗いね……」
そんなクズ以下の以下と婚約しているナディエールは、頭が痛いどころの話ではない……。
「デリシアさんも、言っていることは正しいのかもしれないけど、時と場所を考えて欲しかったね」
「私も前世の記憶があるから、言いたいことは分からなくない。でも、ねぇ。あの死にそうな状況でする話じゃなかった。それじゃなくても、相手を貶めて自分の価値観を押し付けて優位に立とうという態度は、見ていて気分が悪いわ!」
確かに今日は普通の精神状態ではなかったけど、それにしても今日のデリシアは酷かった。
「あれじゃ仲良くしていたクラスメイトも離れていくかもね……」
「デリシアはそんなこと気にしないわよ! それに、ラナはあれだけ非難されたんだから、心配してやる必要なんてないわ」
「私とデリシアさん、接点ないんだけどね。とにかく私を悪者にしたがるよね? 実は接点があるのかな? 何か恨まれるようなことしてたり?」
思い起こそうにも、子供の頃は軟禁生活で六年前からは隣国に放り出されていた。どう考えても、接点がある訳がない……。
「あれだけの能力があっても、立場が平民だと、自分を認めさせたい気持ちが強くなるのは分かる。でも、ね。傍から見ていると、ラナを貶めることで自分を守ろうとしているようにも見えるのよね? ラナに対して劣等感を感じている? 気がする……」
「私、魔力ないのに……?」
魔力が全てで、人の価値だって魔力で決まるこの国において、魔力のないソアセラナに劣等感を感じる者がいる訳がない。ましてやデリシアは大きな魔力と、癒しの力というレアな能力を持っているのだ……。
二人は顔を見合わせたが、やっぱり今日は疲れている。考えるよりも、ゆっくりと休むことを選択した。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。




