10.脱出イベント?
本日一話目の投稿です。
よろしくお願いします。
のんびりと昼休みを終えると、午後の授業の始まりは少し気怠い気がする。世の中の大半の人がそうだと思うけど、ソアセラナ達ほど気怠さを感じている生徒はいないかもしれない。
何と言っても誰よりも気怠い声で喋っているのは、まさかとは思うが教師だ。それも、ここが教室でなければ、彼が教師だと誰も思わない見た目と態度……。
覇気を感じないため息みたいな声で「四人で一つのチームを組んでください……」と言ったのは、攻略対象であるオーベルだ。
ぼさぼさでもじゃもじゃの金髪が顔を半分覆った、細長い棒切れが薄汚れた白衣を着ている。
オーベルの授業は魔法学の応用で、四人で協力して密室の中か脱出するのが今日の課題だ。チーム内のバランスが取れていないと難しい課題のため、生徒の魔力の大きさや特性を加味して教師がチーム分けをするのが普通だ。
だが、自分の研究以外は全く興味のないオーベルは、そんな親切なことはしない。学院で教鞭を執ること自体が、彼にとっては不本意なのだ。毎回休講にしたいところだが、他の教師陣にせっつかれて仕方なく授業をしている。そんな状況なので、授業に出てきただけで本人の中では一仕事終わっている。
ちなみにゲーム内で魔力が上がると、好感度の高い攻略対象とこのイベントが発生するらしい。唯一デリシアとの好感度の高いのは第二王子だが、ナディエール曰く「今の第二王子にこの脱出は無理だからイベントではないわね」とのことだ。
第二王子のクズっぷりも酷いが、見た目はちゃんと王子様だ。グレイソンとオスカーだって、いわゆるイケメンだし清潔感がある。だが、オーベルは……。
ゲームと容姿までもが異なっているのは、オーベルだけだ。
ゲーム通りなのは、金髪にブルーグレーの瞳ということだけ。その金髪も伸び放題で顔の半分を覆って、色気溢れる垂れ目など全く見えない。伸び放題でもじゃもじゃ髪は、本当はストレートらしい。きっと起きてから一度もとかしていどころか、最期に櫛を使ったのがいつかなんて分からないに決まってる。
ナディエールから聞いていた話とあまりにも違い、毎回確認するのが面白くてソアセラナの日課になりつつある。
「細身だけど鍛えられた身体って言ってたよね?」
「ゲームでは間違いなくそうだったのよ。今は骨と皮だけど……」
見た目も中身も一番違うのは間違いなくオーベルだ! ナディエールもそう断言している。
シナリオでは王家に反発して大量殺戮兵器の研究をしているはずだったオーベルが今心奪われているのは、大賢者にして偉大な魔女と呼ばれたヘカティアの研究だ。ヘカティア以外には一切興味を示さない毎日を送っている。
そんな男なのに、どうしたらデリシアに興味を持ってもらえる?
重大な問題に二人が頭を悩ませている間に、他の生徒達は四人一組になっていた。二人の他に残っているのは、本当に嫌そうな顔をした侯爵家次男のクールドと困って顔を上げられない伯爵家長女のシンディだけだ。
最悪の組み合わせだ……。
以前第一王子に叱責された空気の読めない男がクールドなのだ。そんな状態だからソアセラナへの敵意は、あれから増し続けている。
シンディは成績も悪くないし魔力の量も平均より多いのだが、おっとりしすぎている。のんびりしすぎて出遅れたのだろう。
もうこの四人しか残っていないのに、クールドとシンディは諦めがつかないのかまだ周りを見回している。もちろん他のクラスメイト達は、自分可愛さに目も合わせない。
まだ一言も喋らずチームとしても成立していない状況なのに、オーベルは「始めるぞ」の合図もなく勝手にスタートした。
二メートル四方の立方体の中に四人は閉じ込められている。窓もなく白い壁しかない中に、鍵穴のついた木の扉が一つだけついている。
可能性を一つずつ潰していこうと、ソアセラナは念のためドアノブを捻るが当然鍵がかかっていて開かない。
それを見ていたクールドが「馬鹿か! 応用授業だぞ? そんなに簡単な訳がないだろう」と、この前の仕返しと言わんばかりに罵倒してきた。
(デリシアさんじゃないけど、私じゃなくて第一王子に言って欲しい!)
「壁と扉の間の隙間も魔法で埋められていて、風も通らない密閉状態ね。壁の強度が高くて壊せそうもないわ」
次にやろうと思っていたことをナディエールが終えてくれたので、次の確認に移れる。
「壁紙はなぜか燃えやすい素材で密閉状態だから、火は使わない方が賢明ね。鍵穴から解錠できないかしら?」
「杖がないと魔法の使えないお前じゃ無理だろうな?」
ソアセラナに無視をされて腹を立てているクールドはしつこい。苛立ちを隠さずに舌打ちをしたナディエールをソアセラナが何とか止める。
こんな密室にろくに説明もなく放り込まれれば、誰だって苛立って通常より沸点が低くなってしまう。
おかげで不穏な空気で満たされた密室から、大事な酸素が抜けていきそうだ……。
「空気さえも通らない完全な密閉状態だから、酸素がなくなるのも時間の問題だわ。脱出することに集中しましょう」
ソアセラナはそう言って、怒れるナディエールを宥めた。
(一人は頭に血の昇った役立たずだから、三人で何とかしないと)
シンディが丸顔を引き締めて「植物魔法が得意なので、鍵穴の解錠を試してみます」と言うと、緑色の細い蔦が鍵穴の中に蛇のように入っていく。
植物を使って鍵の構造を確認したシンディが、残念そうに首を振った。
「この鍵穴は見せかけです。ノブも強度が強すぎて破壊できませんし、扉の木を壊死させようとしたのですが無理でした」
シンディの報告に納得できないのかクロードは、扉の前に立つシンディを押しのけた。しかし、クロードが確認した結果もシンディと同じだ。シンディの方が成績も魔力も上なのだから当然の結果だが、クロードの苛立ちは募る。
「畜生! 魔力なしなんかと組まされたおかげで、成績に響く! まともな奴がもう一人いれば余裕で何とかなったものを!」
クロードはナディエールとシンディの冷たい視線にも気付けないほど激昂し始めた。
呆れた顔でクロードを見る二人の側にシンディがそっと寄って来て、「噂によると、閉所恐怖症らしいですよ? 元々嫌われていますけど、それもあって誰も組んでくれなかったんです」と小声で教えてくれた。
いくら小声と言っても、二メートル四方の狭い箱の中だ。クロードにはしっかりと聞こえたらしい。
「うるさい! 俺は閉所恐怖症なんかじゃない! お前等が役に立たな過ぎて、腹が立っているだけだ!」
(ヒステリー、みっともない)
三人は同じように憐れみと呆れた顔でクロードを見ていた。それが余計にクロードの恐怖と背中合わせの怒りに火をつけた。
「あぁぁぁぁぁぁぁ! こんな場所から、この俺が出られない訳がない! 全て焼き払ってやる!」
言うより先に、壁に火を放った。
壁は火を吸収したが、ブスブスと音がして室内に煙が充満していく。
「ちょっと、ラナが火を使うなって言った意味が分からなかったの? この状況で火を使ったら一酸化炭素中毒で死ぬわよ!」
ナディエールが怒鳴る間にも、灰色の煙は部屋に充満していく。
「オーベル先生は、ちゃんを中の状況を把握していますよね? このまま放置なんてことないですよね?」
シンディの質問に誰も答えられない。
相手はあのオーベルだ。ヘカティア以外の全てに無気力、生徒の生死なんて気にするだろうか? むしろ事件を起こしてクビになって、ヘカティアの研究に専念したいと思っていないだろうか?
四人の胸が不安で覆われていくように、室内は目も開けていられないほど煙が充満している。その上、とにかく暑い。絶え間なく流れる汗で目が痛いのか、煙で目が痛いのか? 煙は炎ではないのに燃えているように熱くて喉がヒリヒリする。
口を開ければ熱い煙を吸い込むことになるので、床に這いつくばった四人は黙り込む。ブスブスと燻ぶる音がする部屋の煙の色は、見る間に黒へと濃さを増す。だが、部屋はびくともせず、助けに来る気配も感じられない。
(これはまずい状況だ。目も口も開けられない。脱出できない限り、このままでは死ぬ。オーベル先生、嘘だよね? ちょっと悪戯してるだけだよね? 助けてくれるよね?)
さっきまで頭痛を訴えていたクールドが意識障害を起こしているのか、ナディエールがひっぱたいて覚醒させている。
シンディだって目の焦点が合わなくなってきていて、いつ意識を失ってもおかしくない状態だ。もちろんソアセラナもナディエールも頭が痛い。
全員で意識障害を起こしたら、待っているのは死のみだ。
まさに地獄絵図であるこの状態で助けが来ないのは、助ける気がないということだ。
ソアセラナがブツブツと何かを口にしていると、青い魔石が光り出した。すると煙が充満した部屋が空色に覆われた。その瞬間に煙は消え、煙臭さを感じない空気が入ってきた。
ソアセラナが何事もなかったように扉を開けると、そこは見慣れた教室だった。
扉を開けたソアセラナを押しのけて、クールドが転げ出るように部屋から飛び出した。その後ろからシンディが「嫌だ、全然紳士的じゃない。自分のせいなのに」と害虫でも見るような視線をクールドに向けていた。
クールドの後に部屋から出てきたナディエールは、真っ赤な炎のような怒りをまとっている。煤のついた顔を拭いもせず、真っ赤な目を怒らせて大股でオーベルの下に向かう。
「どういうことですか? 死にかけましたよ? ソラセラナさんが魔法を発動させなければ、間違いなく死んでました! 先生は一体何をしていたのですか!」
ソアセラナ達が無理矢理出てきたことで、オーベルの密室の魔法は解けたのだろう。教室内には、呆然とした生徒達が立っていた。
他の生徒達や這う這うの体で逃げ出したクールドでさえ、ナディエールの怒りに震え上がっている。
それなのに真正面から怒りを浴びている、オーベルはポカンとしたまま動かない。
動けないのは、ナディエールの怒りに圧されているのではない。オーベルはナディエールの声どころか存在にも気付いていない様子だ。
その態度に余計に怒りが爆発したナディエールが、胸倉を掴んで何度も揺り「聞いているのですか?」と怒鳴っているのにオーベルの焦点は相変わらず定まらない。
最後に部屋から出て来たソアセラナは、シンディに「どう? 大丈夫?」と声をかける。さっきまでは意識障害を起こしかけていたが、今は顔色は戻っているし大丈夫そうだ。
「ソアセラナ様のお陰です。一瞬意識が飛んで、もう駄目だと思いました……。一体どんな魔法を使ったのですか?」
「あー……、空間無効の魔法?」
ガッターンと椅子が激しく倒れる音がした。
ソアセラナの言葉に反応したのは、シンディではなく、オーベルだ。
さっきまで焦点の合わない目をしていたのに、今はその目がギラギラと輝いている。
勢いよく立ち上がったオーベルはナディエールを振り払い、魔法を使ったのではと疑うスピードでシンディとソアセラナの間に割り込んできた。それだけでも相当距離が近いのに、そのままソアセラナの肩を掴む。そのまま額がくっつくのでは? という距離まで顔を寄せて来た。
いつもは髪に隠れて見えないブルーグレーの瞳が、狂気の光を放って髪の間から覗いている。呼吸も真夏の犬ように荒くて、もはや変態にしか見えない。
「空間無効の魔法? どういうことだ? それはヘカティア様の魔法だろう?」
噛み付かんばかりのオーベルに圧倒されたソアセラナは、成す術なく呆然と見上げているだけだ。狂気を帯びた上に興奮状態の人間に下手なことをすれば、自分の命が危ないと全身が叫んでいる。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け! こんな正気を失った人相手に、叫んだり逃げたりしたら駄目だ。下手すれば、クラスメイトを巻き込むことになる。この変態をどうすれば誤魔化せる?)
困り切ったソアセラナの後ろから、長く太い腕が伸びてきた。その腕はまず、爪が食い込むほどの力で肩を掴むオーベルの手をむしり取ってくれた。そしてもう一本の手が、ソアセラナの腰を掴んで後ろに引いてくれる。
目尻が裂けんばかりに見開いたブルーグレーの目から、やっと解放された。その上、安心できる大きな身体に包まれたソアセラナはやっと一息付けた。
(……ん? 大きな身体? 誰? グレイではないよね? もしかして……)
恐る恐る背後を見上げると、予想通り第一王子の腕の中にいた。この騒ぎにも何の興味もなさそうな、安定の無表情だ。だが、彼の右の眉がピクリと上がると、「あっ、やっぱり怒ってるんだ」とクラス全員が理解した。
「オーベル先生、授業中に四人が死にかけたなんて監督不行き届きにも程がある。教師を辞めたいのは知っていますが、それに生徒を巻き込まないで欲しい」
静かに怒りを含んだ声が、教室内の温度を急激に下げていく。
(やっぱり! やっぱり、クビになるために? なんて危険極まりない奴なの? ナディ、ごめん。こいつだけは、できれば関わり合いたくない!)
事実上のクビ宣告だ。小躍りして受け入れると思われたが、オーベルは頭がもげるぐらい首を横に振る。
クビの喜びを表現しているのか? クビを拒否しているのか? 分からないがとにかく狂ったとしか思えない行動に、生徒達の恐怖心が煽られる。
「し、謝罪する! 心を入れ替える! これからは授業に心血を注ぎ、私の全てをかけて臨む! 例えそれで、指が千切れようが、首がもげようが文句は言わない!」
今までのオーベルの態度からは、信じられない言葉が飛び出した。当然のように教室内が、白けた空気が覆い尽くされる。
授業にも生徒にも何の思い入れがなかったオーベルの発言は、一体何の思惑があるのかと気味が悪い。
教室中の誰もが冷たい視線を送っているのに、オーベルは全く気付くことなく狂った瞳をソアセラナただ一人に向けている。
あまりの狂気に震えてしまいそうなソアセラナを、第一王子は背中に隠してくれた。
「これだけのことをしたのだ。その言葉など信じることはできない!」
教室内が第一王子の言葉にホッとしてしまう。誰もが二度と学院に戻って来ないことを、心から祈っているからだ。
バタバタと慌てた足音が近づいてくる。事件を知った教師達が、やっと駆けつけた。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。