1.運命の出会い
よろしくお願いします。
ゾストール学院のシンボルともいえる、大きなスーラの木の下で一組の男女が運命の出会いを果たした。
「美しいオレンジ色の髪にかかるスーラの花が、まるでティアラみたいだ。これは、運命の出会いだ!」
この言葉を耳にした瞬間、ソアセラナの常識が、世界が、日常が、一変した。
ゾストール学院の正門から正面玄関まで続くアプローチに作られた中庭は、春らしく色鮮やかな花が咲き誇っている。
今日は入学式ということもあって、アプローチに沿って色とりどりのガーベラの鉢植えが置かれていて、いつも以上に華やいでいる。
その華やかな中庭で一番の存在感を放っているのが、国の木であるスーラの木だ。空に届きそうなほど高く大きな木に、小さく可憐な花が咲いている。濃い緑の葉と三センチほどの小さな白い花が、晴れ渡った青い空によく映える。
『雲一つない澄んだ青空に祝福されるように、ヒロインとヒーローは出会うのよ!』
その言葉の通り、国の木であるスーラの木の下に金髪の青年が現れた。……ヒーローだ。
するとフワフワのオレンジ色の髪を揺らした女生徒が、正門から走って来るではないか。……ヒロインだ。
紺色の襟とカフスのついた白いワンピースに濃紺のボレロというゾストール学院の制服が初々しいヒロインは、新緑色の大きな丸い瞳をキラキラと輝かせて前に進む。ピンク色の小さな唇は、入学の喜びでほころんでいた。
笑顔と春が似合う色をした愛らしいヒロインは、突然スーラの木の下で何もないのに何かにつまづいた。
転びかけたヒロインを、金髪のヒーローが抱きかかえる。しかし、ヒロインの勢いが強かったようで、二人はもつれるようにスーラの木にぶつかってしまった。
ヒーローに抱きかかえられているヒロインのオレンジ色の髪に、スーラの白い小さな花が円を描くようにフワフワと舞い落ちた。
次に発せられるヒーローの声を聞き逃すまいと、生け垣に隠れる二人は耳を澄ました。
ヒーローが言葉を発すると同時に、二人の目がカッと見開かれる。
「……美しいオレンジ色の髪にかかるスーラの花が、まるでティアラみたいだ。これは、運命の出会いだ!」
その台詞が恥ずかしく感じられないほどに、ヒーローのグレーの瞳は熱い初恋を燃え滾らせている。オレンジ色の髪のヒロインは、頬を赤らめ満更でもない顔をヒーローに向けていた。
ピンク色の恋の予感が色めいているスーラの木と向かい合わせに生垣がある。
その生垣の裏では、二人の女生徒が相反する表情を浮かべていた。赤髪の方が「ほらね!」とでも言いたそうなどや顔を、シルバーブロンドは顔面蒼白で驚愕の表情だ。
「……嘘でしょ? 信じられない! 一言一句違わず本当に言ったわ……」
スーラの木の下で見つめ合う二人を目の前に、シルバーブロンドが力なく呟いた……。
「新入生代表、ソアセラナ・ロードレーヌ」
「……!」
予告されていた通りの出会いのシーンが、ソアセラナの頭の中で何度も繰り返されている。言葉だけでなく背景も全て予告通りだった。
そんなことがあるのか? ソアセラナの頭は、現実を受け入れられず真っ白だ。
そんな状態だから、自分の名前を呼ばれて、今が入学式だということにやっと気がついた。
(生垣で呆然としてたら、生徒会の人に引きずるように連れてこられたはず。あまり覚えてないけど、何か説明をされた気がする。今から、新入生代表の挨拶しないといけないのに。動揺が激しくて、頭が全然回らない!)
ソアセラナは不安を感じながらも、ステージの上に立った。大勢の生徒達を前に緊張したおかげで、目の前の紙を読み上げるのに集中できたのは、不幸中の幸いだろう。
何とか無事に挨拶を終え、ホッとした気持ちで階段を降りていると急に足元に何かが絡まり引っ張り上げられた。
(誰かが魔法で!)
そう思った時には遅く、ソアセラナの視界は九十度傾いている。世界が横向きになったまま、重力通り落ちていく。
生徒会の人の声がまた聞こえ、懐かしい匂いに包まれた気がする。誰かが抱き上げてくれたのが分かり、降りなくちゃと思うけど心地がいい。
その人はずっと「大丈夫か?」とか「もう大丈夫だ」とか言っているが、意識が朦朧としているソアセラナは返事ができない。
色々と驚くことがあったせいか、心地良さのせいか、ソアセラナはそのまま完全に意識を手放した。
薄ら暗い中、何かから逃れようとソアセラナは走っている。
これは夢だ。夢だと分かっていても、怖いものは怖い。
黒い大きな大きな犬にソアセラナは追いかけられていた。犬と言ってもただの犬ではない。魔獣だ。首が三つもあるケルベロスだ。魔力のないソアセラナなど、一噛みであの世逝きだ。
戦いたいけど、ソアセラナには魔力がない。戦いようがないから、逃げるしかない。でも、魔力がないから、走るしかない。
スペンサイド国がこうやって魔獣に追いかけられるのが日常的な国なのか? 否だ。
この世界は二つの世に分かれている。地上と地底だ。
地上には人間が住んでいて、地底には魔獣が住んでいる。地上の空気は魔獣にとっては毒と変わらず、魔獣が地上に現れても暫くすれば死んでしまう。逆に地底の空気は人間にとって毒で、何の装備もない人間がダンジョンに潜ればあっという間に死んでしまう。
こう上手い具合に棲み分けができたのは、もちろん偶然ではない。
今から何百年も前、この世界では人間も魔獣もみんな一緒に地上で暮らしていた。
人間同士だって争い事は絶えないのだから、種族が異なればなおさらだ。そして種族の力関係でいけば、魔獣の方が圧倒的に強い。
しかし、人間には大賢者にして大魔法使いである魔女ヘカティアがいた。ヘカティアが全世界に結界を張って人間を守ってくれていたのだ。そして、全人類に対して、平等に魔法を使える加護を与えた。それなのに、平等に満足できない人間は、他人の能力を羨み欲をかいて争いを始めた……。
その浅ましさに呆れたヘカティアに、人間は見捨てられたのだ。ただ、ヘカティアも人間が魔獣に食い荒らされる未来には胸を痛めた。だから、魔獣の王と相談して、地上と地底に棲み分けをしたのだ。
魔獣の王は地底にいても、人間などいつでも食い荒らせると高を括っていた。それに気づいていたヘカティアが、お互いにとって毒となる空気の結界を張ったのだ。魔獣の王が気づいた時には遅く、どうすることもできなかった。
魔獣の王は大層悔しがったそうだが、地底の暮らしは魔獣に合っていた。だから、魔獣は王を中心に大きな争いもなく暮らしている。
一方人間達と言えば、ヘカティアに感謝することもなく、相変わらず戦争を続け世界は荒れた。「魔法を欲する者」「魔法とは別の力を欲する者」「平和を欲する者」様々な意見に人々は割れた。それに伴って、国も人も割れた。
スペンサイド国は、「魔法を欲する者」によって作られた国だ。
その「魔法を欲する者」によって作られた国の中でも、スペンサイド国は魔法に対する執着心が特に強く排他的だ。
スペンサイド国では魔力を持つ者しか国民と認めない。水を出すのも、火をつけるのも、日常生活の全ては魔道具に頼っている。
それだけ魔道具が発達しているのに、魔法や魔道具は国の秘密だ。魔法や魔道具を国外に持ち出すのは、スペンサイド国では重罪となる。
ソアセラナは、そんなスペンサイド国が大嫌いだ。
「来ないで!」
そう叫んだソアセラナの目の前に迫ってきたのは、ケルベロスではなかった。ナディエールとグレイソンと六年振りに見た第一王子と兄のオスカーだ。
ナディエールの「良かった目が覚めて」というホッとした声の後に襲いかかってきたのは、第一王子の冷たい言葉だ。
「入学式が始まる前の説明の時からずっと上の空だったな。だからあの程度の陳腐ないたずらが避けられないんだ」
苛立ったように金色の短髪を握り締めた第一王子に睨まれると、六年前にぶつけられた心ない言葉が思い起こされソアセラナの心を抉る。
(あの程度の陳腐ないたずらだって、咄嗟の反応が遅い私には避けられない……。第一王子にだけは言われたくない言葉だったな)
六年前に初めて会った時も端正で美しい顔だったが、見ない間に随分と厳しく精悍になった。身体も倍になったと感じるくらい、がっしりと鍛えられ大きくなっている。そして何より、表情が乏しくなっている。
(入学式前に説明をしてくれた生徒会の人は、第一王子の声と同じだ。それさえも分からないのだから、本当にぼうっとしていたんだ。怒られても仕方がないか……)
「……申しわ……」
ソアセラナが謝罪する前に、ナディエールが第一王子に食ってかかる。
「ソアセラナは被害者です! 殿下が注意すべき相手は、卑劣な真似をした者ではないのですか!」
「もちろん、加害者にはそれ相応の罰を与える……」
第一王子の歯切れの悪さは、ナディエールを苛立たせる。
被害者であるソアセラナを労わらず、それどころか謝罪させようとするなんて何事だ! ナディエールの怒りは収まらない。
「それ相応の罰が、あの程度の注意ですか……。今後もソアセラナへの嫌がらせは止められないでしょうね!」
ナディエールの嫌味に答えたのはオスカーだ。
自分より身分が上の公爵令嬢であり第二王子の婚約者であるナディエールに気を遣っているようで、言っていることはただの嫌味だ。
「お言葉ですが、通常であれば簡単な悪戯で済む話ですよ? ソアセラナに魔力がないから、反応が遅れただけのこと。己の力のなさが原因なのに、退学などの重い罰を与えれば他の学生からの反発が大きくなります」
久し振りに聞いた兄の声は、六年前にソアセラナを絶望の底に落とした声より大人びていた。そして今も、兄なのに平然と妹を貶める。
かつてはスペンサイド国で最も大きな魔力を有していたソアセラナは、六年前に魔力を失った。魔力を失えば魔法は使えなくなる。
だが、ソアセラナは魔法を諦めなかった。魔力が無くても魔法が使える方法がないかを必死に研究して、杖を使って魔法を使えるようになった。
ただ杖という媒体を用いて魔法を使用する分、人より反応が遅くなってしまう。
オスカーは「魔力を持つ普通の者なら難なく躱せたものを、ソアセラナに魔力がないために大事になっただけだ」と言いたいのだ。
もっと言えば、魔力のない最底辺の人間のために貴族を罰するなんて、そんな第一王子の評判が下がる真似ができるかと言いたいのだ。
「簡単な悪戯? 公衆の面前で階段から転げ落とすことが? 第一王子の評判優先で、実の兄とは思えない発言だね。でもさ、その変わり身の早さのせいで、妹が嫌がらせされたんじゃないの? ちょっとは反省すれば?」
グレイソンの丸い琥珀色の瞳が愛らしい顔からは想像できないような毒を吐いた。
ソアセラナが慌てて止めようとしているのが、グレイソンの視界に入っているはずだ。だが丸い瞳が細められ、次は第一王子に挑戦的な視線を向けている。
「そうですよねぇ、第一王子殿下?」
第一王子は挑発に乗ることなく、冷静な態度で「下らない」と一言で片づけた。
それは救護室がピシリと凍り付く冷たい声だったのに、グレイソンは全く気にせず「下らなくないよね? ラナの平穏な学生生活がかかっているのに。だって、ラナは誰かに恨まれる覚えがある?」と聞いてくる。
そう聞かれて思わずオスカーを見てしまいそうになるのを、ソアセラナは何とか堪えた。
「恨まれるほど関わっている人なんて、この国にはいないわ! (家族以外は)」
「そうだよね? ラナが恨むべき人間なら思いつくけど、ラナは感謝をされても恨まれるようなことしてないよね? でもさ、ロードレーヌ家は第二王子派から第一王子派に寝返ったからね。それを良く思わない輩が存在するんだ」
(って、グレイ。そう言いながら、思いっきりナディエール様を見てますけど? と思ったら、今度は兄を睨んでますね?)
公爵令嬢として鍛えられているだけあってナディエールも、グレイソンの挑発に乗ることなく冷静だ。
「確かにわたくしが第二王子殿下の婚約者であることは、間違いないわ。だからといって、慣例通りに第二王子派の令嬢とだけ付き合うつもりはないの。学院にいる間は、派閥なんて関係なく自由なはず。わたくしが友人を選ぶ自由もあるはずよね?」
そう言い切ったナディエールの意志の強い赤い瞳が、グレイソンだけではなく第一王子とオスカーをも見返した。
誰もが騙されてしまう愛らしい顔を持つグレイソンが、「ふーん、意外」と珍しく素の顔を向けている。
ナディエールの迫力で丁度会話が途切れた。今がチャンス! と、ソアセラナはこの居心地の悪い場所から逃げ出そうするも、ナディエールの言葉で上げかけた腰をベッドに戻すことになった。
「ソアセラナの友人として、オスカー様に一言物申したいわ。隣国からの引っ越しや入学手続きの全てを、家からの支援もなくソアセラナは一人でやっていました。ロードレーヌ家は、寮の手配さえもしていない。どういうことなのかしら?」
冷静なオスカーが舌打ちすると、「ロードレーヌ家はソアセラナの学院入学を認めていない!」と吐き捨てた。
(そうなんだよね。どうしても学院に行かないといけない理由ができたので、私は奨学金で入学した。六年前に縁の切れたロードレーヌ家が助けてくれるわけがない)
「魔力もないのに学院に入学すること自体がおかしいのだ! 今回の悪戯だって、魔力のない者が学院に入学したことへの見せしめに過ぎない! 魔力のない者が国に存在すること自体が、学園に対して、いや、スペンサイド国に対しての冒涜だからな!」
オスカーは怒りに燃える目を妹に向けている。気の強いナディエールだって言葉を失うほどの怒りだ、普通の令嬢であれば泣き出すだろう。だがソアセラナは、オスカーから視線を逸らさない。蜂蜜色の丸い瞳は、オスカーの怒りをいとも簡単に受け入れた。
スペンサイド国民は誰もが魔力を持っていて、誰もが自分は魔法使いだと誇りを持っている。そんな中に、杖なんて邪道な道具を使って魔法を使う魔力なしが入っていくのだ。それ相応の覚悟をもって臨んでいるに決まっている。
罵られるなんて息を吸うことと同じくらい当然のことだと言いきかせている。オスカーのような反応が返ってくることは、想定済みだ。
どんな国においても、人と違うことをする者は敬遠される。
ましてやスペンサイド国は閉じた世界にいる国だから、異端者を認めることはない。魔力を持たぬ者が魔法を使うなんて、あってはならないことで自分達の誇りを汚されたも同然なのだ。
それが分かっていたにも関わらず、ソアセラナは自分の目的のために学院に行くことを望んだ。
「ましてや、魔力もないのに魔法科だと? 今からでも淑女科に移れ!」
オスカーの怒りはそう簡単には収まらないようで、入学を認めていないはずなのに転科を命じている。
『魔力がないのに魔法科を選択するなんて』
そう嘲笑われるのは覚悟していたし、当然の反応だと思う。
だが、まさか「淑女科に行け」と言われるとは思っていなかった。それもロードレーヌ家の人間が、そんな愚かなことを言い出すとは……。
ソアセラナの腹の底に燻ぶっていた怒りに一気に火がついた。
「確かに私は魔力を失いました。だからといって、それが魔法を諦める理由にはならないと気づいたのです。失ったからこそ、魔法に対する情熱が誰よりもあります。この六年をかけて、魔力がなくても魔法を使える方法を考え抜いてきました。この学院で魔法以外に学びたいことはありません!」
ソアセラナの静かな怒りに、向かい合っているオスカーはもちろん第一王子も驚いている。
第一王子やオスカーが知っている六年前のソアセラナは、ずっと家族の後ろに隠れて怯えて自分の意見なんて口にすることができない子供だ。
だが、そのソアセラナはもういない。この六年でどん底まで突き落とされ、必死の思いで這い上がってきたのだ。
「魔力のない私は、この国ではゴミも同然です。そんな私が淑女科なんかに入って、何か得るものがありますか?」
魔力なしの子供が産まれるのを避けるため、スペンサイド国では魔力なしとの婚姻は忌避される。他国の魔力のない者と結婚するのであれば、国を出て行くのが当たり前の国なのだ。
淑女科は貴族の花嫁としてのスキルを学ぶ科だ。
魔力を失ったソアセラナが淑女になったとしても、嫁にもらってくれる者は貴族どころか平民の中にもいない。そんなソアセラナが淑女になるのは、全くもって意味のないことだ。
オスカーもソアセラナの言いたいことが分かったみたいで、流石に言葉に詰まった。だが、今度は見当違いなことで怒り出す。
「『なんか』とは、お前は殿下が作った淑女科を馬鹿にするのか!」
(誰が作ろうが、私が淑女科で学ぶ必要も意味もないのに、どうして分からない?)
「淑女科で学んだところで、ロードレーヌ家は私を持て余すだけですよね? それとも六年前に追い出された時点で、私はロードレーヌ家から抜けられているのでしょうか? 他人事だから、そんなことが言えるのですか?」
嫁ぎ先がないソアセラナが淑女科に入ったら、ロードレーヌ家はいい笑い物になる。嫁入りできるはずもないのに、淑女科で学ぶなんて滑稽以外のなにものでもないからだ。オスカーにもそれが分かったようで、急に失速して黙り込んだ。
やっとバカバカしいやり取りが終わり、ソアセラナはため息を隠すために横を向いて窓の外を眺めた。
そこからはスーラの木がよく見える。風に舞う白い花弁を見ていると、ナディエールとの出会いを思い出す。
二人の出会いも、薄紅色の小さな花弁が青い空に舞い上がっていた。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、読んでいただければ嬉しいです。