99、商業の街スピカ 〜魔導学校の始業式
転移屋さんは、おばさんの行き先に、僕も一緒に転移させた。僕の行き先は言わなくても覚えている人なのに、珍しい失敗だ。
「転移屋さん、僕は魔導学校に行きたいんですけど……」
「坊や、悪い。魔力切れでな……」
そういえば、転移屋さんの顔色が悪い。僕は、薬師の目を使ってみた。確かに魔力切れのようだけど、それだけではないようだ。
「じゃあ、これあげる」
おばさんと一緒にいた見知らぬ男の子が、転移屋さんに、エリクサーの小瓶を差し出した。結構、高価なはずだけど、親から持たされているのだろうか。十歳くらいに見える子だ。服装も農家のようなんだけどな。
「いや、坊ちゃん、そんな高価な物は、もらえないですよ」
「いいよ、別に。ぼくは使わない」
「転移屋さん、遠慮しなくてもいいと思いますよ。これから毎日、お世話になるのですから」
だけど、転移屋さんは遠慮している。おばさんは困った顔をして僕の方を向いた。うん、転移屋さんが魔力切れだと、僕も困るんだよな。
僕は、ぶどうのエリクサーを取り出した。
「おじさん、口を開けて」
えっ? と言った瞬間に、彼の口に、ぶどうのエリクサーを放り込んだ。だけど、これではすぐに魔力切れになる。
「兄ちゃん、これって、あの有名な謎の……」
「僕が、その謎の少年だよ。おじさん、最近、何か変わった物を食べたんじゃない? 身体の中に、砕けた魔石のカケラが見えるよ。その小さな石がおじさんの魔力を奪ってる」
「ええっ!? あぁ、そういえば、おとといは休みだったから、黒石峠の池に釣りに行ったが。とんでもなく美味い魚を食ったんだ。もしかして、それか?」
黒石峠? フロリスちゃんの母親サラさんが、魔物に襲われて亡くなった場所だ。そんな大きな池もあるのか。
「巨大な魚?」
「いや、これくらいの魚だ。その場で焼いて食ったんだが」
おじさんは、親指と人差し指で、魚の大きさを示した。手のひらくらいの大きさだ。
「丸ごと食べた?」
「あぁ、カリッと焼いて、な」
「おじさん、黒石峠には、魔石持ちの魔物がいるでしょ。そんな場所に生息してる魚を、丸ごと食べちゃダメだよ」
僕は、そう言いつつ、魔法袋から薬草を取り出した。うん、下剤の方が良さそうだね。僕は、下剤を調合した。
「強い下剤を作ったから大量の水と一緒に飲んで。数分ですぐにお腹が痛くなるから、飲む場所は気をつけてね」
「おぉ、何から何まで悪いな。助かる」
「僕も、おじさんが転移させてくれないと、学校に行けないし」
視線を感じた。エリクサーを差し出した男の子だ。気を悪くしたのだろうか。
「そのエリクサーは、キミのために用意された物だから、転移屋のおじさんは遠慮したんですよ」
「別に。ぼくのことなんて、誰も何とも思ってない」
そう言うと、男の子は歩き出した。おばさんが慌てて後を追いかけて行った。なんだか、気になる言い方だな。
「兄ちゃんは、魔導学校だな」
「はい。あの、ちなみにここは?」
「この先が剣術の学校だ。あの坊ちゃんは、今日からは、兄ちゃんの村から通うことになったらしいよ。どこかの貴族の坊ちゃんだ。村に隠されているんじゃないか」
転移屋さんは、わざと、リースリング村の名を言わないようにしているみたいだ。どこで誰が聞いているか、わからないもんな。
「そうなんだ。知らなかった」
「じゃあ、魔導学校へ移動するよ」
転移屋さんは、転移魔法を唱えた。
「ヴァン、遅かったじゃないか」
魔導学校の校庭に入っていくと、マルクが声をかけてきた。
「マルク、久しぶり。転移屋さんが魔力切れで、剣術学校の近くで足止めを食らったんだよね」
「まだ昼なのに魔力切れ? もしかして、その転移屋は、黒石峠の大池の魚を食べたんじゃない?」
「うん、そうみたい。エリクサーを食べさせて、下剤を渡しておいた。腸のあたりに、小さな魔石のカケラがあったんだよね」
「おい、その話を詳しく聞かせろ」
後ろから大きな声が聞こえた。この声は、クラスメイトのラッカだな。
振り返ると、数名のクラスメイトがいた。マルクは、嫌そうな顔をしている。いつもなら、スッと離れて行ってしまうのに、今日のマルクは違った。休みの間に、僕と仲良くなったから側に居てくれるのかな。
「久しぶりだね、ラッカ。転移屋さんがねー」
僕は、さっきの話をみんなに話した。この話は、今、スピカで話題になっているらしい。多くの人に謎の魔力切れが起こって、街の治療院はどこも、大量の人が押しかけているそうだ。
あれ? みんなの僕に対する反応がおかしい。なぜか、いつものように、農家扱いしないんだよな。
「なぁ、おまえ、もしかして休みの間に、成人になった?」
「うん、半年前くらいにね」
「おいおい、ラッカ、当たり前だろ。俺達のクラスは全員、もう成人の儀が終わってるぞ。だから、こんなにクラスメイトが減ったんじゃないか」
別のクラスメイトがそんなことを言った。確かに、みんな十三歳になっているはずだ。それに確かに、始業式なのに、校庭に集まっている同級生は、これで全員のようだ。
「あぁ、そうだな。それより、ヴァンのジョブがまさかの『薬師』だなんて、驚いたぜ。てっきり『農家』だから、卒業しないで退学するかと思ってた」
なるほど、それで変な反応だったのか。
「違うよ。薬師はスキルだよ。僕のジョブは『ソムリエ』だったんだ」
「ええ〜っ? まじかよ。ソムリエなんて、モテモテじゃねぇか。羨ましい。俺なんて、ダッサダサの薬草ハンターだぜ」
ハンターなのに、ダッサダサってなんだよ。
「えー、羨ましい。僕もハンターになりたい」
「あはは、また言ってる〜。成人になっても変わらねーな」
クラスメイトに微妙にからかわれているような気もするけど、居心地は悪くない。ラッカが薬草ハンターなら、ある意味、ライバルだよね。
校庭で、校長先生の眠い挨拶を聞いて、始業式は終了。授業が始まるのは、来週からだ。でも、僕は座学は終わっているし、剣術と魔術の出席日数もクリアしてる。あとは、実技試験に合格できれば卒業できる状態だ。
マルクは、実技試験は数年前に終わっているし、座学も終わってると思うんだけど、何が足りないんだろう?
「マルクは、あと、何が残ってるの?」
「俺は、出席日数と、アレだけなんだけど」
「アレ?」
「魔物学の実習レポート。洞窟に行かなきゃいけないだろ」
魔物学なんて、確か、簡単な感想文でよかったと思うけど……そっか。魔物が活発に動く夜間の合宿だから、か。
「マルク、でも加護があるから大丈夫じゃない?」
「まだ俺は、そこまでの境地に達していない」
あー、ダメな顔になってる。ふふっ、なんでもできるマルクの欠点が、なんだか少し嬉しい。これがなかったら、近寄り難いかもしれない。
「僕も、まだまだ卒業できないから、ちょっと安心だよ」
「あはは、どっちが遅いか、競争だな」
「えっ? マルク、まさかの遅い方が勝者とか言わないよね?」
「退学か卒業か、それが問題だ」
「ぷはははっ、何それ」
僕が笑うと、マルクは満足そうな顔をしている。ギャグのつもりだったのかな。
「そんなことより、行くだろ? 冒険者ギルド」
「うん、行く!」
「じゃあ、スピカの冒険者ギルドの本店に行こうぜ。毎日、いくつかのスキルの講習会をやっているらしいよ」
「おっ、いいね」
「たぶん、ハンターは、毎日やってるはずだから、時間が合えば、今夜には下級ハンターだぞ」
「おぉ〜、やっと、ハンターだ」
僕がワクワクしている様子を見て、マルクは嬉しそうに笑った。いい奴だよね、ほんと。
そして、マルクの転移魔法で、スピカで一番大きな冒険者ギルドへと移動した。
扉を開けると、あり得ないほど騒がしかった。マルクが話す声が全く聞こえない。みんながみんな、大声で叫んでいるかのようだ。
マルクに、腕を引っ張られて、ギルドの階段を上っていった。三階が目的地のようだ。この階は、賑やかだけど、まだ声は聞こえる。
「ヴァン、ちょっとタイミングが悪かったな」
「めちゃくちゃ賑やかだったよね」
「この時間は、報告に来た人と、受注に来た人が重なるみたいだ。それに、黒石峠のことで、臨時ミッションがたくさん出ているから、余計に混んでる」
「あー、なるほど」
マルクは、壁の案内板を見て、ため息をついた。
「ヴァン、今日のハンターの講習会は今やってる。もう終わるところだな」
「じゃあ、また明日だね……」
バン!
そのとき、講習会の部屋の扉が乱暴に開いた。
「あっ! あの人!」