98、リースリング村 〜ルーミント家の役割
「ヴァンくん、話が長くなってすまない。フランちゃんに、許可がもらえたら、俺の屋敷に来てくれるかな?」
ラスクさんは、また、婆ちゃんのぶどうパンに手を伸ばしながら、僕にそう尋ねた。気に入ってるんだな。うーん、やっぱり、貴族の主人っぽさがない。だけど俺の屋敷って言っているんだよな。
「あの、僕がトロッケン家に狙われているから、という理由がよくわかりません。差し支えなければ教えていただけませんか? 僕は、ラスクさんになぜ……」
「そうだね。ヴァンくんのお家の方も心配されるだろうから、俺の家が担う役割の話からしようか」
爺ちゃんや婆ちゃんの方を見ながら、ラスクさんは、話し始めた。
「俺は、ルーミント家の分家の生まれなんだ。多くの貴族は、強さで本家の主人を選んでいるのは知っているかい?」
「はい、後継争いが激化している家も多いようですね」
僕がそう答えると、ラスクさんは軽く頷いた。
「ルーミント家にはね、その後継争いがないんだよ。それが家が担っている役割の一つなんだ。だからといって、本家を選ばないわけにもいかない。そこで、最も年長の者がいる家が、本家に選ばれることになっているんだ。だから、頻繁に本家は変わるんだよ」
後継争いをしないことが、ルーミント家の役割なのかな? 他の貴族への手本のような感じなのだろうか。
「面白い仕組みですね。それなら、年長者を大切にします」
「そうだろう? ルーミント家は、白魔導士の家系だからね。そもそも強さよりも、知恵のある者の方が重視される。年長者は、若い者よりも多くの経験と知識を持っているからね。本家の主人となる者は、その年長者の一番年上の孫と定められている。だから、争いなど起こらないんだよ」
「他の貴族も、そうすればいいのに」
思わず、僕はそんなことを呟いていた。そうなれば、アラン様が毒殺されそうになることも、フロリスちゃんの母親のサラ様が殺されることもなかったんじゃないかな。
「ヴァンくん、俺もそう思っている。気が合うね」
ラスクさんは、無邪気な笑みを浮かべた。そうか、家の主人ではないから……うん? 分家の生まれだと言ってたけど主人ではないとは言われていない。
「それで、僕の仕事というのは……」
「おっ、ウチの屋敷に来てくれる気になったかい?」
「えっと、後継争いがなくて穏やかそうな、分家だということはわかりましたけど」
「あはは、今はね、ウチの屋敷が本家なんだよ。ルーミント家の主人は、俺の妻だ。先月から突然、そうなってしまってね。だから、いろいろと慌てているんだよ」
えっ? 奥様がルーミント家の主人? 分家同士で結婚したりするのだろうか。
「女性が、主人なんですね」
「そうなんだよ。本家に選ばれてしまったから、ウチが水辺のお茶会担当になってしまった。だから、黒服を増やさなきゃいけないし、今の流行りのソムリエも必要だろう? でも、ルーミント家に合わない人には来てもらいたくない。だから、ヴァンくんを雇いたいんだ」
「水辺のお茶会ですか?」
「あぁ、それが、ルーミント家の一番重要な役割なんだ」
お茶会が一番重要? のんびりとした優雅な役割だな。貴族同士の交流会は、大切なことなんだろうけど。
「古くからある貴族にはそれぞれ、王から役割が与えられているんだ。ルーミント家はね、水の管理を任されている」
「えっ? 王って、王都の王様ですか。神の使いですよね」
「そうだよ。王都の王様だ。神官三家よりも上位に位置する、最も神に近い人物だよ」
びっくりした。お茶会からいきなり王様の話に……。だけど、繋がりがよくわからない。でもまぁ、僕を雇いたいのは、水辺のお茶会の人手が欲しいからか。ソムリエだからなんだな。
「あはは、そんなに驚かせてしまったかい? ルーミント家はね、各地の湖や泉の水質調査をしているんだ。異変があれば、それを改善しなければならない。各地の水辺でお茶会をするのは、その現状を共有するためであり、汚染させないための予防策でもあるんだ。しかし、最近は問題が起こっていてね……」
荒野のガメイの妖精さんのいる、あのぶどう畑の水路……。あれを知っているのだろうか。
「ボックス山脈の魔物減らしの件ですか」
僕がそう尋ねると、ラスクさんは頷いた。
「やはり、その件でトロッケン家に狙われているんだね。ヴァンくんが詳細を知ってしまったから、軟禁するしかないと考えたのだろう。奴らこそ、制裁を受けるべきだ」
さっきまで、ずっと穏やかだったラスクさんから、笑顔が消えた。彼は、トロッケン家の行動に怒っている。水辺のお茶会に参加する人達も、情報共有されているんだろう。いや、お茶会という名の、情報交換の場なのか。
「話が逸れてしまったね。ヴァンくんにお願いしたい仕事は、主に、水辺のお茶会での給仕かな。そして、問題が起こったときの対処も頼みたい」
「水質に異常があったときの対処、ですか」
「あぁ、だからさっき、超級薬師かどうかを確認させてもらったんだよ。上級では対処できない。もちろん、ルーミント家は、白魔導士ばかりだからね。そんなに過度な負担をかけることにはならないはずだ」
すごく真剣な顔だ。でも、そうか。トロッケン家が僕を取り込む前に、引き入れようということだよね。善意か悪意か、僕には判断ができない。神官様が言っていたことを痛感した。僕は、騙されやすい。
うーん……。僕には、トロッケン家がボックス山脈に撒いた毒の後始末をする能力がある、そう考えての行動なのか。だからラスクさんは、わざわざリースリング村にまでやってきた。いい人っぽい気はする。だけど、信用していいのかな?
「フラン様に、聞いてみます」
僕がそう言うと、ラスクさんはホッとした顔をした。
「ありがとう、ヴァン。じゃあ、もう一度、フランちゃんの所に行ってくるよ。お邪魔しました。あ、奥さん、また来ます」
ラスクさんは、婆ちゃんのぶどうパンを、また手に取り、笑顔で出て行った。
「はぁ、ヴァンちゃん、寿命が縮んだよ」
婆ちゃんは、椅子に座り込んでしまった。爺ちゃんは、畑に出て行ったみたいだな。
「婆ちゃん、ごめんなさい。あの人は、よく来るの? なんか、また来るって言ってたけど」
「ラスクさんかい? 貴族の屋敷に出入りしているよ。彼も、村を守ってくれているんだよ」
「へぇ、そうなんだ。気づかなかった」
「いつも、ぶどうパンを焼いた後に、やってくるよ。さっきみたいに、ぱくぱく食べて帰っていく面白い人だよ」
「お土産には持っていかないの?」
「持ち帰らないねぇ。焼き立てが食べたいそうだよ」
「へぇ、そうなんだ。婆ちゃん、パン屋ができるね」
「そんな、商売なんてできないよ。だけど、商売みたいなもんかねぇ。ラスクさんは、たまに、パンの代金の代わりにと言って、珍しい肉や魚を届けてくれるからね」
「そうなんだ」
お金でもらうより、その方がいいよね。村に居たら、行商人は来るけど、同じ物ばかりだもんな。
「ささ、ヴァンちゃん、そろそろ学校だろう。早くしないと、転移屋さんが帰ってしまうよ」
「あ、ほんとだ」
村長さんの家の前には、転移屋さんの旗がヒラヒラしているのが見える。急がないと。
僕は、自室に戻って、着替えを済ませ、魔法袋を二つ装備した。学校へは家から通うつもりだけど、いつ、どうなるかわからない。備えは必要だよね。
「婆ちゃん、ポーションを置いておくね」
「なんだい? ヴァンちゃん、また帰って来ないのかい?」
婆ちゃんは、心配そうな顔だ。
「さっきのラスクさんの仕事は、まだ受けるかはわからないけど、今、『薬師』の契約をしている家があるんだ。急な怪我人や病人の対応をすることになっているからさ」
「あぁ、そうだったね。ヴァンちゃん、急に忙しくなっちまったねぇ」
「うん、半人前のうちは、仕方ないよ。だから、もし帰らなくても心配しないでね」
僕がそう言うと、婆ちゃんは頷いてくれたけど、心配そうにしている。ポーションを置いておいたのが、逆にマズかったのだろうか。
「じゃあ、いってきます」
「ヴァンちゃん、気をつけるんだよ。悪い大人に騙されちゃいけないよ」
「はーい、わかったよ」
婆ちゃんは、僕のことを子供扱いだな。成人の儀が終わった後とは、なんだか違う。寂しい思いをさせてしまっているのかもしれない。
村長様の家の前に行くと、離れた家のおばさんが見たことのない男の子と一緒にいた。
おばさん達も、スピカへ行くみたいだな。




