94、商業の街スピカ 〜どろ人形の正体
「別に怒っているわけではないが」
土の精霊は、語気を弱めた。勇ましい雰囲気があるから、なんだか、怒っているように聞こえるんだよな。
「すみません、まだ慣れなくて。では、この子たちが守っている主人となる方のジョブって、精霊師でなければ、何なのですか?」
「それは言えない。そういう決まりだろう?」
今度は、ちょっと怒っている。調子に乗りすぎたか。
「正確にいえば、俺は、その子供を見ていないから、どちらかはわからない。その子供が成人になれば、コイツらも姿を変える。今はまだ、精霊の卵のような状態だからな」
僕は、フロリスちゃんを会わせたい衝動に駆られたが、ジョブがわかったとしても精霊は教えてくれないだろうな。確かに、それがこの世界の決まり事だ。
「あの、この場所に泉があったらしいのですが、二年程前に枯れて消えてしまったそうなんです。ガーディアンが居たのでしょうか? それとも、どろ人形と何か関係がありますか?」
「ガーディアン? そんな気配は残ってないぞ。その子供の保護者が居なくなったのではないか? コイツらが、主人となるべき者を守る必要に迫られて、泉のマナを喰ったのだろう。こんな風に実体化している精霊の卵は珍しいぞ」
なるほど、そういうことか。そういえば、フロリスちゃんの部屋の横の畑には、中庭からしか出入りできないみたいだった。畑の世話を頼まれているメルツさんは、中庭を通っていたもんな。建物の裏手から誰も侵入しないように、どろ人形が守っているのか。
あ、ここにどろ人形が居るから、あの畑が妖精の溜まり場になっているのかもしれない。
「通れるようにしたいなら、ヴァンが直接命じればいい。わかっていないようだが、おまえは、精霊使いの上位スキルを持っているんだぞ。この俺を呼び出すことができるんだからな」
「はい、わかりました」
僕がそう言うと、土の精霊は姿を消した。なんだか、ちょっとモヤモヤする。怒らせたというか、呆れさせたよね。まぁ、仕方ない。
土の精霊が居なくなると、どろ人形が顔を出した。たくさんいる。フロリスちゃんが成人になると、コイツらが合体して精霊が生まれるのだろうか? うん? 精霊の卵? 精霊が生まれる?
それって、もしかして……精霊の巫女じゃないのか? 女性の神官は神の巫女とも呼ばれる。アウスレーゼ家のサラ様の娘であるフロリスちゃんが、そういう聖職のジョブだったとしても不思議ではない。
いや、ファシルド家だから、戦乙女ということもありうるかもしれない。でも、レアジョブばかりを考えすぎているけど、単なる精霊使いだという可能性も外せないか。
いずれにしても、フロリスちゃんに妖精が近寄っていく理由が明らかになった。それに、精霊の卵にも守られている。僕は、ホッとした。でも、人間の悪意には、彼らは対処できない。
少女に与えられたジョブが、ただの精霊使いだとしても、どろ人形の……精霊の卵の状態の今でさえ、誰も通さない力を持つ精霊を、支配することになるんだ。これは、力を重んじるファシルド家としては名誉なことになるのかな。この話をすれば、フロリスちゃんを追い出そうとする人達の意識は変わるだろうか。
「ヴァンくん、何かわかりましたか。難しい顔をしていますが」
バトラーさんが、声をかけてきた。そうだ、彼はフロリスちゃんのことを心配している。話してみようか。ただ、話し方には気をつけないといけないな。
僕は、まわりを見回した。近くの畑には誰もいない。でも……上を見ると、屋敷のたくさんの窓が開いている。上の方の階からは、この様子を覗いている人も……数えきれないくらい大勢いるようだ。
この場所の怪奇現象に興味を持っているのか。声は上にあがるっていうもんな。ここで話す声は、かなりの人に聞かれていると思っておくべきだ。
今までのバトラーさんとの会話で、僕は、変なことを言わなかったっけ。ちょっと、ヒヤッとしてしまった。気をつけよう。畑にいると気が緩んでしまう。ここは、リースリング村ではない。ファシルド家の畑なんだから。
「バトラーさん、わかったことと、わからないことがあります。僕の想像は混ぜずに、土の精霊さんが教えてくれたことだけをお伝えしますね」
「おぉ、ありがたい。少しでも手掛かりがあれば、安心します。この場所には、サラ様の亡霊が棲みついているという噂がありましてね……」
それなら、そのままの方がいいのでは?
「ここには、ガーディアンがいた形跡はないそうです。泉が枯れたのは、別の原因だそうです」
「サラ様の死とは関係ないのですね」
バトラーさんは、明らかにホッとした顔をしている。屋敷の敷地の一部に、亡霊が棲みついていたら困るからか。
「そのあたりはわかりません。僕の想像では関係があることになりますが、僕の考えは除いて、土の精霊さんが教えてくれたことだけを伝えます」
彼がゴクリと、唾を飲む音が聞こえた。さっきまで屋敷から聞こえていた声が消えている。一体、何十人が盗み聞きをしているのだろう。
「ここには、精霊になる前の、精霊の卵がたくさんいます。僕の目には小さなどろ人形に見えますが、敵意のない子たちです。彼らは、仕えるべき主人を守ろうとしているようです。その子たちは、主人となるべき方を守るために、泉に宿るマナを吸収して、実体化したみたいです」
「ええっ!? この畑から精霊が生まれるのですか?」
バトラーさんは思わず叫んでしまったらしい。ハッとして、口を押さえている。
「精霊がどこから生まれるかはわかっていません。逆に、どこからでも生まれるのかもしれませんね」
「その精霊が生まれるのは、主人となる方が成人したときということでしょうか」
「はい、そのときには、どろ人形は姿を変え、主人を守る精霊となるようです」
「その主人となるのは、誰ですか?」
「土の精霊さんは、誰だとは言っていませんでしたが、子供だそうです。この屋敷にいる未成年の子供でしょうね」
僕が上を見上げると、たくさんの人が窓から顔を出していた。慌てて引っ込んだけど。フロリスちゃんだと言い切らない方がいい、僕はそう直感して、上を見上げたんだ。
バトラーさんも、僕のその行動の意味に気づいたようだ。やわらかな笑顔を見せた。
「ということは、未成年のお子様の誰か、ということですね。ここから先に進めないということは、候補となるのは、この付近ですね」
バトラーさんも、上を見上げている。
「泉があった場所付近とは限りませんよ。マナの集まる泉から生まれたどろ人形が、この場所を塞ぐということは、守りの弱い畑からの外敵を防いでいるのかもしれません」
「おぉ、確かにそうですね。畑には、どこからか魔物が入り込むこともあります。なるほど、しかし、これは楽しみです。こんなに忠誠心の強い精霊に守られている方が、ファシルド家にいらっしゃるとは。ジョブは、精霊剣士でしょうか」
「ジョブはわからないみたいです。まだ、精霊になっていないどろ人形ですからね〜」
バトラーさんは、大きく頷いている。そして、屋敷の中からは、騒がしい声が聞こえてきた。その声を聞いて、バトラーさんは畑の方を向いて親指を立ててみせた。上手くいったというサインだ。僕も屋敷を背にして畑の方を向き、親指を立てた。
「バトラーさん、ちょっとよろしいでしょうか」
あぜ道を、黒服が走ってきた。食事の間で毎日顔を合わせていた人だ。彼は僕を見て、少し驚いた顔をしている。僕は軽く会釈をしておいた。
「じゃあ、ヴァンくん、今日はこれで結構です。緊急呼び出しの魔道具は、常に身につけておいてくださいね」
「わかりました。あっ、この先を見に行ってみても構いませんか?」
「ええ、屋敷内のどこを巡回してもらっても構いませんが、仕事が増えますよ? ヴァンくんを薬師として雇ったという話は、もう随分と広まっているでしょうから」
便利使いされそうだな。だけど、巡回か。薬師だと、そういう扱いになるのか。
「わかりました。ノワ先生があんな状態ですし、怪我人を見つけたら対応します」
「助かります。あ、ここの薬草は適当に使ってもらって大丈夫ですから」
バトラーさんはそう言うと、黒服に連れられて戻っていった。忙しそうだな。
僕は近くの薬草を引き抜き、正方形のゼリー状ポーションを作った。怪我人に遭遇したら、とりあえず渡せばいいか。
そして僕は、どろ人形がいる雑草だらけのあぜ道を、先に進んでいった。