88、商業の街スピカ 〜召喚!
「な、なんだ? 今の声は?」
アラン様が、キョロキョロと辺りを見回している。精霊使いのスキルがなくても、黒い呪霊の声は聞こえるのか。
畑の方で、小さな悲鳴も聞こえた。メイド達が、フロリスちゃんを中庭の死角に隠しているようだ。そうか、彼らは少女の兄でもある。もしかしたら、面識があるかもしれない。
だけど彼らは、少女の小さな悲鳴に気を配る余裕はないようだ。
「ラッカ、何をしているんだ!」
ペラペラとよくしゃべる男は、術者の身体からぬらりと現れた黒い呪霊に怯えているようだ。彼は、精霊使いのスキルがあるから、黒い呪霊の姿も見える。
ラッカと呼ばれた術者は、うつろな目をして不気味な笑みを浮かべたままだ。もしかしたら、黒い呪霊に完全に支配されているのか。
中庭に、黒服達が戻ってきた。
いや、さっきいたのとは別の黒服か。門番もすっ飛んできた。さっきの声は、屋敷の中にまで聞こえたみたいだ。バトラーさんまで、出てきている。
そして、こちらに近寄ってきた。マズイんじゃないか。僕を見ていた黒い呪霊は、中庭を近寄ってくる人達の方を見ている。
ラッカと呼ばれた術者は、中庭に、また、黒い影を放った。かなりの数だ。
僕は、真っ白な光を放った。しかし、僕の近くの影は消せるけど、門番や黒服達の方へ向かった影には、届かない。
「ラッカ、やめろ! 俺の黒服を殺す気か!」
ペラペラとしゃべる男が、術者を止めようとしたが、幽体離脱のように上半身だけ彼から出ている呪霊が、それを弾き飛ばした。
すると、ペラペラしゃべる男は、僕に向かって叫んだ。
「おい、アランの友達、超級ならこの呪霊をなんとかしろよ! 光の精霊を支配しているんだろ」
離れた場所にいる黒い呪霊の影は、その場でエサが近寄ってくるのを待っているのか。
「アラン様、黒服が、呪霊の影に狙われています。とらわれると呪霊にエネルギーを吸収され、生命を落とします。離れるように言ってください」
僕がそう言うと、アラン様は頷いた。
「中庭にいる者は、離れろ! ヴァンの術は、そこまで届かない。呪霊の影にとらわれると死ぬぞ!」
すると、彼らは慌てて立ち止まった。
僕が、あの影を消しに行けばいいのか。だけど、彼らの横をすり抜けられるか? いや、ダメだ。僕があっち側にいくと、アラン様や、畑にいるフロリスちゃんを守れない。
ブリリアント様、どうしたらいいですか。さっき、召喚って言っていましたよね。すぐに来てください。
『ヴァン、心配するな。あの影にとらわれても即死はしない。もう少しだ、待て』
待てと言われても。
『奴を引きつけるのだ。あの人間から完全に出たところを狙う。私がいま行くと逃げられる。奴がキミを襲う瞬間となるが、協力してくれ』
わかりました。だけど、どうすれば引きつけられるのか。
『奴は、一番良い餌を探している。魂を喰らい、乗っ取るためのね。あの娘が出て来なければ、キミが一番の餌だ。あぁ、ダメだな』
えっ? 屋敷から神官様が出てきた。黒い呪霊は、彼女を見て舌舐めずりをしている。
『ヒカリのセイレイ、マッテオレ、カミノミコガ、サキダ』
黒い呪霊はぬらりと、術者からさらに身体を乗り出している。そんな……神官様が乗っ取られる。
僕は、気づけば、駆け出していた。
「フラン様! 逃げてください!」
だけど、彼女は杖を構えている。そして真っ白な光を放った。しかし、黒い呪霊には効かない。
もっと、早く! もっと!
僕は、足が絡まりそうになりながら、必死に走った。
彼女と術者の間に入り込んだ瞬間、黒い呪霊は術者の身体から完全に抜け出た。そしてこちらに向かって、すごいスピードで進んできた。器を乗り替えるのか。
『ヴァン、私の名を叫べ!』
「ブリリアント様?」
『様は付けるな、精霊ブリリアントと。急げ!』
「精霊ブリリアント!!」
その瞬間、僕の身体に魔法陣が現れ、目が開けられないほどの強い光が、黒い呪霊に向かっていった。
『ウギャ!』
目が見えるようになると、そこには、光の槍で串刺しにされてバタバタと跳ねる黒い呪霊と、その槍を持つ精霊ブリリアント様がいた。
『クッ、ナゼ、カガヤキノセイレイ……クソッ!』
ブリリアント様が、左手を奴に向け、青黒い光を放った。
『ギャァァア〜〜!!』
おぞましい声だ。黒い呪霊は、青黒い炎に焼かれて消えていった。
「ブリリアント様……」
「ヴァン、危なかったが、完璧なタイミングだった。人間を乗っ取る呪霊は、捕まえにくい。ありがとう」
「いえ。あの、乗っ取られていた人間はどうなるのですか」
術者は、死んだのだろうか。彼の身体からは、黒い湯気のようなものが出ているのが見える。
アラン様にも、その湯気は見えるようだ。こちらに来たいようだけど、警戒して、動けないみたいだな。
「あー、ヌケガラか。彼が望んで身体を提供したなら、そのまま燃え尽きる」
「そうですか」
ブリリアント様は、神官様の方を向いた。
「お嬢さん、無茶をする癖は直らないようだね。堕ちた精霊に、神官の術が効くわけないだろう?」
えっ? 知り合いなの?
「精霊ブリリアント様、お言葉ですが……」
「ふっ、あのときはまだ小さな少女だったが、今はもう成人したのではないのか? 私の恩人を不安にさせないでくれ」
そう言うと、ブリリアント様は僕の方を見て、悪戯っ子のような笑みを見せた。わっ、いや、僕は、その……。そうか、いつも加護が発動しているから、いろいろとバレてるのか。
マズイ、顔が熱い。
僕は、スキル『道化師』のポーカーフェイスを使った。だけど、何かに弾かれる。あれ? あ、そっか、僕はいま、ブリリアント様の光をまとっているのか。
「ヴァン、後は任せる。影の始末をしておいてくれ」
僕が頷くと、ブリリアント様はフッと消えた。
「フラン様、影の始末を手伝っていただけますか」
「ちょ、その顔でそんな命令しないでよね!」
なぜか、彼女はぷりぷりと怒りながら、杖を振っている。命令、っていうより、お願いなんだけどな。
漂っていた黒い呪霊の影をすべて消した後、僕は、アラン様の方へと戻った。神官様もついてきている。
「フランさん、このゆらゆらとした黒いものは……」
「浄化炎よ。精霊ブリリアント様が、この人を乗っ取っていた呪霊を浄化するために使ったものだから、消せないわ」
「じゃあ、兄様は……」
「自ら望んで呪霊を受け入れていたなら、完全に同化しているの。このまま燃え尽きるわね。堕ちた精霊を支配しようとした末路よ」
神官様は、近くで座り込んでいる他の男達に、目を移した。すんごい凍えそうな冷たい視線だ。
「貴方達も、呪霊の影響を受けているわね。魂が朽ちていくわ。ひと月ももたないでしょう、自業自得ね」
えっ……。そうか、術者と行動を共にしていたから。でも、それなら、黒服や、その兄弟にまで影響があるのだろうか。
「フラン、様、どうすれば助かりますか。懺悔でも何でもします。だからどうか……」
「私には何もできないわ。精霊使いではないもの。貴方、精霊使いなら、自力で何とかしなさい」
「アランの友達、おまえなら、なんとかできるんじゃないのか」
彼らは、僕にすがるような眼差しを向けた。いや、必死にすがっているのか。プライドも何もないのか。
ブリリアント様、僕には、彼らの呪霊の影響を取り除くことは、できますか?
『ヴァン、優しい子だね。だが、その優しさは害にはならないのか? その者達を生かすことで、キミの大切な人達を殺すことにならないか』
確かに……そうかもしれない。彼らが改心するとは思えない。だけど……。
『妖精を治したように私の輝きを使えば、その者達の中に入り込んだ奴の影は消せる。判断はキミに任せるよ』
はい、わかりました。
「アラン様、どうしましょうか」
「ちょっと、ヴァン、馬鹿なことを考えてないでしょうね」
神官様は、許さないんだ。でも僕は……こんな判断なんて、できない。
「助けてくれ! どんな懺悔でもする。何でもするから!」
そう叫ぶ彼らは、やはり改心する気はないのだろうな。必死な目の奥には、憎悪が見える。神官様は、それがわかっているからか。
「ヴァン、可能なら、兄達を助けてくれ」
「よろしいのですか? 彼らが改心するとは思えません」
「構わない。ここで見捨てると、捨て身ですべてを奪おうとするだろう」
アラン様はそう言うと、チラッと畑の方を見た。なるほど、フロリスちゃんが犠牲になる、か。
「わかりました」
僕は、彼らの身体に触れ、呪霊の影を浄化した。




