85、デネブ湖 〜ファシルド家の後継争い
「アラン様の順位、ですか」
「あぁ、俺は、序列からは外れると思っていたんだけどな。今日の話し合いで、本家と分家を継ぐ候補者11人と、その予備11人が決定される」
「22人も……」
「全部が父の実の子というわけではない。分家の主人の子も含まれるからな」
「あ、そっか、そうですね。確かに」
「俺はどうやら、候補者のようだ。予備ならここまでのことはしてこない。そして、その順位も、本家の後継争いができる位置にあるということだ。
アラン様は、力なく笑っている。序列は、上位なのか。きっと心底、嫌なんだろうな。
彼には警戒心がないことからも、こんな争いとは関係のない環境で育てられたんだと思う。あの家にいて、全く無縁とは言えないだろうけど、少なくとも命を狙われることはなかったのだろう。
「ヴァンが助けてくれたが、俺は殺されるところだっただろう? 母ルーシーの家の力を使って調査したが、犯人がわからないんだ」
「そう、ですか」
特殊な鉱物性の毒だったもんな。
「だけど、それでわかったんだよ」
「どういう?」
「ははは、ヴァン、間抜けな顔をしているぞ」
「えーっと、あはは、意味が理解できなくて」
アラン様は、やっと普通に笑った。そして、スゥハァと深呼吸をして、自分の頬をパンと叩いた。
「フランさんは、ヴァンのそういうところを気に入っているんだろうな」
「ええっ?」
「俺を普通の感覚に戻してくれる。やっぱ、兄貴だな」
僕は首を傾げた。うーん……複雑だけど、悪くはないということだよな。まぁ、いいか。
そんな僕を見て、アラン様は、フフッと笑っている。
「話が逸れたな。母の生まれた家も武術系の貴族の家なんだ。ファシルド家ほどではないが、それなりに有力な家だ。その家の、優秀な使用人が調べても犯人がわからなかったんだよ」
「ということは、犯人はさらにその上をいくということですか」
アラン様は、指をパチンと鳴らしてニッと笑った。
「正解だ。ファシルド家とほぼ対等な力を持つ家から嫁いできた女性は少ない。その中で、子供がパッとしないのが二人。彼女達の子供はすべて序列から外れるようだ。予備にも入らないらしい。あまりにも出来が悪いから、当然だと思うが」
「なるほど、完全に理解できました。序列に加えられる誰かが消えれば、その奥様達の子が、序列に入ることになるんですね」
「あぁ、候補者ではなく、予備だろうけどな」
ひどい世界だ。だけど、これを勝ち上がる力がないと、本家どころか分家の主人を務めることもできないんだろうな。
「それでフラン様が、アラン様を逃したのですね」
「俺に罠を仕掛けてくるだろうって、フランさんは言っていたよ」
「罠ですか?」
「あぁ、序列に加える技量がないと知らしめるような、何かをしてくると言っていた。だけど俺の考えは少し違う。父が本家を継いだときに、分家の主人を決める争いで多くの血が流れたらしい。たぶん、俺は変な言いがかりをつけられて、兄貴達に殺されるだろうな」
「えっ……殺される? あ、確かに毒殺されそうになりましたもんね。分家の争いで血が流れたんですか」
「父は、本家の先代の一番最初の子として生まれ、何より圧倒的に強かったんだ。だから本家の後継者は、父が成人になったときから、確定していたらしい」
「なるほど」
「先代の頃は、分家が一つしかなくて、激しい後継争いになったんだ。だから、父は、分家を増やして争いを収めたらしい。そして、ファシルド家の名はさらに上がったんだ」
「旦那様の判断がすごいですね」
アラン様は頷いた。その表情はとても誇らしげだ。
「だが、そのせいで、父の次の代の後継争いが激化してしまったんだ。分家の子も本家を継ぎたい……いや、分家の主人が、自分の子に本家を継がせたいと考えるようになったらしい。まぁ、これは、ファシルド家だけに限らない。他の武術系の貴族も同じだ」
いや、魔術系貴族も、似たようなものだと思う。だけど、マルクの話は、ここまで酷くはない。
「そう、ですか」
「嫌な世界だろ? 商人にはこんな争いはないと聞く。ヴァンの家も、こんな争いはないだろう?」
「僕は、農家の生まれですから、そもそも一夫一妻制ですし、全く知らなかったことです」
「うらやましいよ。俺は、こんな無駄な争いのない家に生まれたかったな。フロリスも、こんな家じゃなければ母親を失うこともなかったと思うよ」
これは彼の本音だろう。後継争いに巻き込まれる不安からの弱音か。
でも彼の表情からは、自分が狙われることを怖れているようには感じない。巻き込まれて命を落とす人達を、心配しているように見える。
彼は、ハッとした顔をしている。
「ヴァン、今のは無しだ。俺は恥ずかしい言葉を口にした」
「いえ、僕は、アラン様の優しさだと思いました。うまく言えませんが、他者を思いやるということは、主人に必要な素質の一つなのではないでしょうか。優しさは、弱さではなく強さだと思います」
「……ヴァン、やはり兄貴のようだな。ありがとう」
僕は、いえいえと首を横に振った。
「じゃ、飲むかー。俺の秘蔵の蒸留酒を持ってきたんだ」
アラン様は、魔法袋から、ガラス瓶を取り出した。へぇ、りんごの蒸留酒か。飲んだことがないよ。
「では、グラスを取ってきますね。アラン様はここにいてください」
「あぁ、わかってるよ。確かに、何度も魔物が窓に近寄る気配を感じた。フロリスだけしかいなければ、襲ってくるだろう。ここに居るだけで、知らなかった多くを学べる」
すごい! 僕には、感知系のスキルはないから、わからなかった。アラン様はまだ、ジョブの印が現れていないのにわかるんだな。
僕は、やわらかく微笑み、立ち上がった。
バン!
開こうとした扉が、乱暴に開けられた。
「ちょっと! 貴方達、こんなとこで何をやっているのよ。コテージの施錠くらいしなさいよ。危機感ゼロね!」
うげっ、めちゃくちゃ怒ってる。施錠? この小屋に鍵なんてあるのか……いや、うん、普通に考えて、あるよね。
「施錠したら、フランさんが戻って来られないじゃないですか」
あわわ、アラン様が反論している。
「何のために、呼び鈴があると思っているの? 呼んだらさっさと開けに来ればいいだけじゃない」
はい、ごもっともです。アラン様の視線が僕に向いた。交代要請か。
「フラン様、すみません。この小屋に、鍵があるなんて知らなかったです」
神官様は、片眉をあげた。えーっと、これは、呆れていらっしゃる?
「はぁ……ヴァンも危機感が足りないわね。ここは、森の中よ? まぁ、鍵をかけても、魔物は来るときは来るけど」
腕を組んで仁王立ちの彼女は、ベッドで眠る少女に気づいたようだ。声のトーンをおとした。
「フロリスの部屋にいたことを加味すると、ギリギリ及第点ね。しかし、何なの? 蒸留酒なんか出して。私に黙って、こっそり二人だけで飲むつもりかしら?」
「フランさんも飲みます? りんごの蒸留酒ですよ」
アラン様が何か合図をしている。グラスを三つ持って来いということかな。僕は頷き、寝室を出た。
危なかった。飲んでいる最中だったら、彼女はもっと怒っていたんじゃないだろうか。だけど、ふふっ、なんだか、仲間はずれにされて怒る子供みたいな表情だったな。
そして、グラスを三つ持って戻ると、僕が座っていた椅子が神官様に取られていた。まぁ、仕方ない。
三人で少しだけ蒸留酒を飲み、僕はアラン様と隣の寝室へと移動した。酔ったのか、アラン様はすぐにベッドで眠ったようだ。
僕は、隣の寝室に神官様がいるのだと考えると、なぜかなかなか眠れなかった。
翌朝、僕が目覚めたときには、もうアラン様は起きているようだった。テーブルのある部屋から、神官様とアラン様の話し声が聞こえる。
寝室を出ようと、扉に近寄ったところで、僕は思わず足を止めた。
「このことは、ヴァンには内緒にしておきましょう」
「だけど、本当にいいのですか?」
「構わないわ。知ると、もしかすると絶望するかもしれない。知らない方がいいわ」
な、何? 僕が絶望するようなことって。
「でも、そのうちわかることですよ。事前に話しておく方が、彼も、心構えができるのでは?」
「必要ないわ」
えっ!?僕が絶望するようなことが、近いうちに起こるのか。まさか、フロリスちゃんの追放が決まったのだろうか。それとも、僕が何かやらかした?
立ち聞きだよな、これ。今、出て行けば、尋ねられるか? しかし……足が動かない。
どうしよう。




