78、デネブ湖 〜居心地のいい湖畔が……
僕はいま、フロリスちゃんを連れて湖畔を歩いている。少女のペットは、湖畔で食事中だ。
「ヴァン、ここの草が美味しいって、ぷぅちゃんが言っているよ」
「へぇ、お気に召してよかったですね」
「うん! 食べすぎて太っちゃうね」
「あはは、かもしれませんね」
「たくさん食べたら運動させなきゃ!」
確かに、奴はこの草を気に入っている。僕は、スキル『魔獣使い』の通訳を使ったから、奴の発する言葉は理解できる。でも、フロリスちゃんにはスキルはないのに、わかるんだな。信頼関係があれば、スキルなんて不要なのかもしれない。
しかし、ほんとに、フロリスちゃんはガラリと変わったな。天兎の健康にも気を配る余裕がでてきたみたいだ。
「フロリス様、ぷぅちゃんと一緒に、お昼寝するんじゃなかったですか? その辺りに転がると気持ちいいと思いますよ」
「ヴァン、まだ朝よ?」
「あはは、確かにおっしゃるとおりです」
少女は、湖畔を気ままに歩いている。僕は、その少し後ろを付いてまわっているんだ。湖畔では、杖を持つ人達が湖に向かって、何かをしている。魔法の合同練習なのだろうか。
そういえば、このキャンプ場の利用権限って、何なんだろう? 僕のジョブボードを見せて許可がおりたということは、精霊師かな? でも、湖畔にいる人達には、妖精の姿は見えていないみたいだから、違うかな。
僕は、妖精さん達につきまとわれている。気づかないふりをしているからか、話しかけてはこない。フロリスちゃんにも、やはり近寄っている。彼女には、どんなジョブが与えられているんだろう。
天兎は、少女が少し離れると、慌てて近寄っていく。一定の距離に居たいみたいだ。そんな奴の様子に、フロリスちゃんは、くすぐったそうな笑顔を浮かべている。
いいな。ここは居心地がいい。
ザバーン!
天兎と遊び始めた少女を見守っていると、何かが湖に飛び込んだかのような音が聞こえた。
「うわぁ! 失敗した!!」
湖畔で杖を持つ男性が叫んでいる。
魔法の練習失敗なのかな? 彼らは魔導士なのか。朝から頑張ってるんだな。そんなことをのんびりと考えていると、急に空気感が変わった。マナが満ちた空気がピリピリとしている。
僕達にまとわりついていた妖精達が、森林の方へと慌てて飛んでいった。これは何かある。バリアも何もできない僕は、ここにいるとマズイ気がする。
「フロリス様、ぷぅちゃんをすぐに抱っこしてください」
「ヴァン、なぁに?」
ピリピリが強くなってきた。時間がない。
「フロリス様、失礼します!」
僕が少女をお姫さま抱っこすると、天兎はぴょんと跳躍して少女に飛び乗った。僕は、そのまま、神官様達がいるレストランへと向かって走った。
「ヴァン、突然どうしたの?」
「妖精さん達が森林へと避難し始めたんです。湖から離れる方がいいみたいです。何かが起こる……」
僕は慌てて、レストランへと駆け込んだ。よかった、間に合った。ハァハァ、足がガクガクだ。
「ヴァン、何? フロリスが怪我したの?」
ちょうどレストランを出ようとしていた神官様とアラン様が、そこにいた。僕は、抱きかかえていたフロリスちゃんをおろした。
「いえ、そうではありません。妖精達が避難したんです」
「フランちゃん、ヴァンが変なのー」
「うん? ヴァンは、もともと少し変だわよ? 妖精? こんな場所に妖精がいるの?」
ちょ、ひどくないか?
「はい、湖のまわりには、かなり多くの種類の妖精がいます。精霊の気配も強いから、妖精が集まっているんだと思います」
「どういうこと?」
「わかりません。ただ、僕達のまわりにいた妖精達が、森林の方へ、慌てて行ってしまったんです。それに、マナが満ちた空気がピリピリし始めています。何かが、起こる前触れじゃないかと思って」
「私は、何も感じないわよ? 気のせいじゃ……えっ」
神官様は、突然、何かの術を使った。
キィィィ〜
ギャウォオォ〜!!
何かの風圧で、レストラン全体が揺れた。
キャー!
あちこちから、悲鳴が聞こえる。振り返ると、向かいのコテージの屋根が吹き飛んでいた。そして、湖の上には、何かがいる。
キィィィ〜!
何かわからないけど、怒っているようだ。またブワンと風圧がきた。バキバキッと大きな音を立てて、コテージが倒壊し、木片が飛んできた。
うわっ!
だけど、レストラン付近で、何かに弾かれるように木片は地面に落ちた。もしかして、これって、神官様の力?
「フランさん、強靭な防御バリアをありがとうございます」
レストランに入るとき、利用権限のチェックをしていた黒服が、駆け寄ってきた。
「支配人さん、あっちのコテージは吹き飛んでいるわよ」
「あぁ……被害者がいなければ良いのですが。ちょっと、今回はマズイですね。只今、状況を確認中です。建物から出ないでください」
ギャウォオッ!
建物がガタガタと揺れた。
「こ、こわいの」
フロリスちゃんは、神官様にしがみついている。天兎は、少女の腕の中でブルブルと震えている。
「フロリス、大丈夫よ」
そう言いながら、神官様は少女の頭を撫でている。
「ヴァン、助かったわ。湖畔にいたら無事では済まないところよ」
僕は、軽く頷いた。これは、一体どうなっているんだろう。あの湖に浮かぶ何かは、魔物? でも、なんだか雰囲気が違う。
「支配人、今回はマズイということは、たびたびあることなの? 湖畔にいる人達って、どっち?」
どっち? 貴族か貴族でないかってことかな?
「あの方々は、スピカにある精霊学校の学生ですから、精霊使いです。いま、合宿で来られているのですが、卒業試験直前らしく、昨日もちょっと事故がありました」
「湖上にいる二体は、この湖のヌシね」
「はい、学生達は湖に向かって、精霊封じの術でも練習していたのかもしれません。引率の講師の質が低いんですよね。この騒ぎは、責任を持って収めていただきますけど……」
キィィィ〜
湖の方では、魔法が飛び交っている。湖のヌシと戦っているのか? 無謀だ。こんな大きな湖のヌシは、人間には倒せない。というか、倒しちゃいけないはずだ。
「あのバカが精霊学校の講師? ヌシを攻撃するなんて、正気じゃないわね」
「あの人は、ジョブ『精霊使い』の超級魔物ハンターです。講師としての質が低い。学生にまで攻撃させているということは……」
「あのバカには倒せない」
「フランさん、俺、助太刀に行きます!」
「アランもバカね。湖のヌシは、決して倒してはいけないわ。ヌシがいなくなると湖が朽ちるもの。常識よ!」
神官様に怒鳴られ、アラン様は、表情をこわばらせている。僕も、魔導学校に行っていなかったら、そんなことは知らなかったもんな。
グォォオ〜ッ!!
えっ? 何、この声。地の底から響き渡るように聞こえた……ドラゴンじゃないか?
神官様も、ハッとした顔で湖を振り返っている。黒服の支配人も、湖に釘付けだ。
「こわいの」
「フロリス様、大丈夫ですよ。ぷぅちゃんをしっかり守ってあげてください」
「うん、ぷぅちゃんを守るの」
僕は、少女の頭を撫でた。天兎は、少女の腕の中で震えている。フロリスちゃんはその様子を見て、キュッと抱きしめた。
レストランには、次々と人が駆け込んでくる。黒服の支配人に、店員が何かを伝えに来た。
「支配人、来客はすべて把握しているわよね? いま、ここにいる超級以上の使える黒魔導士を集めて」
「フランさん、超級以上の黒魔導士はいません。物理戦闘系なら……」
「物理攻撃なんて、使えないわよ。相手は精霊獣よ? しかも、アイツを呼んだってことでしょ」
精霊獣って何? そんなの聞いたこともない。それに、呼んだって……ドラゴンを呼んだ?
「至急、冒険者ギルドに応援要請をします!」
ギャウォオ〜!!
グォォオ〜
また、風圧がきた。
キィィィ〜
強い魔法攻撃を使っているみたいだ。だけど、さっきは、あちこちから魔法攻撃が放たれていたのに、今は、強い威力のものだけだ。
「白魔導士は、いるわね?」
「はい、今いる半数近くが白魔導士です」
「じゃあ、そっちは足りているわね。たぶん、湖畔で学生が何人か死にかけているわよ。冒険者ギルドの応援なんて、間に合うかしら」
冒険者ギルドには、緊急時に備えて、救護用の冒険者が待機しているはずだ。
「アラン、フロリスをお願い。ヴァン、行くわよ!」
「えっ? はい?」
「要請して3分で来ないってことは、冒険者ギルドは使えないわ。貴方がなんとかしなさい!」
「はい?」
神官様は、僕の腕をつかむと転移魔法を唱えた。




