77、デネブ湖 〜混乱するヴァン
僕はいま、デネブ湖という大きな湖のほとりに立っている。あちこちに様々な妖精がいるのが見える。精霊の気配も強い。このマナの濃い湖に集まっているみたいだ。
「わぁっ、おっきなプール」
「フロリス、これは湖よ。湖畔は、特殊なキャンプ場になっているの。まずは朝食にしましょう」
僕達は朝早くから、神官様の転移魔法で、ここへやってきたんだ。フロリスちゃんは、すっかり元気な普通の女の子だ。腕にはペットの天兎を抱いて、しっかりと自分の足で歩いている。その様子に、アラン様も驚いたみたいだ。
昨夜は、朝食は屋敷で食べる予定だった。だけど神官様は、フロリスちゃんを屋敷からすぐさま離れさせたかったらしい。何かあったのだろうか。
ここはどこだろうと考えると、目の前に地図が浮かんだ。スキル『迷い人』のマッピングか。
商業の街スピカの南に少し行った場所のようだ。森林が広がっているだけかと思っていたけど、その中に、こんな場所があったんだな。
湖畔のキャンプ場には、入場制限があるようだ。マルクと行ったボックス山脈の、貴族限定のキャンプ場みたいなものかな。
「冒険者カードの提示をお願いします」
朝食のために入ろうとしたレストランで、黒服に足止めされた。神官様はカードを提示している。
「同行者は、お子さんを除き、一名までですが?」
黒服は、アラン様と僕に目を移した。同行者数にまで制限があるんだな。
「この子は、まだ十二歳だから子供よ」
「えーっと、最近は厳格になりまして……」
神官様は少し困った顔をしている。そして僕の顔を見て、ニヤッと笑った。何? 嫌な予感がする。
「ヴァン、冒険者カードとジョブボードを出しなさい」
「はい? ジョブボードは個人情報ですよね?」
「だって、ギルドに登録していないじゃない」
神官様は何を言ってるんだろう?
「いや、ギルドは三つとも登録してますよ。だから冒険者カードを出せとおっしゃったんですよね?」
「違うわよ。ヴァンは、ここの利用権限に使える登録をしていないの。大丈夫よ、秘密は守られるわ」
ジョブボードを表示しても、特殊な能力がある人しか、他人のものは見えないんだよね?
アラン様もフロリスちゃんも、未成年だからジョブの印はない。理不尽すぎる気がするけど、仕方ないな。
僕がジョブボードを表示すると、黒服は、失礼しますと言って、ざーっと目を通している。彼には見えるんだ……というか、全部見る必要ある?
「はい、結構でございます。ヴァンさんが受注可能なミッションがありますが、どうなさいますか?」
キャンプ場でミッション?
「私達は、ここに一泊するわ。私がヴァンの後見人をしているから、私を通してくださる?」
「フランさん、かしこまりました。では、ご用意しておきます。お食事後に、お声掛けください」
「ええ、わかったわ」
レストランでは、個室に案内された。神官様の神官パワーを使ったのかと思ったが、そうではないらしい。小さな子供がいるからだそうだ。
「フラン様、ミッションってどういうことですか? ここへは、ぷぅちゃんの餌を集めに来たんですよね」
「ヴァン、あなた、農家の技能を使えば、そんなものは一瞬でできるでしょ? せっかく、ここに来た意味がないじゃない」
他に目的があるのか? ミッションがそもそもの目的?
レストランの客層を見ても、キャンプ場の特徴がイマイチわからない。ここの利用権限って、何なんだろう? 貴族っぽい人よりも、普通の冒険者風の人の方が多い。僕も、神官様の指示で、今日は黒服ではなく軽装で来ているんだけど。
「フランさん、俺、明後日、ジョブの印が現れたら、いったん屋敷から離れようと思うんですよ」
アラン様がそう言うと、フロリスちゃんは泣きそうな顔をした。だよね、唯一の味方になってくれるお兄さんだもんな。誕生日は、明後日か。
「そうね、その方がいいわ。アランが、今一番狙われているもの」
「突然、出発時間を早めてもらってすみません」
「あんなに揃っているなら、朝食時に何が起こるかわからないもの。フロリスのこともあるから、早く出て来て正解ね」
あー、そう言えば、昨夜遅くに、屋敷を出て独立している坊ちゃん達が、集まって来ているようだった。厨房は忙しそうだったもんな。兄弟が揃うと、いざこざが起こるのかもしれない。
大変だな、貴族って。
料理が運ばれてきた。僕は、一応、派遣執事の契約期間中だ。神官様も、僕がどう行動するかを見ているんだよね。
「お待たせ致しました」
「店員さん、後は僕がやりますので大丈夫です」
僕がそう言うと、店員さんは軽く会釈をして無言ですぐに出ていった。
「ヴァン、そんな言い方をすると、ここで秘密話をしているように思われるわよ」
「えっ……すみません。どう言えばよかったんですか」
「そんなことは、自分で考えなさい」
ひどいなー。そんなことを言われても、全くわからない。
「あはは、フランさんは、ヴァンには気を許しているんですね。あの話は、事実なのかと思ってしまいますよ」
何の話? 僕は、料理を取り分け、レディファーストで、まずフロリスちゃん、そして神官様、アラン様の順に給仕をした。
「ちょっと、ヴァン! 普通は、私からでしょ?」
「僕はフロリス様の世話係なので……」
「はぁ、バカね」
そう言いながらも、神官様は怒った様子はない。給仕の順は、本来なら、フロリスちゃんは一番最後にすべきなんだろうな。
そんな様子を、アラン様はニコニコと、いや、ニヤニヤとしながら見ている。なんだか、意味ありげなんだよな。
「アラン兄様、ヴァンは、フランちゃんと仲良しなの」
フロリスちゃんは、サラダを突きながら、変なことを言い出した。
「へぇ、フロリス、その情報はお手柄だぜ。じゃあ、やっぱり本当なんですね、フランさん」
「仕方ないじゃない。消去法で考えたら、そうなったのよ」
「アラン兄様、何のお話?」
「うん、フランさんの恋人だよ。婚約者かな?」
えっ? な、何? なんだか、僕が神官様の恋人かのような言い方に聞こえたんだけど?
「わっ、ヴァンが赤くなってる。どうしたの? スープの鍋が熱かったの?」
「フロリス様、大丈夫です。ありがとうございます」
「へぇ、面白いな。でも、フランさんには、ヴァンみたいな子が合うかもね」
「消去法で仕方なくよ? そういうことにしてあるだけ。だから、ヴァンは何も知らないわ」
アラン様は意外そうな顔をしている。
「へぇ、フランさんがそんな気遣いをするなんて」
「ちょっと、アラン、どういう意味かしら?」
「あはは、何でもないですよ」
「失礼な子ねー」
「あははは」
僕は……この会話が遠くで行われているかのように聞こえた。僕は、どういう立場なのだろう? 尋ねてみようかとも思ったけど、なぜかその勇気がでない。
たぶん……僕は、否定されたくないんだ。
いや、でも、ちょっと待った。僕はまだ子供で……いや、成人の儀が終わったから大人か。えーっと、でも、神官様は、僕より四つ歳上で、なんだかすごく冒険者にはモテていて……。
彼女はとても美しくて、フロリスちゃんにはとても優しい目を向けて、だけどとても怖くて、僕のことを振り回すし、それにいきなりキスするし……。
ダメだ。何がなんだか、全然わからない。
あっ、そうか。消去法で僕が残ったのは、一番、一人前に遠いからかな。僕が一人前になるまでは、時間稼ぎができるよね。
いや、ちょっと待った。何を真面目に悩んでいるんだ? 神官様は、たまたま僕の名前を使っただけじゃないか。僕は、利用されているだけじゃ……。いや、いや、うーむ。
勘違いしておきたい自分と、冷静な自分が、頭の中で喧嘩している。はぁ……。
「ヴァン、ヴァンってば〜」
「えっ? あ、はい。フロリス様、どうされました?」
「ヴァンもごはん食べなさいって、フランちゃんが言ってるよ」
チラッと神官様の方を見ると、アラン様と何か話し込んでいる。ヒソヒソ話というほどではないけど、小声だ。聞かれたくない話のようだ。
「はい、では、いただきますね。フロリス様も、パンのおかわりはいかがですか?」
「食べすぎちゃダメなの。眠くなるもの」
「湖畔で、ぷぅちゃんと一緒にお昼寝をすると、気持ちいいかもしれませんよ」
「じゃあ、食べる。ぷぅちゃん、もう少し待っていなさい」
少女の膝の上にいる天兎は、フロリスちゃんのことを主人だと認識できているようだ。おとなしく、ジッとしている。この調子なら、湖畔で放しても大丈夫だな。




