75、商業の街スピカ 〜横暴な彼女
僕は、黒服達に聞こえるように、わざと大きな声でフロリスちゃんに、ボックス山脈の神殿跡へ遊びに行こうという話をした。
意図は二つある。
まずは、ボックス山脈の神殿跡の番人が、フロリスちゃんを神殿跡へ招待したことを知らせるためだ。おそらく、普通は立ち入ることができない場所だ。地位や名誉を重んじる貴族が、どう感じるかを確認したい。
もう一つは、噂の肯定だ。僕が竜を従えているのか、と噂されている。僕自身は、その問いに答える気はない。だけど僕は、偽りの世界で生きるのはやめたんだ。もうコソコソと隠したりしない。
フロリスちゃんが、ミルクティを飲む間、誰も何も言ってこなかった。暴言を吐いた少年達のことは、世話をする黒服達が慌てて隠してしまったようだ。
へぇ、予想以上に効果があったみたいだな。
「ヴァン、ぷぅちゃんのごはんを持ってきて」
「はい、フロリス様、かしこまりました」
少女は、ふわふわとした白い天兎を抱きかかえたまま、立ち上がった。そして、自ら、部屋へと歩き始めた、すごい変化だ。いつもなら、彼女がメイドに抱きかかえられていたのにな。
小さな背中は、なんだか大きく見える。自分の手でペットを守るという強い意思が伝わってくるようだ。
メイド達は、慌てて少女の後を追いかけている。
僕は、食器を片付け、厨房へ持っていった。
「あの、すみません。天兎って何を食べさせればいいのでしょうか?」
「草食だろうな。うーむ、綿毛兎は雑食のようだが」
問いかけた質問に答えられる料理人はいなかった。だよね、絶滅したと考えられていた希少種なんだから。
「さっき、回復させた天兎に食べさせたものだ。持っていけ」
ぽーんと放り投げられたのは、サラダ用のレタスだ。僕は、なんとかキャッチした。
「ありがとうございます」
軽く会釈をして、厨房を離れた。やたらと視線が突き刺さる。だけど、もう見られることが当たり前になってきたな。
「フロリス様、サラダ用のレタスをもらってきました」
部屋に戻ると、少女は既に、ペットに餌を与えていた。天兎から生み出された綿毛兎は雑食だと言っていたけど、それは大丈夫なのかな。
「ヴァン、ぷぅちゃんは、お菓子が好きみたい」
小さく割れたクッキーが、床に散らばっている。
「フロリス様、その子にクッキーは良くないんじゃないでしょうか? 綿毛兎は雑食だとは聞いていますが」
「大丈夫なの。食べたいものを食べればいいの。クッキーの中のチョコレートは食べないみたい」
あー、それで、こんなに散らかっているのか。天兎は、床に散らばったクッキーのカケラを選んで食べているらしい。奴が発する言葉から、それがわかった。意外に賢いな。
レタスをフロリスちゃんに渡すと、少女は、それをちぎって天兎の前に置いている。すると、奴は、レタスをチラッと見て鼻をヒクヒクさせたが、クッキーを食べ続けている。奴が言うには、そのレタスは臭いらしい。
「ヴァン、ぷぅちゃんは、レタスよりもクッキーの方が好きなのよ」
「うーん、おかしいですね。レタスに問題があるのかな。ちょっと貸してください」
少女の手からレタスを受け取り、スキル『薬師』の薬草のサーチを使った。成分なども見えるんだ。
もしかして毒でも付着されているのかと疑ったが、そうではない。普通の食用のレタスだ。ただ……なるほど、これが臭いということか。
「ヴァン、頷いてるけど、何かわかったの?」
えっ? 頷いていたかな。
「はい、このレタスには、少し農薬を使ってあるようです。生産職が使う虫よけの薬なので、人間が食べても全く害はないんですが、ぷぅちゃんには嫌な臭いに感じられたのかもしれません」
「薬が嫌なの?」
「ぷぅちゃんが生まれ育った草原には、そんな虫よけの薬なんて存在しませんからね」
すると少女は、天兎を眺めながら、ジッと何かを考えているようだ。そんな真剣な顔も初めて見た。
「ヴァン、お花が育つ魔法を教えてくれるよね? もうすぐ、アラン兄様のお誕生日だもの」
「はい、明日にでも、やってみましょう」
「ぷぅちゃんは、魔法のニオイも嫌がるかしら」
「いえ、魔法の源となるマナにはニオイはありませんよ」
「じゃあ、グリーンレタスが育つ魔法も教えて」
あぁ、僕が生育魔法をかける遊びをしたっけ。フロリスちゃんは、畑から転がり落ちるグリーンレタスを見て、笑ってくれていたよな。
「はい、かしこまりました。ただ、グリーンレタスを収穫できるまで生育させるには、花を咲かせるよりも、ちょっと難しいですよ」
「私、がんばるの」
ペットの餌を自分の手で作ろうということか。とんでもない成長だ。ただ、彼女の治癒魔法から考えると、魔力量はとても少ない。僕が五歳の頃よりも少ないような気がする。三歳で成長が止まっているからだろうな。
「わかりました。お教えします。ただ、今のフロリス様の魔力量では難しいと思うので、しっかりご飯を食べて、フロリス様自身が大きくならなければなりません」
「うん、できるもん」
「それまでは、普通に種を植えて、畑で育ててみてはいかがですか?」
「それは、ダメ。夜中にいたずらされてしまうもの」
少女は、畑に毒が撒かれたことを知っているのか。
「では、お部屋の中で水栽培をしましょうか。牧草や葉物野菜なら、陽当たりの良い場所に置いておけば、十日ほどで収穫できます」
「うん! でも、そんなにかかるの?」
それまでずっとクッキーというのもな……。僕が作ればいいのか? でも、それでは、せっかくの彼女のやる気を奪いかねない。
「じゃあ、お許しをいただけるなら、近くの草原にぷぅちゃんが食べたい草を探しに行きましょうか」
すると、少女の表情は曇った。
「またヴァンがいなくなるの?」
あー、また不安にさせる、か。
メイド達の方を見ると、二人とも首を横に振っている。いま僕が離れると、また錯乱状態に戻るかもしれないと危惧しているのか。
「では、フロリス様、ぷぅちゃんを連れて、近くの草原に遊びに行きましょうか」
「ぷぅちゃんのお家じゃなくて?」
「はい、ボックス山脈は遠いので、行くときには僕の友達に同行してもらう必要があるんです。明日すぐにというわけにはいかないと思います」
「ヴァンのお友達?」
「はい、魔導学校のクラスメイトです。転移魔法を使える黒魔導士なんですよ」
「へぇ、すごい。フランちゃんも魔導士だよ」
神官様のことは、フランちゃんなのか。
「フラン様も、転移魔法を使われますよね」
「そうなの? 私もできる?」
「フロリス様も、フラン様と血の繋がりがありますから、大人になったらできるようになるかもしれませんね」
「うん!」
少女はニコニコしながら、ペットの様子を見ている。その表情は、しっかりとして見える。もう、大丈夫だよね。
コンコン!
こんな時間に来客? 僕は、扉を開けようと近寄った。
バン!
えっ……どちら様かを尋ねる前に、勝手に扉が開くなんて、マナー違反じゃないのかな。
「ヴァン、貴方、遅いわよ!」
「えーっと、申し訳ありません。こんな時間にどうされました? 神官様」
「私がいつ来ようが勝手でしょ。ちょっと、邪魔よ、どきなさい」
今夜の彼女は、めちゃくちゃ横暴だ。いや、いつも横暴だけど、今夜は勢いが違う。
僕を押しのけ、彼女は部屋へと入った。
「フロリス、調子はどう?」
「あっ、フランちゃん! 見てみて〜。ぷぅちゃんだよ。私が育てることになったの」
少女は、満面の笑みだ。その笑顔に、神官様は少し圧倒されているようにも見える。あぁ、そういえば、今夜フラン様が来られると、厨房で言っていたっけ。フロリスちゃんのことについて、だろうな。
「その子って、天兎ね。ヴァンがボックス山脈で狩ってきて、きちんと仕留められてなかった子を、フロリスが回復したって聞いたけど」
「うん! ふわふわで、かわいいの」
奴は、神官様を警戒しているようだ。怖いもんな。
「ヴァン、いったい、どういうこと!?」
「えーっと、どういう意味でしょうか。事情は、既にご存知のようですが」
「こないだは、みんな貴方のことを馬鹿にしていたのに、今日は、使用人達が、なぜか怖れているみたいだもの。それに、なんなの、その力!?」
はい? 別に何の力も……。
「あっ、ショートボウのことですか? 物々交換で手に入れたんです。それを使って狩りを……」
「は? 何を言っているの? 弓なんて、どうでもいいのよ。ちょっと見せなさい!」
ドキッ!
彼女は、僕の腕を乱暴につかんだ。