72、商業の街スピカ 〜使い捨ての魔法袋から
物置部屋に入ると、なんだか懐かしさを感じた。一日外泊しただけなのにな。
「フロリス様の昼食は、もうお済みですか?」
「ええ、食事の間から戻ってきたところよ。ヴァンが居なくなってから、全く何も召し上がっていないわ」
えっ? もうほぼ丸一日になるのに?
「じゃあ、お昼寝の時間ですね」
だけど、メイドは首を横に振った。
「昨夜から一睡もされていないわ」
「そうですか。僕のせいですよね、僕がサラ様を思い出させてしまったから……申し訳ありません」
僕は、胸をえぐられるような痛みを感じた。まさか、こんなことになっているなんて。確かに、少女の顔色は悪い。僕のせいだ。
「貴方のせいではないですよ。おそらく、誰かの策略……今頃、ほくそ笑んでいるでしょうね」
メイドが、力なく笑った。フロリスちゃんが来月には、どこかに出されるから、か。
僕は、りんごのエリクサーをひとつ取り出し、フロリスちゃんに渡した。少女は、不思議そうな顔で受け取った。
「フロリス様、それ、新作なんです。食べてみてください。味の感想が知りたいんです」
「小さなりんご?」
「はい、この街にはないりんごです。美味しかったら、商業ギルドに売りに行きたいんですけど」
僕がそう言うと、フロリスちゃんは、小さくかじった。そして、びっくりした顔をしている。
「皮の部分だけじゃなくて、全部パクりと食べてみてください。食べにくいかな? もう少し小さな方がいいのかな」
少女は、パクりと口に放り込んだ。頬がりんごで膨らんでいる。でも、咀嚼しなくてもスーッと膨らみは消えていった。ぶどうのエリクサーよりも、ちょっと硬いかな。
「甘〜い。少し噛むと消えちゃった。何? これ、りんごじゃないよ」
「フロリス様、さすが鋭いですね。りんごでエリクサーを作ったんです。山の上で手に入れた、とても甘い蜜りんごから作ったので、こんなに甘くできたんですよ。甘すぎるかな」
「痛いのがなくなったよ、ポーションじゃないの?」
「体力と魔力を全回復するエリクサーですよ。ポーションの役割も備わっています」
「まだ、あるの?」
「ありますよ、どうぞ。あ、怪我をしたときに食べてくださいね」
僕はりんごのエリクサーを、小さな手のひらに一つずつ乗せた。少女は、キュッと握っている。あー、ぶどうよりも扱いやすいかな。ぶどうなら、そんな持ち方をすると潰れてしまう。
視線をめちゃくちゃ感じる。僕は、メイドの二人にも、りんごのエリクサーを一つずつ渡した。
「ありがとう、ヴァン。ぶどうのエリクサーのりんごバージョンなのね」
「えっ? ご存知だったんですか」
「ええ、流通していないから、高額転売品になっているわよ。ちょっと高すぎるわね」
「じゃあ、下手に売りにいかない方がいいですね。値崩れして損をさせてしまうと、恨まれそうです」
「そうね、その方が賢明だわ。貴方のポーションでさえ、高値がついているもの」
僕は、苦笑いをするしかなかった。売るときは、マルクに頼む方がいいかもしれない。
話を聞いていたからか、フロリスちゃんは、りんごのエリクサーを机の上のガラス容器にそーっと入れている。ふふっ、大事に扱ってくれているんだな。
「ヴァン、狩りの成果って、りんごのこと?」
「フロリス様、種類名はわからないんですが、食べられる動物を狩ってきました。僕が狩れるくらい弱い草食動物なんですけどね、ボックス山脈に生息する動物なんです」
「ヴァン、ほんとにボックス山脈に行ってきたの? かなりの距離があるわよ?」
メイドが、疑いの目を向けた。だよね、僕ひとりでは不可能だ。
「はい、魔導学校の友達に転移魔法を使える人がいるので、一緒について行ってもらいましたけど」
「ええっ? 子供二人だけで? でも、ボックス山脈には入山規制があるから、許可証が必要よ」
マーサさんが驚いている。へぇ、詳しいんだな。
「友達が、冒険者ギルドの何かの役割を担っているので、入山権限はあるみたいです。あっ、僕自身も権限があるかも?」
精霊ブリリアント様の加護がある。彼の様子を見に行くといえば、入山できそうな気がするんだよね。
「まさか、ヴァン、特殊なスキルを持っていると……いえ、そうよね。特殊なスキルがない子供二人が、ボックス山脈になんて入れないわね。普通、大規模なパーティを組むわ」
僕は、あいまいな笑みを浮かべておいた。
「ヴァン、何を狩ってきたの?」
フロリスちゃんが興味を持ってくれている。でも、獲物を出しても大丈夫なのだろうか。
「血が出ていると思いますけど、大丈夫ですか」
「ヴァンが自慢したいって言ったじゃない」
メイド達の方を見ると、一人は頷き、もう一人は首を横に振っている。うーん……でも、見せる方がいいか。食べないと言われそうだけど。
僕は、装備していた使い捨ての魔法袋を外した。街で、狩り用にとマルクが買ってくれたものだ。装備を外すと、魔力を流さなくても中身が取り出せるそうだ。
わっ!
装備を外すと、ぶわっと袋が大きくなった。重い。思わず、床に落としてしまった。まさか、ただの麻袋になるとは思わなかったよ。失敗した。
「ヴァン、使い捨ての魔法袋?」
「はい、魔力を流さなくても中身が取り出せるって聞いていたけど、こんなに重くなるなんて知りませんでした」
「……常識だと思うわよ?」
「失敗しました。あれ?」
麻袋が動いている。トドメを刺し損ねたのがいるのか。このまま、料理人に取りに来てもらうべきだよね。
わっ、フロリスちゃんが、袋を開けてしまった!
「あー、フロリス様、ちょっと待って」
袋から、一体が、ぴょんと飛び出した。背中が血で染まっている。
「ひゃっ」
フロリスちゃんは、固まっている。でも、そんな少女を見て、ふわふわな白い奴もジッとしている。
「怪我してる……」
そう言うと、少女は、ふわふわな白い奴に手をかざした。すると、ふわりとやわらかな光が放たれた。
治癒魔法だ!
ふわふわな白い奴は、少女をジッと見ている。そして、首を傾げた。
「ふふっ、もう痛くない?」
少女がそう尋ねると、ふわふわな白い奴は、少女に向かっていった。えっ、やばっ。
僕は、咄嗟に飛び出したが、間に合わなかった。奴は、少女にダイブしている。
「きゃははっ、何、くすぐったいよぉ〜」
あ、れ? 懐いてる?
「ヴァン、ポーション持ってる? グミみたいなの」
「えっと、はい」
僕は、魔法袋から正方形のゼリー状ポーションを取り出して、少女に渡した。
すると彼女は、ふわふわな白い奴に食べさせている。ちょっと待った。全回復してしまうんですよ? お嬢さん。
「ヴァン、この子の背中に血が固まっているの」
えーっと、風呂に入れろということかな。
「では、僕の着替えついでに、一緒にお風呂に入ってきます」
「ダメよ。この子は、ヴァンが嫌いだもの」
なぜわかるんだ? まぁ、そっか、狩ろうとしたからな。
「フロリス様、そのうさぎのような得体の知れない魔物をどうなさるのですか?」
マーサさんは、手放させたいみたいだな。でも、フロリスちゃんには、生きがいがある方がいいと思う。
「私が育てるの」
「ボックス山脈の魔物ですよ? サーチの魔道具で判別できない得体の知れない魔物ですよ?」
「私に守ってって言ってるもの」
うん? 言葉がわかるのかな? 僕は、スキル『魔獣使い』の通訳を使った。使ってから失敗したと思った。麻袋の中から、何か声が聞こえてくる。まだ死んでいない個体がいるんだ。うー、罪悪感が半端ない。
そして、フロリスちゃんに近寄っている個体は、確かに、僕のことを恐れている。でも、人間の姿形の識別はできていなみたいだ。ニオイか。僕には、奴らの血の臭いがついているようだ。
「ヴァン、とりあえず、貴方は着替えなさい」
「はい、血の臭いが付着しているみたいなので、お風呂をお借りします」
僕は、さっと風呂に入って、着替えを済ませた。着ていた服も、ついでに洗濯して風魔法で乾かしておいた。
黒服の姿で、部屋に戻ると、少女はふわふわの白い奴を濡れタオルで拭いてやっていた。
フロリスちゃんが、奴の言葉を理解しているわけではないようだ。でも奴は、少女が自分を守ってくれる存在だと理解している。賢いな。
あれ? 麻袋がない。
「獲物が入った麻袋は、どうしました?」
「いま、バトラーさんが来たから、渡したわよ。フロリス様が、この子が麻袋を怖がるとおっしゃるから」
「僕、ちょっとバトラーさんと話をしてきます」
そう言うと、僕は慌てて部屋を出た。




