71、商業の街スピカ 〜少女の涙
「ほへ? 果物が、薬屋の薬になったのか?」
「うん、そうだよ。チビドラゴンさんも、一緒に食べてみようよ」
チビドラゴンは、すっぱいのは苦手だと言っていたっけ。まず、味見をする方がいいかな。
僕は、りんごのエリクサーを一つ食べてみた。うん、すっごく美味しい! 素材が甘くて蜜のあるりんごだからだね。身体の中を駆け巡る感覚から、結構魔力を消耗していたことがわかる。
マルクも、味見をしている。そして、ニマニマと笑っていた。ふっふっふ、美味ですよねー、マルクさん。
「全然、すっぱくないよ。食べてみて」
そう言って、チビドラゴンへ放り投げると、パクリとキャッチしていた。反射神経がいいんだよねー。
「チビ、この薬、美味いぞ! いくらでも食べられるぞ」
「あはは、怪我をしたときに食べてね。半分は置いておくね」
「母さんの友達にも食べさせていいか? 果物を採ってきたのは、母さんの友達なんだぞ」
「うん、いいよ。人間なの?」
「羽が生えた人間だぞ」
えっ? 人間には羽なんてないんだけど。魔物?
「僕達とは、違う種族だね」
「そうだと思うぞ」
僕は、りんごのエリクサーを半分ほど、チビドラゴンが用意した麻袋に入れた。元々は、これにりんごが入っていたんだろうな。
「チビドラゴンさん、どうぞ」
「おう、甘い薬だぞ。母さん!」
チビドラゴンは、麻袋を母親ドラゴンに持って行った。また褒められて、デレデレしているみたいだ。声は聞こえないけど、いつものふんぞり返りからのデレデレ。ふふっ、マザコンだよね。
僕は、残りの半分を魔法袋へ入れた。
「あとは、マルクの分だよ」
「ええっ!? こんなにたくさん? 百個以上あるんじゃ」
あれ? マルクは固まっている。何?
「半分ずつでいいんじゃないの? 僕は半分、もう魔法袋に入れたし」
「いやいやいや、俺、見てただけだからさ」
マルクって、なんだかすごく律儀なところがあるんだよな。
「じゃあ、ボックス山脈に付き合ってくれたお礼ってことで」
「ええっ!? また、ヴァン預金が増えた〜」
外から吹き込む風が収まった。嵐が去ったんだな。
「ヴァン、そろそろ大丈夫だよ」
「じゃあ、帰ろうか」
僕達が洞穴の出入り口へと歩き始めると、チビドラゴンが戻ってきた。妹ドラゴンも一緒だ。
「チビ、帰るのか? 世話をしている子が待っているもんな」
へぇ、キチンと覚えてくれているんだ。
「うん、チビドラゴンさん、たくさん助けてくれてありがとうね」
僕がそう言うと、チビドラゴンはデレデレしている。褒められたり、ありがとうと言われるのが好きだよね。
「チビ、また遊びに来たらいいぞ。母さんが、甘い薬をありがとうって言っていたぞ」
「うん、また来るね」
僕が頷くと、マルクは彼らにやわらかく笑って、転移魔法を唱えた。
「ヴァン、この辺でいい? ギルド近辺じゃないと転移魔法が目立つからさ」
マルクが転移してきた場所は、ファシルド家から一番近い小さな商業ギルドの前だった。今の仕事を受注し、神官様と買い物をした場所だ。
「うん、十分だよ。ありがとう。あっ、ここでグミを買ったんだ」
「マジか! 俺、ちょっと買い物していくよ。また何かあったら、冒険者ギルドに伝言機能があるから、冒険者ギルドに伝言して。俺を捜すのは大変だろ?」
「あー、待ち伏せしたもんね。ごめん」
「いや、それは全然構わないんだけど、俺、この街にいないこともあるからさ」
「そっか、うん、わかった」
「とりあえず、魔導学校が始まったら週イチは行くつもりだけど」
「うん、僕もその頃には、今の契約が終わってるから……」
そこまで言うと、マルクはニヤッと笑った。
「じゃ、下級ハンターの講習を受けに行けるな」
「だね、うぷぷ」
マルクは、ニヤニヤしながら、商業ギルドへ入っていった。
空を見ると、太陽は真上だ。昼食に間に合うかな? 僕は、屋敷へと急ぎ足で戻った。
「なんだ? おまえ。ここはファシルド家、本家の屋敷だ。おまえのような子供の来る所ではない!」
ひゃー、門番が怖い……。
「僕は、こちらに派遣されているヴァンです。あ、こんな格好で、すみません」
しまった、服が冒険者の軽装だ。
「はぁ? 仕事の内容は? 契約書を見せてもらおうか」
「僕は、フロリス様のお世話係で、あと十日くらいの派遣で来ていまして……えーっと、これがギルドから貰った書類です」
魔法袋から紙を取り出したけど、門番達は驚いた顔をしていて、契約書を見もしない。何? そのバケモノを見るような目。
「あんた、薬師か。殺されたんじゃないのか?」
「いや、逃げ出したんじゃなかったか? だから、始末しに行ったんだろ」
「えっ? いえ……始末? 旦那様に外泊許可をいただきましたけど」
「ちょっと待っていろ。確認する」
門番の一人が、屋敷の中へと走っていった。
僕が逃げ出したから殺された、ということになっているのか? そういえばボックス山脈に行く前に、僕が監視されているって、マルクの黒服が言っていたっけ。
変な行動をすれば、僕は消されるところだったんだ。思わず、嫌な汗が流れた。それが貴族、なのか。
少しすると、バトラーさんが屋敷から出てきた。やはり、驚いた顔をしている。
「ヴァンくん、無事だったのですか。報告では、キミは居なくなったということでしたが」
「はい、あー、それなら友達の転移魔法だと思います」
「転移魔法? いや、キミの生存反応が消えたと報告を受けていますが、どうやら何か手違いがあったようですね」
「ボックス山脈に入山したからかもしれませんね。僕は、大丈夫です。服を着替えて、仕事に戻ります」
「ヴァンくんの部屋は、昨夜に片付けてしまったので……」
「フロリス様の部屋の物置をお借りしていたので、問題はないですが。あっ、もしかして、フロリス様のお世話係は、別の人が来られるのですか?」
バトラーさんは、無言で首を横に振った。えっ、なんだか、嫌な予感がする。
「フロリス様には、もう世話係は付きません。フラン様やアラン様が反対されているのですが、おそらく来月には……」
来月? 最短なら、僕の契約期間が切れるまでだ。
「そうですか。では、僕は、仕事に戻っても構いませんか?」
「ええ、契約は、今月末までですからね。ただ、ヴァンくんが居なくなってから、フロリス様は……あの時のように錯乱状態ですから、キミのこともわからないかもしれません」
あの時のように? あの時って、何? まさか、母親のサラ様の事故? た、大変だ!
「し、失礼します」
僕は慌てて、フロリスちゃんの部屋へと向かった。庭を通る方が早いよな。子供達が庭で遊んでいるのを無視して、僕は、中庭を走った。
コンコン!
フロリスちゃんのメイドの姿を見つけ、窓を叩いた。彼女は、驚いた顔で、物置部屋へと移動している。そして、物置部屋の鍵を開けてくれた。
「ヴァン! 生きていたの!?」
「はい、ただいま戻りました。なぜか死人にされているみたいで驚きました」
もう一人のメイド、マーサさんも僕を見つけ、フロリスちゃんを抱き上げている。僕は、二人にやわらかな笑みで手を振った。
「とりあえず、中に入りなさい。なんて格好をしているの!?」
「すみません、すぐに着替えます。狩りは、さすがに軽装じゃないと動けないので……」
物置部屋に入ろうとすると、何かが体当たりしてきた。僕は、思わず庭に尻もちをつくかたちで、ひっくり返った。
な、何?
僕と一緒に転がっているのは、まさかのフロリスちゃんだった。えっと、どういう状況なんだ?
「フロリス様、お怪我はありませんか?」
少女は、僕の腰にしがみつくように倒れている。錯乱状態だと、バトラーさんが言っていたけど、少女はジッとしていて動かない。
「フロリス様?」
そーっと、少女を起こすと……。
「ヴァンのバカ!」
少女の目からは、涙があふれていた。
「申し訳ありません、戻るのが遅くなりました。途中で嵐に遭ったものですから」
「ふぇえぇん」
安心したのだろう。フロリスちゃんは、僕にしがみついて泣いている。母親の死と重ねて錯乱状態に陥らせてしまったんだ。僕は、心がキリキリと痛んだ。
そっと少女を抱きしめると、小さな身体が震えていることがわかった。怖かったんだな。まさか、こんな思いをさせてしまうなんて……。
でも、泣くことができたから大丈夫だ。きっと、この子は立ち直る。僕はそう確信した。
「フロリス様、狩りの成果を自慢したいんですけど、見てくださいますか?」
僕がそう尋ねると、少女は、僕の腕の中でコクコクと頷いた。




