64、ボックス山脈 〜レストラン店長の頼みごと
「赤い矢の富がワインだったから、俺も勉強中なんですよ」
マルクは、僕をかばうように、おどけてそんなことを言っていた。謝りに来たお兄さんは、さらに困った顔をしている。僕に話があるようなんだよね。
チラッとマルクの方を見ると、マルクはコホンと咳払いをして、やわらかな笑みを浮かべた。
「ワインがどうかしたのですか」
「はい、あの……」
お兄さんは、やはり僕の顔をチラチラと見ている。だけど、問いかけたマルクの方を向いた。
「ちょっと困ったことになっていまして……とある名家に派遣執事として勤めておられる、ジョブソムリエの方を捜していまして……」
えっ? 僕のこと? なぜ、そんな情報が知られているわけ?
「キャンプ場の管理人から、そんな情報を聞き出すとは、感心しませんね。しかも、それを口に出すなんて」
マルクは怒っているみたいだ。
「申し訳ありません。ですが、そちらのお客様がそうではないかと……」
黒スーツの人に冒険者カードを提示して、すんなり許可されたのは、僕が、ファシルド家に派遣されている情報がわかったからか。
マルクをチラッと見ると、目が合った。やれやれという表情だ。仕方ない、話を聞こうか。
「お兄さん、どうされたのですか」
「やはり、お客様が、ジョブソムリエの少年……あ、失礼しました」
このお兄さん、天然なのかな。またマルクに睨まれてるよ。
「お食事が終わる頃に、店長を呼んで参ります。お食事中、大変申し訳ございませんでした」
そう言いつつも、時計を見ながらハラハラしているようだ。急ぎなのかもしれない。彼は軽く頭を下げ、離れていった。
「マルク、どうして情報が漏れているの? 冒険者カード?」
「そうだよ。キャンプ場の管理人は、出入りしている人をすべて管理しているんだ。安全のためにね」
「僕が何も言われなかったのは、貴族の屋敷に派遣されてるからかな? 商業ギルドのカードは出してないけど」
「仕事が重複しないように、受注中のミッションは、商工冒のいずれのカードでも確認できるんだよ。ヴァンの派遣先が、下級貴族の家なら、入場お断りだったかもね」
「そ、そうなんだ」
「あはは、冗談だよ。貴族の同行者なら、登録したジョブやスキルで判断されるから、俺と一緒なら大丈夫〜」
マルクは、ケラケラと楽しそうに笑っている。なんだかよく笑うよねー。もしかして、酔ってるのかな?
食事が終わると、さっきのお兄さんが紅茶を持ってきた。飲み物はワゴンでと言っていたのに、明らかに僕達のためだけに、特別に用意されたようだ。そして、白い髭のお爺さんも一緒だ。彼が店長さんなのかな。
「お客様、お食事中に、申し訳ありませんでした」
また、お兄さんは謝っている。
「いえ、別に大丈夫ですよ。それよりジョブソムリエに、何のご用ですか?」
すると、白髭のお爺さんが口を開いた。
「お客様、当店をご利用いただきありがとうございます。ちょっと非常事態でして、キャンプ場の管理人に入場者情報を問い合わせました。申し訳ありません」
「非常事態、ですか」
ソムリエが必要な非常事態って何?
「はい、本来なら精霊使いに依頼すべきでしょうが、あいにく、中級の方しかいらっしゃらないものですから」
「精霊に関わることですか」
「はい、このキャンプ場の守護精霊が、魔獣に襲われたという情報が飛び込んできまして……」
魔獣って何? 魔物? 獣? 獣系の魔物?
近くにいたお客さんが、ガタリと椅子を倒した。盗み聞きしていて驚いたってことか。
マルクも、ポカンとしている。このポカンは、ただ驚いたポカン顔かな。
「ヴァン、まずいぞ。守護精霊が傷ついて弱っているなら、このキャンプ場は、魔法だけでしか守られていないってことだ。もう、夜なのに」
夜だから、か。マルクが焦ってるのは……。
「はい、ですから、守護精霊を捜して治療をしたいのですが、見えないものですから……」
「襲った魔獣は、まだ近くにいるのかな」
マルクは、外をチラッと見た。もう真っ暗だね。
「それは大丈夫です。魔物ハンターの方々が追い払ってくださいました。守護精霊の治癒も、白魔導士は何人か待機してくださっているのですが、精霊の居場所がわからないのです」
白髭のお爺さんは、お兄さんをチラッと見た。
「精霊使いの方に一旦依頼しましたが、中級なので声は聞こえても姿は見えないそうです。そこで、彼が、ソムリエ上級なら、精霊を見ることができると言うものですから」
お兄さんがペコリと頭を下げた。やはり、ソムリエのスキルを持ってるんだな。
「彼には、中級ソムリエのスキルしかありません。中級では、ぶどうの妖精の声を聞くことしかできないようです」
椅子を倒したお客さんも、ジッと聞き耳を立てている。他のお客さんは、このことを知っていた人が多いようだ。特に騒ぎにもなっていない。
「わかりました。守護精霊を捜せばいいのですね。特徴か何か情報を教えてください」
「頭に花を飾っている男性の精霊だそうです」
僕が店を出ると、マルクだけじゃなく何人もがついて来た。人がいる方がマルクは大丈夫かな? あ、関係なさそう。ダメな顔になってるよ。
このキャンプ場の中にいるとは限らないんだよね。
「マルク、魔獣って何? 魔物じゃないの?」
「正体のわからない魔物のことかな。だいたいは、魔石持ちで巨大な魔物のことを魔獣って呼ぶよ」
「獣系の魔物だから、魔獣なのかと思った」
「あはは」
マルクは、力なく笑った。話している方がマシみたいだな。だけど、話すと妖精の声が聞こえない。
僕は、ぐるりと見渡した。
うーん、夜だからか見えないな。キャンプ場内は、結構、騒がしいんだよね。だから、中級の精霊使いの人もお手上げなのか。もしくは、弱った守護精霊は声を出せない状態かもしれない。
これは、適当に尋ねる方が早いよね。
僕は、大きな木に近寄った。こういう木には、妖精の寝床があるはずだ。見上げると、木々のあちこちが淡く光っている。
「妖精さん、すみませーん!」
僕が大きな声を出したから驚いたのか、光がいくつか落ちてきた。僕は、慌てて手を出してキャッチした。
「ちょ、何よ、アンタ!」
「人間のくせに、何なのよ!」
あー、怒ってる。僕の手のひらの上には、ぶどうの妖精さんよりも小さな妖精さんがいる。透けて見えるから、顔はよくわからないな。
「おやすみ中、すみません。大変なんです」
「起こされる方が大変よ!」
「さっきも、臭い奴がうろついてたし、最低ね」
臭い? 香水をつけた人かな?
「この場所を守っている精霊様が、魔獣に襲撃されたみたいなんですけど、どこにいるかわかりませんか?」
僕がそう尋ねると、小さな妖精さん達は、僕の手のひらからふわっと浮かびあがった。
「それ、ほんと? 大変だわ!」
木の上から、淡い光が次々と降りてきた。
「ブリりんが、襲われたらしいよ。捜さなきゃ」
「その精霊様は、ブリりんっていう名前なんですか?」
「違うわよ、ブリリアントよ。輝きの精霊」
「輝きの精霊ブリリアント様が、今どこにいるか、知りたいんです」
「ちょっと待っていなさい、人間」
次々と、妖精が起きてきたようだ。あちこちに淡い光が見える。さっき、全く見えなかったのは、寝てしまってたのか。
「あ、あの」
白髭のお爺さんが、僕に不安そうに話しかけてきた。あ、全然、状況を説明していなかった。
でもマルクは、だいたい理解しているみたいだ。聞かれた人に、状況の説明をしてる。すごいな。
「精霊の名は、ブリリアント様だそうです。いま、木々の妖精さん達がたくさん起きてきて、捜してくれています」
「おぉ、精霊使いのようですね」
いや、全然違うと思うけど。
淡い光が近寄ってきた。
「ブリりんが居たよ。死んでるかもしれない」
「えっ! どこですか」
「ついて来なさい」
ふわふわと淡い光は進み始めた。僕が追いかけると、みんながついてきた。
淡い光は、キャンプ場から出て行った。守護精霊は、キャンプ場の外にいるのか。
僕は追いかけたが、マルクしかついてこない。そっか、ここはボックス山脈だ。
「ヴァン、白魔導士は、ビビってキャンプ場から出られないみたいだ。精霊をキャンプ場に連れ帰るしかない」
マルクは、真っ暗な中、ビビりながらもついてきてくれる。僕は、妖精さんの光で足元は見えるけど、マルクには、全く見えないもんな。
少し進むと、草が踏み荒らされて木々が倒れている場所があった。光が集まる場所に、大きな影が見える。
「マルク、精霊様がいた!」